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日蓮宗 池上本門寺

2月20日(土)
寒い日が続いていたが、今日は久しぶりのお出掛け日和だ。そろそろ梅も満開の時期を迎えるだろう。ネットで「花の名所案内・ウメ」の所を見てみると、東京都で10ケ所紹介されていた。行った事がなくて比較的近い「池上梅園」に行く事にした。梅園に行く前に、日蓮宗大本山池上本門寺を訪れてみることにした。

山手線で五反田まで行き、そこから東急池上線に乗り換えて20分位で池上駅に着く。「本門寺通り」というアーチをくぐり、商店街の曲がりくねった道を10分位行くと、川の袂に「南無妙法蓮華経」と書いた大きな石柱が建っている。その石柱の脇を通り川渡ると池上本門寺の総門に着く。

池上本門寺 (日蓮宗大本山・長栄山)

縁起:日蓮聖人が弘安5年(1282)10月61歳で入滅(臨終)された霊跡である。日蓮聖人は、弘安5年9月、9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中武蔵国池上の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられた。大檀越の池上宗仲公が約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれたので、以来「池上本門寺」と呼ばれている。

総門

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五重塔、大宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた数少ない古建築の一棟として重要である。昔から世に知られ、安藤広重の『江戸百景』や『江戸近郊八景』にも描かれているという古いものだ。総門を潜ると行く手を阻むように急な階段がある。階段の脇に早咲きの桜(河津桜)が満開の花を咲かせ周囲の雰囲気を明るくしている。急階段の横には傾斜の緩い階段がある。男坂、女坂といった感じだ。

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仁王門(山門)

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階段を上りきると目の前に威風堂々たる仁王門が立っている。この門は空襲で灰燼に帰し、三門は昭和52年に再建、仁王尊は同54年に新造された。三門は山門とも称されるが、正式には三解脱門の略。中心伽藍へ入る重要な門であり、三種の解脱(さとり)を求める者だけが通れるというが、もはやそれは殆どの参拝客にとって意味をもたない。

大堂(祖師堂)

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仁王門をくぐると本堂である大堂が澄み切った冬空にくっきりと姿を浮かべている。見事な建造物であるが、大堂は一旦空襲で灰燼に帰したが、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂として再建したというものだ。しかしかっての大堂の姿を思わせる威厳に満ちている。

旧大堂は、慶長11年(1606)法華信者として有名な加藤清正公が、慈母の七回忌追善供養のために建立、間口25間の堂々たる大建築であった。その壮観さを江戸の人々は「池上の大堂」と称し、これに対して、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだというほどのものであったという。

大堂に並んで、左側に日朝堂、鐘楼、霊宝堂、経堂が並び、右側には町栄堂がある。この中で、経堂は大田区文化財となっている。江戸時代・天明4年(1784)建立、方三間宝形造、裳階付ゆえ外見は方五間二重屋根となっている貴重な建物だということだ。

,池上本門字028_edited_convert_20100221232736 本門寺の境内、大堂より仁王門方面

,池上本門字029_edited_convert_20100221232814 経堂

本殿と御廟所

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ここで境内は終わりだと思っていたら、境内地図には奥のほうにまだ建物がある。大堂の裏の駐車場を通り、道路を渡ると本殿が石畳の先に見える。本殿もまた空襲で灰燼に帰した釈迦堂を再建したものである。さらにその奥の御廟所は、築地塀で囲んだ浄域にあり、宗祖日蓮聖人の御灰骨を奉安する墓塔を廟堂内中央に祀ってある場所である。

五重塔と力道山の墓

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,池上本門字034_edited_convert_20100221233159 

再び大堂に戻り、五重塔に行く。ここだけが何故か離れた場所にある。五重塔は関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち一番古い塔であるといわれている。五重塔の周辺は墓所になっていて、色々と由緒ある墓があるらしいがそれはボランティアの解説者を頼めば説明してくれるだろうが、あまりそういったことには興味はない。

「力道山の墓」の方向を示す看板が何箇所かにあった。力道山は小学校の時、鉄人ルーテーズとの試合を白黒の街頭テレビで見た記憶があって懐かしい気がした。そこで墓の前まで行った。彼の胸像がありなかなか雰囲気が似ているなと感心した。いまだファンがいるのだろうか、墓には大きな花束が添えられていた。

池上本門寺を後にして池上梅園に向う。総門から梅園の向う道路の両側には寺院が並んでいる。理境院、覚源院、南之院、厳定院、西之院、実相寺がある。この寺院は本門寺を取り囲むように建てられている。日蓮宗の寺院が集まって来たのだろう。

(参考資料:池上本門寺ホームページ)

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