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A小学校で話したこと

12月11日(金)
「いのちの授業」内容

1、がんになって
私は血液ガンの患者で今も治療を続けています。原発性マクログロブリン血症という病名です。全く聞いたこともない病名でしょう。白血病は知っていますか、それと似た様な血液の病気です。血液は全身を巡っているので外科的に取り除く事はできません。特別な治療法が必要となります。

この病気になって、入院し治療を行ないながら色々考えたことがあります。命とは何だろう。どのように生きて行ったらいいのだろうとか。そういったことを皆さんにも少し考えてもらおうと思って今日ここに来ました。最初に病気になってからのことを少し聴いてもらいたいと思います。

ガンの宣告
私は病気の自覚症状は全くありませんでした。毎日問題なく元気に働いていました。ある時怪我をしてなかなか血が止まらなかったので、血液検査をしました。その結果異常が見つかり、整形外科医の紹介で病院に行きました。そこで医者からガンの宣告を受けました。その時渡された診断書には「血液ガンの疑いあり。一般的には3ケ月から6ケ月の治療期間後、社会復帰が可能と考えられております」と書かれていました。

当時仕事がかなり忙しく、毎日22時23時まで仕事をし、土日も出勤し全く休む事ができず、疲れ気味でした。医者から血液ガンであると聞いて、確かにショックだったのは事実です。幾ら医学が進歩しても、ガンという言葉は恐ろしい響きを持っているのは確かです。しかし3ケ月~6ケ月の治療で職場復帰できると信じていましたから、これで少しは休めると思ったほどです。全く落ち込むこととか将来への不安は感じませでした。

余命宣告

入院後しばらく検査が続き4,5日たって病気の内容と治療方針について家族も含めた医者の説明会が行なわれました。その説明の最後に「不治の病であり、平均余命は5年程度」と言われました。しかしこれもまったく意に介さなかったのです。大体医者と言うのは、最悪の状態を言うのが常なのだと思っていました。早ければ3ケ月で職場復帰出来ると信じて疑いませんでした。12月に入院し、翌年の3月には戻れると信じていたのです。人はつくづく自分に都合の悪い情報は、意識から斥ける傾向にあると思います。

治療経過

clean_room6_convert_20091229100937.jpgしかし、薬の効果が中々現れず、3月になっても退院の展望は全く立ちませんでした。結局移殖は6月に行なわれました。移植は移植病棟の無菌室(左写真)で行います。移植の2日前に、致死量に近いといわれるほどの大量の抗がん剤を一度の点滴で投与します。

ここで使う抗がん剤は、普通飲み薬として使用する場合の50倍の量を1時間の点滴で体に注入します。それに伴う副作用は激しいものがあり、吐き気と全身の消耗で何日かは動くことも出来ないほどです。治るという確信が辛い治療を耐えさせるのでした。

移植後2週間位してからの検査の結果、骨髄内にがん細胞は見当たらなかったと言われました。これで完治したと思いました。しかし抗がん剤による肉体の消耗が激しくとても職場復帰など出来る状態ではありませんでした。元の体力に戻るには2,3年かかると多くの体験者は言っています。

2,3ケ月たって根絶したと思い込んでいたがん細胞は、再び活動を開始し始めました。10月に2度目の移殖をすることになり、11月半ばに退院しましたが、12月には休職期間である1年間が過ぎ、退職扱いとなり、職場復帰はありえなくなりました。

2、自分の病気はどんな病気なのか

それまで、色々な資料を読んだり、人の話を聞いたりして、やっと自分の病気を冷静な判断力をもって認識するようになりました。つまり「不治の病」であると。つまり運が悪く転移して再発するといったがんではなく、ガン細胞(形質細胞腫瘍)は放って置くと、増殖していく病気なのです。

またこの病気の特徴として、使い始めは良く効く薬でも、ガン細胞が薬に対する抵抗力をつけ半年もたつと効かなくなってくるのです。ひたすら効果ある抗がん剤を探して、飲み続けて延命していく外ない病気なのです。移殖の後、約3年間の間に8回も治療法を変えていきました。

今は2週間に一度病院に行き診療を受けています。その度に血液検査をし、がん細胞の状態を調べます。増えているか減っているか、薬が効いているのか効かなくなってきているのか分かります。その度に緊張します。結果を聞く時ははらはら、どきどきの瞬間ですね。そして今使っている薬も段々効かなくなってきています。また新しい薬を探さなくてはなりません。後は「人事を尽くして天命を待つ」といった心境です。

3、血液ガンと死

病院では、移殖の時は無菌室という個室ですが、それ以外のときは5人部屋でした。最初は自分の病気がどんな病気か分からなかったので、以前からいる人に色々質問し、それによって治療や移殖への心構えが出来てとても助かりました。しかし何人かの人は、病状が悪化して、寝たきりになり、やがて個室に移され、ある日個室の名札がはずされているという事に出会いました。

親しくしていた人がいました。中学校の教師を続け、校長にもなり、定年退職したばかりで、これから好きな旅行をして過ごしたいと言っていました。旅行の話で盛り上がりました。病院が高台にあり、そこから色々な寺院が見えます。それを眺めながら、それぞれ由所ある寺院で、退院したら、何も遠い所まで行かなくても東京で幾らでも見る所があるといった話をしていました。

私が一週間の一時退院で家に帰って戻って来た時、彼のベッドは空でした。どうしたのか同室の人に聞くと、「2日前、夜トイレに行こうとして倒れ、集中治療室に運ばれたが、そのまま帰ってこなかった」という事です。こんなにあっけなく人の命は失われてしまうのか、とつくづく思いました。

長い入院中何回かそういったことに出会いました。大体、白血病などになって治療後、元気で活躍している人をテレビなどで見ると血液ガンといっても昔と違って今は治るものだと思ってしまいます。しかし半数近くの人が血液ガンで死んでいるのです。病院で空いた個室を見ると、辛く苦しい気持ちにさせられます。病院、それは生きているという事が当たり前でない世界なのです。生きたくともかなわず奪われていった多くの生命を考える時、この世界の中でいのちは限りなく尊いものとして認識されます。

そういった中で、この病気によって、本当に自分の余命が限られているのだということを受け止めることになったのです。そして自分の限られた人生をどうして行くのか、生とは何か、死とは何か、命とは何かを考えざるを得ませんでした。(続く)

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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