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人間五十年、化天(下天)のうちをくらぶれば

4月26日(月)
 鯨統一郎著『邪馬台国はどこですか?』といった歴史ミステリーを呼んでいたら、聞いた事のある文章が目に入った。「下天のうちをくらぶれば」という文言が何故か印象に残っていたが前後の文章は知らなかった。津本陽の『下天は夢か』という小説があるが、その題名が記憶の片隅に残っていたのかもしれない。

人間五十年、化天(下天)のうちをくらぶれば、夢、幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。(幸若舞『敦盛』)

『敦盛』のこの一節は、『倶舎論』の「人間五十年、下天一昼夜」という言葉からきている。仏教には「六道輪廻」という言葉がある。衆生は、現世での善悪の業により、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの世界のいずれかに生まれ変わるのである。ここで云う「人間」とは人間界であり、下天とは天界の最下層の天で、六欲天の四大王衆天のことである。

天上界にもランクがあり、六欲天・色界・無色界そして天界となる。天上界の中でも最も人間界に近い下部の六つの天は、依然として欲望に束縛される世界であるため六欲天と呼ばれている。六欲天も六段階あって、四大王衆天は六欲天の第一天・最下層で、持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所である。
                    
kowaka1.jpg 幸若舞では「化天」となっていて、「下天」は『信長公記』に記載されている。化天(楽変化天)は六欲天の第五位で一昼夜は人間界の八百年であり、下天(四天王衆天)は六欲天の最下位で一昼夜は人間界の五十年である。何故信長が「下天」という言葉に置き換えたのかは分らない。

『敦盛』は幸若舞(右写真)という形で謡われ舞う。幸若舞は詞を朗吟しながら舞うものであるが、舞うことよりも謡が主眼である。戦国時代武士階級に好まれ隆盛したが、江戸時代には廃れ能や歌舞伎にとって代わられた。

大体の意味は読んで字の如しだが、次のようなものだろう。「人間世界における50年などは、天上界から見ればほんの一瞬の出来事だ。まさに夢、幻にすぎない。生きとし生けるもの全て必ず滅びる定めを負っている。」

 桶狭間の戦い前夜、今川義元軍の三河侵攻を聞き、清洲城の信長は、まず「敦盛」のこの一節を謡い舞い、陣貝を吹かせた上で具足を着け、立ったまま湯漬を食したあと甲冑を着けて出陣したと『信長公記』に記載されている。

あらゆる犠牲を払って天下を取ったとしても、それとてもやがては滅びる運命にある。今の現実はやがては消える夢、幻でしかない。こう謡いながら舞った信長の心境はいかなるものであったのか。この心境が逆にいかなる闘いへの恐れも不安も消し去っていたように思える。どうせやがては死ぬ身なのだから一か八かの勝負に出る事に何の躊躇もなかったのだろう。

4万5千の今川軍に対し4千で正面戦を戦おうとするのだからこれは死を覚悟した自暴自棄に等しい闘いといわざるを得ない。ちなみに桶狭間は谷ではなく、おけはざま山であって、両軍の陣営は相互に丸見えの状態であり奇襲の余地はなかった。奇襲戦の物語は江戸時代の戯作者(小瀬甫庵『信長記』)が信長の奇跡的な勝利を脚色するために、考え出したフィクションでしかない。『信長公記』には「無勢の様体敵方より相見え候」と書かれている。

 この謡の前後を記述した方が分り易いだろう。この謡は、熊谷直実が出家して世をはかなむ場面で、諸行無常を謡ったものである。『敦盛』中段後半の一節に以下のとおり記されている。

 思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生を受け滅せぬ者の有るべきか 

 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

(『信長公記』からの引用は『邪馬台国はどこですか』からのものです。)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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戦国大名の子孫は どうしているかなぁ

地獄 餓鬼 畜生 で 三悪道
それに 修羅を加えたものを 4悪趣
人天を加えたものを 6道 というのですよね。 声聞界 縁覚界 菩薩界 仏界
10界 天台師の1念三千
宗教とは 何か 仏教とは 何か

No title

三悪道、四悪趣、六道 というのは知っていましたが、十界というには始めて聞きました。十界とは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十ステージがあるということですね。なかなか奥深い考え方のようです。本当に仏教とは何かを考えさせられます。

No title

仏教の根底に流れる 無常観 
日々の生活の中で 常に これを想えれば
自分にとっての「時間」は有意義になるだろうに
いつも忘れて 雑多な事に悩み 翻弄される。
実家の玄関前には 背が高い沙羅双樹がある。
実家に行くたび 見上げて なぜか ため息です^^

諸行無常

全て無であり空であるといった考え方においては、物事への執着を断ち切り、無我の境に達することです。生への執着も死への執着もない、全て空であり無であるということになります。こういった考え方に至ることはなかなか難しいでしょう。
有意義な「時間」はむしろ雑多な事に悩み、翻弄される日常生活の中に見出せるのであって、無我の境地の中にあるのではないような気がします。何故ならば有意義といったものの見方をすること自体、現実世界への執着を持っている事になるからです。そういった自分の現実から始める他ないでしょう。

No title

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