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A小学校で話したこと(続き)

12月11日(金)
「いのちの授業」講演内容(続き)

4、余命宣告について

「余命宣告された時人は何をするのか」もちろん人様々です。私は余命を宣告され、後2,3年で死ぬかもしれません。私の場合、病気になったことで人生について今までと違った捕らえ方をするようになりました。「仕事が生きがい」これはよく言われる言葉です。しかし、仕事を離れ療養生活を続けている現在「どのように生きていくか」は日々問われる事となってきたのです。

宿命転機
「宿命転機」と言う言葉があります。がんになったと言う事実・宿命は変えることは出来ません、しかしそれを人生の新たな転機にすることは出来ます。人生山あり、谷ありです。つらいことや苦しいことにぶつかることはあります。しかしそれを自分の新たな出発の転機にしていけるかどうかが重要だと思います。皆さんも色々な壁にぶつかる事があると思います。しかしそれをチャンスとして生かせるどうかがそれ以降の人生にとって重要な鍵となります。

ツー ル・ド・フランス自転車レース7年連続優勝者ランス・アームストロングはがんになって死の淵に立ちその後病気を克服しました。彼は次のように言いました。「断言していい、ガンは僕の人生に起こった最良のことだ。」死と向かい合って、はじめて彼は気づくことができたのです。周囲の人たちの優しさに、人を愛すること、そして、生命の素晴らしさに。仕事でしかなかった自転車は、限りある生命を燃やす「生きがい」へと変わっていきました。

5、死と向かい合うということ

死とは何か、皆さんは自分が何時死ぬか考えたことがありますか。病気とか大怪我とかしないとなかなかそんなことは考えないものです。しかし死は誰にでも予想もしない形で訪れてくるのです。事故で死ぬこともあるし、脳溢血や心筋梗塞で突然死んでしまうこともあります。

死は恐ろしいイメージを持っています。死は虚無を意味するように思えます。しかし誰も死を経験した事がないし、経験する事は出来ません。つまり死とは何かについては誰もわからないのです。それが恐ろしいものか、虚無かどうかそれは分かりません。分からない事を心配するより今どう生きるかを考えるべきだと思います。ただ分かっているのは死は生の終わりであり、人生は限られているという事です。

私は後2,3年しか生きられないかもしれません。しかし遅かれ早かれ誰でも死を迎えるのです。全ての人はやがては死ぬことになる。今から死について考えている人はいないかもしれない。しかしどのように生きていこうかとは考えるでしょう。

6、生きるという事

「どのように生きていくのか」この問いはあまりにも難しいものです。しかし、皆この回答を求めて生きている。答えを求めるため生きている。命が限られているということを知ることは、嫌が応でも今をいかに生きていくかを問うことになるのです。

限りある人生を自覚した時、悔いのない人生を送りたいと思うものです。漫然と生きてきた自分の生き方を見つめ直す事になります。自分らしく生きることそれはどういったことかを考えるきっかけをどこかで見出してもらいたいのです。死と向かい合って初めて自分を見つめる事が出来るのです。自分の本当にやりたい事が見えてくるものなのです。

死があるからこそ生の輝きを見出すことが出来るのでしょう。
そういった意味で、命を語ることは、死-限りある人生を見つめることであり、そのことを通して生の意味を再認識することだと思います。人は普通あまり考えることもなくその日暮らしで生きていっているでしょう。自分の残りの人生などという発想を持つことなどないでしょう。それはそれでいいと思います。小学校の頃から死について考えるということはないでしょう。しかし時々は命のこと、人生は限りがあるということ、どうやって生きていったらいいかという事について考えてみてもらいたいと思います。

7、闘病者の声

最後にあなた方と同じ位の年齢で苦しい闘病生活を送っている人の声を伝えたいと思います。

31_.jpg猿渡瞳さんはがんと闘い、限られた命を見つめ最期の一日まであきらめずに生き抜いた。この13歳の少女は激しく語っている。

「今の世の中、人と人とが殺しあう戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。
命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。」

また病院で苦しい闘病生活を続けている12歳の少女は訴える。「一方では“死にたい”という人がいます、しかし、もう一方では生きるために懸命に闘っている人たちもいるのです。自殺を考え“死にたい”と思って無駄に過ごした今日は、昨日死んで行った人が懸命に“生きたい”と思って努力した明日なのです。

「死」について思いを馳せる時、あたりまえのようにそこにあった自分の生が再び鮮やかによみがえってきて、それがとても尊いものであることに気づかせてくれます。

こういった見方を少しでも分れば、これからどう生きていいたらいのか、日々他人とどのような関係を作っていったらいいのか自ずから答えは出てくるでしょう。
 

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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