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北区のさんぽみち-2 田端周辺コース

2月10日(水)
ベルケイド療法を続けている限りほぼ毎週病院に通う事になる。終るのは早くて13時、14時過ぎになるのが普通だ。家にいると寒いということもあって、おっくうになって中々ウォーキングのための外出に踏み出せない。体はなまってしまうばかりだ。そこで病院の帰りに歩こうと思って近場で探すことにした。

どこの区の観光協会でも散歩コースの紹介をしている。北区にもあった。「北区観光ホームページ」に「北区のさんぽみち」というコーナーがある。そこでは北区の観光スポットをつなぎながら散策する10のモデルコースとその周辺を紹介している。

田端エリア     ・・・ 約60分  王子・堀船エリア ・・・ 約67分   王子・十条エリア・・・ 約69分
王子・西ヶ原エリア・・・ 約36分  王子・滝野川エリア・・・ 約72分  王子・豊島エリア・・・ 約70分  
赤羽・志茂エリア ・・・ 約65分  赤羽・西が丘エリア・・・ 約76分   
赤羽・十条エリア ・・・ 約37分  浮間エリア     ・・・ 約62分

これらのコースであれば回る時間も短いし、病院の帰りに寄るのに丁度いい。田端駅から京浜東北線に乗れば10分位で行ける。これからは病院の帰りの楽しみとして1ケ所づつ回る事にしよう。今日は一番近い田端エリアを回る事にした。点滴が終わったのが驚くべきほど早く12時前に病院を出る事が出来た。この位診療と点滴が早く終ると体がかなり楽だ。 

田端エリアの見所スポットと、モデルコースの紹介には次のように書かれていた。「いにしえの文人や芸術家たちに想いを馳せながら記念館や寺院をめぐるルートです。田端には大正から昭和にかけて、芥川龍之介、菊池寛、萩原朔太郎など近代文学を代表するような文士や、陶芸家板谷波山、洋画家・歌人 小杉放庵など多くの芸術家たちが集まり、日本のモンマルトルとも呼ばれていました。」

田端エリアの散歩コース
与楽寺・賊除地蔵尊の伝承地→東覚寺→下田端八幡神社→上田端八幡神社→大龍寺→富士見橋エコー広場館→田端文士村記念館→田端ふれあい橋→東灌森稲荷神社→田端駅


通常コースは田端駅から回るのだが、病院からだから逆周りだ。病院から田端駅に向う時、何時も帰りに通っている道の左右に観光スポットがある。意識しなければ存在しないのと同じだ。

病院から動坂を下り不忍通を渡り、昔川だった谷田川通を突っ切り田端に向う。赤紙仁王通を右に曲がって与楽寺坂を下ると、10分位で最初の与楽寺に着く。小さな通りにまでよく名前を付けたなあと思う。最近はどこの神社や寺院に行っても区の教育委員会がアルミのしっかりした看板を入口に設け、その縁起の説明書があって分り易い。

与楽寺(真言宗豊山派・宝珠山与楽寺)
江戸時代には20石の朱印高を拝領した。六阿弥陀参詣の第4番札所。阿弥陀如来は女人成仏の本尊。境内には、密教の思想を表した南北朝時代の四面に仏を浮彫りにした南北朝時代の石の仏塔(四面四仏石塔屋)や、江戸時代の巡拝塔、廻国供養塔などがある。また与楽寺は賊除地蔵尊の伝承地となっている。

賊除地蔵尊の伝承地・賊除け地蔵伝説
新編武蔵風土記稿には「・・・昔当寺へある夜賊押入し時、いづくともなく数多の僧出で、賊を防ぎ、遂に追退けたり。翌朝本尊の足泥に汚れありしかば、是より賊除の地蔵と号すと伝ふ」とある。

田端コース002_edited_convert_20100210211228 与楽寺本堂

田端コース004_convert_20100210211312 阿弥陀堂

元の道に戻ると、道路に面して東覚寺がある。道路の拡張工事のため場所を後退したため、山門と不動堂は新しく建て替えられた。白木の新品なので趣に欠けるのは止むを得ない。仁王像には隙間なく赤紙が張られ、どんな形をしていたか全く分らない。

東覚寺(真言宗豊山派・白龍山東覚寺)
不動堂前にある一対の仁王像は、「赤紙仁王」と呼ばれている。「赤紙仁王」は、寛永18年(1641年)に僧・宗海が疫病を鎮めるために建てたといわれる石の金剛力士立像で、 病のある場所と同じ部位に赤紙を貼って祈願すると病気が治るといわれ、病気の癒えた人はわらじを奉納するならわしがある。

田端コース012_edited_convert_20100210211431 赤紙が張られた仁王像

田端コース010_edited_convert_20100210211359 仁王像の写真

田端コース016_edited_convert_20100210211508 東覚寺本堂

東覚寺に並ぶように下田端八幡神社がある。田端は、江戸時代には田端村と呼ばれ、村内は上田端と下田端という二つの地域に分かれていた。各々の地域には、鎮守の八幡神社が祀られていた。この八幡神社は東覚寺が別当となっていた。そこから10分くらい歩くと上田端八幡神社があり、ここは上田端の村人の鎮守で、大龍寺が別当寺を勤めていた。この神社の隣が大龍寺である。

