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介護について

12月2日(日)
 今年の5月、東村山の北山公園で花菖蒲が咲いているということでカメラを持って出かけた。若干遠い気がしたが、西武線で一本だと思うとあまり距離を感じない。駅から20分ばかり歩いて菖蒲園に到着しひたすら写真を撮った。

 近くに老人ホームでもあるのか、そこの遠足のようで車椅子が30台ばかりいた。部屋の中ばかりでは滅入ってしまうだろう。たまには皆で遠足に出かけるのは気分転換に絶対に必要なことだと思う。但し、出かけるのには車椅子一台に介護者が一人つかなければならない。出かけるときにはボランティアの人を要請し体制を整わなければならない。こういった体制が出来ているこの地域の老人ホームの人たちは幸運だと思う。

 地域で介護の体制が出来ていなければ老人たちは、皆で出かけることも出来ず、外出は近くの公園で済ませ、それも短時間で、変わりばんこに行くほかない。老人介護の難しさを感じる。介護にとって地域の協力体制がどれほど必要かつくづく思う。

 定年して退職し、退職金や年金で暮していて時間のある人、パートで働いている人なら月3,4回ならボランティアをしてもいいと思っている人はそれなりにいるだろう。それをどうやって掘り起こしていくかが重要なのだ。誰だって社会に必要とされることを望んでいるのだ。

 自宅のそばの公園で毎朝100人以上の老人たちが集まってラジオ体操をしている。60歳以上の人が殆どだろうが皆元気で運動している。この中に何十人かボランティアとして介護をしてもいいと思っている人はいるだろう。

 公園の隣が老人ホームで恐らく介護者を必要としているだろう。日常介護とは別に、どこか遠足に行ったりする時に介護者を募集しているのだろうか。介護のボランティアの登録制度のような地域の体制が必要だろう。

 以前かなり昔の話しだが2週間に1度の日曜日車椅子の友人を都内の名所、旧跡など色々なところに連れて行く介護をしていたが、働いていると2週間1度でもなかなか時間が取れない。今団塊の世代の退職者たちはNPO法人として地域の活性化のために動き始めているということを聞いた。

 そういった力を介護や、様々なボランティアとして生かせる地域の体制が必要だ。人の需要と供給が共にありながらそれを噛み合わせる歯車がなければ両者とも役立てることが出来ない。

 歩くことも出来ず、介護者の世話にならないとどこにも行けない人たち、それでも楽しい老後を過ごす権利はあるのだ。それには地域の介護体制が何よりも必要だろう。人は寿命がある限りそれを全うする外ないのだ。100歳の人へのインタビューで「何のために生きているのか」と質問した。彼は答える「生きるために生きている」確かにそれ以上答えられないだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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