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ベートーヴェン 『クロイツェル・ソナタ』

1月8日(金)
ヴァイオリン・ソナタ第9番・イ長調(作品47) 『クロイツェル』は、ベートーヴェンの1803年の作品で、ヴァイオリニストのルドルフ・クロイツェルに捧げられたため、この名で呼ばれている。ベートーヴェンのつけた題は「ほとんど協奏曲のように、相競って演奏されるヴァイオリン助奏つきのピアノ・ソナタ」である。

この曲は「ヴァイオリン・ソナタ」となっているがべートーヴェンが書いているように「ヴァイオリンとピアノが対等」で、ピアノとヴァイオリンが互いに追いかけながら疾駆していく曲だ。この曲はよく聴くが、何故かある精神状態で聞きたくなる曲だ。それがどういった状態なのかは分析できてはいない。

ヴァイオリンが主題を奏で、ピアノが同じメロディあるいはその変奏曲を弾く。逆にピアノが主題を奏で、ヴァイオリンが同じメロディを追いかけるように弾く。ピアノが主旋律を弾きヴァイオリンが伴奏したり、その反対もあり、それが交互に繰り返され、互いに主題を追いかけ合う。追いつ追われながら音が疾駆する奔流となって怒涛のごとく降り注いでくる。

51NVP.jpg 持っているCDはダビット・オイストラフのヴァイオリン、レフ・オボーリンのピアノの演奏で
 1957年に録音されたものだ。クラッシクに最も入れ込んでいたが10代後半から20代で、
 1960年代後半から70年初期に聴いた演奏家が心に残っている。

 ヴァイオリンだとオイストラフ、ハイフェッツ、メニューイン、スターンなどの演奏を聴いてき
 た。次々と優れた演奏家が生まれてきているだろうが、どうしても昔の演奏家にひかれてし
 まう。昔のヴィルトーゾの曲に対する深い思いとそれを表現する巧みな技術に魅せられるし
 かなかった。

ベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」をイメージして書いたトストイの小説がある。この曲のピアノとヴァイオリンの互いに追いかけ合う曲想が男女の恋愛模様を想起させるのかもしれない。

000_convert_20100108024308.jpg小説の『クロイツェル・ソナタ』の疾駆し併走する物語の中で、妻殺しを語る主人公は「恐ろしいほどの怒りに燃えていながら、私は終始自分が他人にどういう印象を与えるかを意識していましたし、ある意味ではそうした印象が私の行動を支配していたのです」と語っている。

怒りに狂って感情にまかせた行動をとりながらも、常にそんな自分をもう一人の自分がさめた目で見下ろしていて、現実世界の自分の行動をコントロールしている、そういった精神の二重構造は、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」の曲想をそのまま物語の中の組み入れたのではないと思える。

正気と狂気、激情と平静そういった感情の狭間の中で人は生きている。疾駆する時の流れの中で人は時間を追いながら追われていく。死への限られた時間を立ち止まることなく疾走していく。

二重の自己を抱えていながら自己対象化によって自己を見つめ直すこともなく時間の谷間に溺れていく。人生とは疾駆し流れていく時間の中でどのように自己を見つめていられるかの過程なのだと思う。「クロイツェル・ソナタ」を聞きながら時間と人生に思いを馳せる。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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