田端コース020_edited_convert_20100210211544 下田端八幡神社

田端コース027_convert_20100210211735 上田端八幡神社

大龍寺(真言宗霊雲寺派)
大龍寺の創建は不明。慶長年間(1596-1615)に不動院浄仙寺が荒廃していたのを、天明年間(1781-1789)になって湯島霊雲寺光海の高足光顕が中興して、大龍寺と改称したと伝えられている。本堂わきの墓地には、俳人・正岡子規、宮廷音楽家・E・H・ハウス、陶芸家・板谷波山、柔道の横山作次郎などの墓がある。

kitaku.jpg 大龍寺本堂

大龍寺から八幡坂通を田端高台通まで出て、リサイクルに関する情報提供などを行っている、北区の地域リサイクルの活動拠点である「富士見橋エコー広場館」の前を通り、田端駅に向って5分程歩くと、1993年に完成した田端のランドマークである19階建てのタワーに着く。

このタワーは19階建てだが田端駅周辺には高い建物がないので病室からもよく見えたし、目立つ建物だ。この地に住んだ陶芸家・板谷波山の「飛鳥山焼」にちなみ「アスカタワー」と名付けられた。田端文士村記念館はアスカタワーの一階にある。田端駅は病院に行く時には必ず通る駅だ。その目の前に記念館があるとは全く知らなかった。

記念館の中央にはテレビが設置されていて、文士村案内や芥川龍之介など4種類のビデオが用意されていて、4つのどれかのスイッチを押すと放映されるようになっている。それぞれ12、3分のものだ。展示物としては田端に集った画家、陶芸家、文士たちの絵画、陶芸、本や書き物、昔の写真などが並んでいる。

田端文士村記念館
田端は明治の中頃、雑木林や田畑の広がる閑静な農村だった。 明治22年、上野に東京美術学校(現、芸大)が開校されると、若い芸術家が次第に集まるようになった。明治33年に小杉放庵、36年に板谷波山が移り住むと、吉田三郎(彫刻家)、香取秀真(鋳金家)、 山本鼎(洋画家)らが 次々と田端に住むようになり、親睦団体「ポプラ倶楽部」も生まれ、明治末期には 芸術家による「芸術村」のようになった。

そこへ、大正3年に芥川龍之介、5年に室生犀星が田端に住み始め、彼らの文士としての名声が高まるにつれ、萩原朔太郎、堀辰雄、菊池寛、中野重治らも田端に移り住むようになり、大正から昭和の初めにかけて田端は「文士村」となった。

田端コース033_edited_convert_20100210212031 記念館の建物

田端駅を左に見て線路を挟んで反対側に行く事になる。田端の北側には30年位前に友人が住んでいて一度行っただけで全く覚えていない。橋は山手線、京浜東北線や田端操車場をまたいでいる。橋が途切れ急な階段を下りすぐに小学校があり、その横に小さな神社がある。昔は五百有余坪の広さでかなり賑わいを見せていたが、鉄道の建設や、道路整備で移転を繰り返し現在のようになったようだ。

田端ふれあい橋
旧田端大橋は昭和10(1935)年に架設された突桁式下路版桁三径間ゲルバー式溶接橋で、造船技術を生かし全部溶接で造られた橋で東洋一を誇った。この田端大橋の老朽化に伴い、その北側に新田端大橋が開通。それによって平成4年、旧田端大橋は駅前広場と憩いの場を兼ね備えた歩行者専用の橋になった。

田端コース034_edited_convert_20100210212105 橋の中央にある希望の鐘

東灌森稲荷神社
入り口の石鳥居は吉原遊郭の尾張屋彦太郎が奉納したもので、江戸下町の信仰を受け、かなりの参詣者があったと伝えられている。なぜ新吉原の人に信者があったかというと、足抜けした遊女がこの辺に来て疲れ、失敗した例が多かったので、別に足留め稲荷とも称された。

大田道灌が江戸城築城の際、方除けの守護神として、江戸周辺に七つの稲荷社を祀ったと伝えられている。即ち、柳森稲荷社、烏森稲荷社、杉の森稲荷社、雀の森稲荷社、吾嬬森稲社、宮戸の森稲荷社、それにこの東灌森稲荷社である。

田端コース036_edited_convert_20100210212249 東灌森稲荷神社の社

「参考資料:北区観光ホームページ(北区地域振興部産業振興課観光係)」

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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こんばんは。(・∀・)

>赤紙が張られた仁王像

すごいっす。Σ(゚д゚lll)
全身赤紙だらけ。ナニコレ珍百景@テレ朝みたい。
ほっとくと,運動会で赤組が玉ころがしに使う玉のようになってしまうので,ときどきは,はがさしているんでしょうけど。

いいもの見させていただきました。<(_ _)>

誤記訂正<m(__)m>

ときどきは,はがさしているんでしょうけど。 →ときどきは,はがしているんでしょうけど。

テレ朝のナニコレ珍百景は2,3度見たことがあります。珍しいもののを見つけるといった視点で街を歩くのもまた面白いかもしれません。気にしなければ何も感じることなく通り過ぎてしまうような情景でもよく見ると思わぬ発見があるかもしれません。街歩きの楽しみが増えたような気がします。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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