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小田原城址公園・報徳二宮神社

4月6日(火)
今年の春は天気が不順だ。寒かったり、雨だったり、どんよりと曇っていたり、風が強かったり、なかなか外出しようという気にさせる天気に巡り合わない。晴れの日があればめっけものだという気がする。晴れたらすかさず出かける用意をしなければならない。明日はどうなるか分らない。

久しぶりに天気予報では今日は朝から晴れとなっていた。今日辺りで桜は満開となり明日以降は散り始めるだろう。最後の花見を何処にするのか。埼玉に行ったから今度は神奈川に行こうと思って、全国お花見スッポットの神奈川県のところを見てみたが24ケ所あって絞りきれない。

桜の名所100選を見ると県立三ツ池公園、小田原城址公園、衣笠山公園の3ケ所があった。少し遠いが旅行気分で小田原まで行こう。時間があれば帰り鶴見で降りて三ツ池公園に寄ってみようという計画を立てた。

小田原まで行くのには湘南新宿ラインが乗り換えなしでいけるので一番便利だ。しかし通勤列車を1時間以上乗って行くよりは、新宿からロマンスカーに乗ってゆったりと行くのもいいと思った。運賃はJRでは池袋から小田原が1620円だ、新宿から小田原まで小田急ロマンスカーの特急料金を入れても1720円だ。殆ど変わらない。さらに品川から新幹線に乗ると3810円かかる。JRは昔からそうだったが私鉄よりあまりにも高い。運賃だけだとほぼ倍の料金だ。

ロマンスカーに乗る事にした。遠距離に行く時の定番である缶ビールを買って、気安く読めるのが取り得の「粗製乱造型通俗推理小説」の文庫本を持って列車に乗り込む。町田を過ぎる頃から段々と緑が増えてくる。山肌には黄緑色の新緑の葉を付けた木々が所々姿を見せる。伊勢原あたりから車窓には大山周辺の山々が姿を現す。桜の樹は至る所で花を咲かせている。

小田原城址公園
小田原駅から商店街を通って、小田原城址公園に向う。城の堀の周りを囲むように桜並木が植えられそれが明るいトンネルを作っている。千鳥が淵もそうだが、石垣と堀に桜の花は良く似合う。この公園は「日本の歴史公園100選」に選ばれた。昔の雰囲気を忠実に再現し今に伝える造りになっているからだろう。

小田原城004_edited_convert_20100406220254 学橋から二の丸に向う

小田原城048_edited_convert_20100406221008 隅櫓から御堀端通りを臨む

花見の見物客がかなり来ていたが、ブルーシートを敷いて宴会をしているようなグループはなく、おとなしくピックニック気分でお弁当を食べているといった感じだ。銅門、常盤木門を通り本丸の広場から天守閣を臨む。天守閣への入場は有料だが、中には様々な展示品が並べられ飽きることなく見学できた。

小田原城沿革:小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎えた。稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。

銅門:江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治5年に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていた。往時は、馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御屋形や本丸、天守閣へと進むようになっていた。

小田原城010_edited_convert_20100406220342 銅門

小田原城013_convert_20100407093700 二の丸から本丸に向う

常盤木門:本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていた。元禄16年(1703)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706)に、多門櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建された。

小田原城014_edited_convert_20100406220422 常盤木門

天守閣:城の象徴として本丸に構えられた。内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっている。標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができる。

小田原城018_edited_convert_20100406220524 天守閣

小田原城026_edited_convert_20100406220614 天守閣から見た本丸の桜

小田原城033_edited_convert_20100406220648 天守閣から相模湾を臨む

報徳二宮神社

小田原城址公園の一画に報徳二宮神社がある。二宮尊徳を祀っているということだ。菅原道真もそうだが、誰でもこれはという人がいればその人は神になれるというのがすごい。キリスト教的な唯一全能の神ではない。誰でも神になれるし、多くの人にお参りされる。現世では色々な失敗や欠点もあったのだろうが、その功績によって人々から神としてあがめられるのである。こういった宗教観は日本人独特のものだろう。

この神社は明治27年(1894)、二宮尊徳の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、二宮尊徳を祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一画に創建されたものだ。二宮尊徳は言っている「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」今の政治家や、財界人に聞かせてやりたい言葉だ。

そして、彼は「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を説く。江戸時代においても「財政再建」「格差」「環境」「貧者の救済」など現代と同じ問題を抱えていた。その解決のため尊徳はあらゆる努力をおしまなかった。「みんなが自然と共生し、心豊かに生きられる」社会を目指したのである。

小田原城044_edited_convert_20100406220901 神社の参道

小田原城043_edited_convert_20100406220803 拝殿

神社の一画で呉汁というのを販売していた。呉とは豆汁、豆油をさす。二宮尊徳の時代に食していたというもので、大豆をすり潰して味噌を入れただけのものだ。それとの比較として、大豆のすり潰した物にだし汁、味噌を入れ、さらに油揚、大根、人参、ほうれん草を加えた、いわば豚の入っていない豚汁のようなものが出された。そこに長ネギ刻みを入れる。昔の呉汁と今風にアレンジしたものの2種類を比べて食べてみてどうだろうという訳だ。今風にしたほうが美味しいに決まっている。昔は質素な食事だったのだなという事をしのばせるのが目的だ。

小田原城址公園を後にして、まだ時間が早かったので次の目的地「県立三ツ池公園」に向った。
(参考資料:小田原市役所経済部観光課ホームページ)                 (つづく)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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ロマンスカー乗りたい

 大西医師は,2010/4/5朝のNHK総合でおはよう日本に,ビデオ出演されていました。埼玉医科大学があるから,埼玉のがん治療の病院事情はよい方と思っていましたが,埼玉っていっても広いからな。

 さて,わたしも,先日,県立三ツ池公園に行ってきました。小田原はウメ見物で行く予定が天候に恵まれずに挫折。来年にしました。

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MOTOGENさんの情報力にはいつも感心させられます。NHK総合の番組にまでアンテナを張っているとは驚きです。これからも貴重な情報をよろしくお願いします。
三ツ池公園に行ってきましたか。続きはMOTOGENさんのブログのコメントに書く事にします。
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