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4月5日(月)
桜については色々語られている。気がついたものを少し書き写してみた。その中で特に有名なのが梶井基次郎の以下の文章だ。満開の桜が咲き誇る様は、死を連想させるほど、もの狂おしく美しい。

六義園0_convert_20100405145933   六義園の枝垂桜

梶井基次郎 『桜の樹の下には』
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

薄紅の小さな花が枝という枝を覆いつくすようにいっせいに咲き誇る姿は幻想的で妖艶だ。散りぎわは儚く、美しい。アンビバレントな感情を持ったことのある人ならば、「桜の木の下には屍体が埋まっている」という妄想にも共鳴できるようになる。そして満開の空気を描写したくだりに来て、ふいに桜の風景に出会ったように胸を突かれる。その桜は記憶の中のものかも知れず、あるいは現実のものではない心象風景なのかもしれない。(asahi com bookデジタル読書・落合早苗)

西行法師 『山家集の花の歌群』

願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃

出来るならば満開の桜の下でこの命を終えたい。
桜は咲いて散って、また花を咲かせる。
春爛漫、満月の夜は、より一層その散り際の美しさを見せてくれる。

宮部みゆき 『ぼんくら』
・・・平四郎は桜が嫌いだ。桜の花というのは、枝をもいでよく見てみると判るが、みんな下を向いて咲いているのである。なんと景気の悪い花だろうと思う。それに気立ても良くないじゃないか。百年このかた-いや百年どころかもっともっと遠い昔から、この花は名だたる文人墨客たちに延々と褒めそやされてきたのである。それなのに未だ下を向いて咲きやがる。謙遜も度が過ぎれば嫌味という事を知らないのだ。(p81)

宮部みゆきらしい発想法だ。こういった視点も面白い。気がつかなかったが別の見方をすれば、桜はひたすら献身的に人の方に花びらを広げ自分自身を主張しているように見える。それはある意味で媚を売っているようにさえ思えてくる。

鈴木清順監督 『チゴイネルワイゼン』
この映画の途中の場面に出てくるのだが、全山を埋めつくほどの桜が風に吹かれ舞い散っていく。死のためのバック・グラウンド・ミュージックのようにその場面がずっといつまでも描写されていく。

映画の中で、チゴイネルワイゼンの作曲者サラサーテが自ら演奏したレコードを聞くと彼が演奏中に何かを言っている。しかしそれがなにを言っているか聞き取れない。それをベースにした怪奇幻想映画で内容はうまく説明できない。原作は大正期の内田百の「サラサーテの盤」である。映画の内容はともかくも、桜吹雪は圧巻であり今でも深く印象に残っている。

桜を詠んだ短歌、俳句
高砂の 尾上の桜 さきにけり 外山の霞 立たずもあらなむ (前中納言房・小倉百人一首73番)

もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊・小倉百人一首66番)

初桜 折しも今日は よき日なり (松尾芭蕉)

夕桜 家ある人は とくかえる (小林一茶)

桜は「遠い昔から、この花は名だたる文人墨客たちに延々と褒めそやされてきた」と宮部みゆきも言っているが、万葉集の時代から歌の中に桜はかなり登場する。古今和歌集にも数限りなく桜は詠まれている。山家集の花の歌群の中には、旅で見た桜への想いが、その華やかさと自らの心の中を対比するかのように詠われている。桜を詠った短歌、俳句は幾らでもあるがきりがないので、よく知られている短歌二首、俳句二句を紹介する。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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No title

東北地方に転居して、桜自身、また桜と人とのかかわり方が東京とはかなり趣が違うことに気づきました。

春になるといろいろな花が一斉に咲きますので、桜のありがたさがいくらか薄いし、ソメイヨシノもありますが、大きな一本桜があちこちに残っていて、その花が種まきの目安にもなっています。

急に気温が上がるので、ソメイヨシノは本当にアッという間に散ってしまってあっけないくらい。昔からの桜は本当に圧倒的な迫力があって、それこそ根元には屍体がある、と思えるくらい鬼気迫るものがあります。

No title

JRの駅には北上、角館、弘前の満開の桜のポスターが貼ってあります。東北に桜の名所があるといったキャンペーンなのでしょう。
これは東京向けなのですが、青森には昔出張でよく行きました、冬が雪深く寒く長いので、春の訪れを告げる桜の開花は特別な想いがあるということでした。同時にねぶた祭りにかける想いも同じ感覚なのでしょう。
山の中に弧高な姿で、咲いている一本桜も風情があると思います。むしろそういった桜を見ながら春の日差しを浴びて穏やかな日を過ごしたいとも思います。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
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