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加島 祥造 『求めない』

12月3日(月)
 加島祥造の『求めない』という本の新聞広告に以下のような詩が掲載されていた。
  
  ほんの3分でも求めないでごらん。
  不思議なことが起こるから―。
  求めない―すると心が広くなる
  求めない―すると恐怖感が消えていく
  求めない―すると人との調和が起こる
  求めない―すると待つことを知るようになる
  迷った時、苦しくなった時、自分にささやいてみる。「求めない」と。

 この言葉はがん患者、あるいは不治の病を抱えた人にとって一つの生きる指針を示すものだろう。病や死への恐怖は生きることへの執着から来る。しかし生きることへの執着を断ち切れば死への恐怖心はなくなる。死を受け入れ、死を静かに待つ心境になるのだろう。

 自らの 現状、苦しい身体の状況への不安や絶望の中で、人との関係も崩れていく。しかし自らの現状をありのまま受け入れ、それ以上の自らを求めなければ、現状への不満やいらいらはなくなり、また他人に様々な要求をしたり、期待したりしなければ、人との調和が図れるだろう。

迷いや苦しみは、様々な欲求や願望、期待と現状とのギャップが生み出すものである。自らの行為に見返りや代償を求めないそういった澄み切った心情の中で自らの自己完結性、自立を体感出来るのかもしれない。

 あるがままの自らの現状を受け入れ自然の摂理に従い、宿命に逆らわず流れのままに身をゆだねていくそういった心情こそ『求めない』という境地なのだろう。

諦念とはあきらめの意味だがそれは消極的、否定的なものではなく、物事の道理を悟り、迷いを去る(あきらめの境地に達する)こと、もろもろの執着からの解脱、つまり悟りの境地に達することでもあるのだ。『求めない』ということの究極の到達点はそこら辺にありそうだ。

 『老子』の現代語訳をした著者が老子の「足ルヲ知ルコトハ富ナリ」という思想を「求めない」という詩集につなげていった、と書いている。

 『老子』は、『論語』とならぶ中国の代表的な古典である。その思想は、人間はその背後に広がる自然世界の万物のなかの一つであるという自然思想の立場をつらぬくことにある。したがって老子は、人間の知識と欲望が作りあげた文化や文明にたいして懐疑をいだき、鋭く批判する。無知無欲であれ、無為であれ、そして自然に帰って本来の自己を発見せよ、という。(「BOOK」データベースより)

 『老子』には「自然を観察すると、生命は循環しており、何か不足すれば、余っているところから補われて全体のバランスをとっている。ところが人間社会の制度は正反対をやっている。」とある。このような老子の思想を底流にして『求めない』は書かれている。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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