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北区のさんぽみち-3 王子・西ヶ原コース

3月31日(水)
北区観光ホームページの「北区さんぽみち」のコースを病院帰りに回ろうという計を立てて2月10日から始めた。しかしその後病院の終了時間が遅くなったり、本作りのミーティングがあったりして、1回で中断してしまっていた。今回は第2段という訳だ。

病院を出たのが15時30分だった。冬だったら諦めたが、日が延びたので16時からの開始でも大丈夫だろう。今回選んだのは王子・西ヶ原エリアだ。目的の一つは飛鳥山公園の桜だ、昨日から気温が上がったのでかなり咲いているだろう。モデルコースを反対に回って最後に飛鳥山公園に着くようにした。またコースに含まれている公園内にある3つの博物館巡りも時間の関係で省いた。以下のようにコースを回った。

上中里駅→平塚神社→城官寺→無量寺→西ヶ原一里塚→七社神社→飛鳥山公園→飛鳥山バス停→池袋


平塚神社

内田康夫の浅見光彦シリーズのミステリー『金沢殺人事件』の冒頭に平塚神社が登場する。ある女性の飼っていた猫が子供を生むが子猫は死んでしまう。彼女は子猫の亡骸をきれいな菓子箱に入れて、誰も来ない場所に埋めようと思いどこにしようか考えて、家の近くの平塚神社の社殿の裏の林を思いついた。

箱を林の中に埋め終わり、帰り道人とすれ違う。少し行くと人が倒れている。絶え絶えの息の中で一言つぶやく。そのダイイングメッセージの意味を巡って事件は展開する。平塚神社のすぐ傍に住んでいて境内の入口の団子屋によく来る浅見光彦は平塚神社が騒がしいので行ってみると人が殺されたという事を聞き、事件に乗り出す事になる。

平塚神社とはどんな所かと思う。旧古河庭園に薔薇を見に行った帰り上中里駅に向う途中平塚神社の脇を取ったが素通りしただけだ。今回は社殿や裏の林をゆっくり見てみようと思った。

平塚神社のある場所は、かっては中世の豪族・豊島氏の館があり、源義家が奥州征伐から凱旋したときにこの館に滞在し、その礼に鎧と守り本尊の十一面観音像を譲ったと言われている。

16時を過ぎて神社の境内には上中里駅に向う通り道として利用している人が何人か通る位だ。入口は本郷通りに面しているがそこから長い参道があり社殿まで行くとあたりは森閑としている。裏の林は夕方でもあり曇りの天気だったこともあって暗くひっそりとして不気味な感じもしたのでちらっと覗いただけだった。

王子・西ヶ原コース001_edited_convert_20100331233246 平塚神社社殿

城官寺(平塚山・真言宗豊山派)

参道の中ほどに上中里から来る道に出られるようになっている場所がある。そこを出ると城官寺の山門が目の前に見える。並んで建っている感じだ。

城官寺は平塚神社の別当寺にあたる。三代将軍徳川家光の病を治して信頼を得た山川城官貞久がこの寺に入り、平塚神社ともども再興したとされる。東京都指定史跡となっている。

王子・西ヶ原コース005_edited_convert_20100331233329 城官寺山門

王子・西ヶ原コース006_edited_convert_20100331233405 城官寺本堂

無量寺(佛寶山西光院・真言宗豊山派)

本郷通りを突きって旧古河庭園の脇を入っていき、3、4分歩くと無量寺の裏に出るが裏門には鍵がかけられていてそこからは入れない。植木屋が何人か仕事をしているのが見える。一旦な坂を下り、表門まで行かなければならない。

寺は細い坂道に囲まれた感じで建っている。門をくぐると、本郷通りの車の音など全く聞こえず、都会の中とは思えず、ひっそりと静まりかっている。境内の庭の手入れが行き届いているのに感心した。京都の名だたる庭園に来たような錯覚を覚えるほど、丹念に育てられた花木が庭の景観を作り上げている。この庭を見る事が出来ただけでもこの寺に来たかいがあったというものだ。

