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文京区散歩-6 団子坂通り寺巡り

12月10日(月)
今日から再入院だ。6日の検査で血小板が6.4と上昇したということで、治療の再開が可能になった。ベルケード療法第2サイクルの開始だ。入院時はいつもと同じように、血液検査、尿検査、身長体重測定、レントゲン、心電図検査を行った。午後は検査が終わり、明日から治療が始まり、点滴の管を差し込まれるので今日中に散歩にでも行こうかと思って出かけた。
 
 病院から道坂を本駒込駅の方に向かい養源寺と蓮光寺との間を団子坂の方面に行く。団子坂にぶつかるとその角が「駒込大観音」で知られている光源寺だ。この団子坂通りは通称大観音(おおかんのん)通りと呼ばれている。

寺院の境内には子供の遊園地が開放され、鉄棒、ブランコ、滑り台、砂場があり、幼稚園を経営していると思ったがそうでもなさそうだ。この光源寺から清林寺、栄光院、瑞泰寺と四つのお寺が並んでいる。江戸時代は四軒寺町といわれていた。
 
光源寺の大観音が安置されている堂は先のとがった白い建物でどちらかと言うと教会を思わせる作りになっている。中の観音は真新しく金色に輝いている。平成5年に6mの高さで建立されたものだそうだ。

光源寺 光源寺本堂

駒込寺院038_edited_convert_20100414191329 駒込大観音

駒込寺院039_edited_convert_20100414191409 観音堂

 光源寺の隣が清林寺で、江戸33札所の8番目だという。札所の本尊の十一面観世音菩薩は、本堂の接する住居の入り口の横に無造作に置かれているといった感じだった。建築中の大きな建物が境内の奥にあり、この寺の住職が三重塔建設に情熱を燃やし5年かかりで取り組んでいるものだそうだ。建築費は数億円かかるという。

駒込寺院033_edited_convert_20100414191038 清林寺本堂 

駒込寺院035_edited_convert_20100414191115 境内にある花陽稲荷神社 

 栄松院に入ると、包丁塚があり、立像と坐像のリリーフの観音像があり、地蔵菩薩が安置されていると多彩なのだが、庭がきれいに手入れされもみじもあり落ち着いた雰囲気を漂わせている。ここには初代松本幸四郎(1730没)が眠っている。幸四郎は下総の生まれで屋号は初代のみ大和屋.二代目市川団十郎と並ぶ歌舞伎界の名優のひとりと評された。またお美津地蔵というのがある。お美津は幼い子供で、海で亡くなったので両親がこのお寺にお地蔵様を作って供養したのだという。

駒込寺院030_edited_convert_20100414190813 栄松院本堂

駒込寺院031_edited_convert_20100414190942 お美津地蔵

 瑞泰寺は「始めの六地蔵」(注)の第一番地蔵が安置されている。江戸六地蔵というものはあるが、歴史的に「始めの(東都)六地蔵」の方が古い。地蔵は地獄でも衆生を救うとか。六地蔵とは六道輪廻の仏教思想から来ており、六道のそれぞれを六種の地蔵が救うと言うものだ。この考えは日本独自のもので、六地蔵は、地獄道には大定智悲(だいじょうちひ)地蔵が、餓鬼道には大徳清浄(だいとくしょうじょう)地蔵が、畜生道には大光明地蔵が、修羅道には清浄無垢地蔵が、人道には大清浄地蔵が、天道には大堅固地蔵がいてそれぞれの六道を守る。そういったことから京都や江戸など都市の入り口の街道に六地像を配置した。

駒込寺院028_edited_convert_20100414190712 瑞泰寺本堂 

:第1番瑞泰寺(向丘)、第2番専念精舎(千駄木)、第3番浄光寺(西日暮里)、第4番心行寺(上野池之端に在ったが今は府中)、第5番福聚院(上野、現存せず)、第六番正智院(浅草、現存せず)

略歴:
浄土宗 天昌山 光源寺:天生17年(1589)に神田に創建され、慶安元年(1648)に現在地に移転した。境内には元禄10年(1697)造立の御丈約8mの十一面観音像があり、惜しくも東京大空襲で焼失したが、平成5年御丈6m余の御像として建立。<駒込大観音>である。

浄土宗 東梅山 花陽院 清林寺:御本尊は阿弥陀如来、札所御本尊は十一面観世音菩薩。江戸三十三札所第八番。文明十五年(1483年)、観誉祐崇上人が開山。 慶安元年(1648年)に当地に移る。また、寺院再建に力を注がれた二祖臺蓮社光誉上人は、徳川家康公、御入国のおり、その祝表として松竹梅の鉢植一鉢ずつを拝授した。これを、天下栄の松、相生の東梅と称したことから、花陽院東梅山清林寺と山寺号を命名した。

浄土宗 桂芳山 瑞泰寺:天正17年(1589)神田明神下に起立。開基の死後その法号により瑞泰寺とする。慶安元年(1648)に現在地に移る。門を入って左手に銅造八尺の地蔵尊を安置するが大正の関東大震災で破損。その後再建したものも戦災で焼失する。現在の像は昭和61年(1986)再建したものである。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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すごいな…
よく調べてますね~( ・ิω・ิ)
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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