この寺は五代将軍・綱吉の生母桂昌院が参詣した記録も残されている。六阿弥陀第三番の寺である。境内から出土した板碑によると平安時代の後半には、この地にお寺があったことが分かるというほど古い寺院だといということだ。

王子・西ヶ原コース010_edited_convert_20100331233441 無量寺山門

王子・西ヶ原コース012_edited_convert_20100331233526 庭と本堂

西ヶ原一里塚

本郷通りに戻り、防災センター、滝野川公園、国立印刷局などを右側に見ながら進んでいくと本郷通りのど真ん中に中央分離帯のように木々が植えられた場所がある。

一里塚は街道の一里(約4km)ごとに道の両側に築かれた塚で、その上には榎が植えられていた。西原一里塚は、日光御成道の日本橋から二里目にあたる。23区内には18カ所あったといわれているが、当時の位置を保っているのは西ヶ原だけだ。国指定史跡となっている。

王子・西ヶ原コース018_edited_convert_20100331233633 西原一里塚の石碑

七社神社

飛鳥山公園に向う途中に、右側に大きな鳥居があったので、そこから道を折れて進むと七社神社が暗い林の中にぽっかりと姿を表す。

七社神社は江戸時代には西ヶ原村の鎮守で今の旧古河庭園の地にあったが現在の社地に移された。この地はかつては神明宮の社地で、ここには樹齢千年以上といわれる杉があったことから、 一本杉神明宮とよばれていた。杉は枯れて伐採されたが現在も切り株は残されている。

王子・西ヶ原コース020_edited_convert_20100331233716 七社神社社殿

飛鳥山公園

思ったとおり公園の桜はかなり花を咲かせていた。開花情報だと5部咲きということだが、満開に近い場所もある。日当たりのいい場所とそうでない場所にかなりの差がある。上野公園ほどではないが花見客が宴会をしているがここでは場所取りをする必要はない。何故上野公園があんなに人気があるのだろうか。ニュースでは朝の3時から場所取りをしていたという新入社員のインタビューが放映されていた。

王子・西ヶ原コース024_edited_convert_20100331233803

王子・西ヶ原コース030_edited_convert_20100331235256

王子・西ヶ原コース036_edited_convert_20100331235217

この公園は八代将軍吉宗が享保の改革のひとつとして、江戸庶民の行楽のために桜を植樹し開放した、いわば日本初の公園である。こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しんだということだ。

園内には東京都指定文化財の「飛鳥山の碑」や、江戸時代の学者・佐久間象山の「桜賦(おうふ)の碑」などがあり、新東京百景にも選ばれている。

公園縦断し西側の先端の高台のほうに行って見る。そこからは王子駅や、北区役所などが見え、足下には明治通りを都電が走っているのが見える。また音無親水公園の桜が咲き誇りその上に王子神社の社殿の屋根が見える。なかなかいい眺めだ。

王子・西ヶ原コース034_edited_convert_20100331234028 音無親水公園と王子神社

去年なかったが、公園の脇にゴンドラのようなものが停まっていて何人かの人が乗り込んでいる。これは去年7月に作られた飛鳥山公園モノレールという。高齢者、障害者や子様連れなど誰もが飛鳥山公園を利用しやすくするために、飛鳥山公園の公園入り口から飛鳥山山頂間に設置した昇降設備だそうだ。試しに乗ってみようと思ったがかなり並んでいたので辞めた。

公園の正面まで戻り、明治通りに出てバスで池袋まで戻った。池袋の東口バス停は山田電気総本店の前だ。少し前まで三越があった。隣に三菱東京UFAのATMがあるが、その横の道を覗いて見て驚いた。夕日が正面のビルを黄金色に染めているのだ。早速写真を撮って見た。このような偶然はめったにあることではない。

王子・西ヶ原コース040_edited_convert_20100331234217

(参考資料:北区観光ホームページの北区さんぽみち)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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