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院内患者家族交流会(おしゃべり会)

4月30日(金)
4月28日に院内患者家族交流会「おしゃべり会」が病院内で行われた。病院内での交流会は、本来「ももの木」の全体交流会が偶数月に行われるので、奇数月に行う予定だった。

今回は病院が全面内装工事中で、今まで使用していた病棟のカンファレンスルームが使用できず、場所探しで手間取り、通常奇数月の第2金曜日と決まっていたスケジュールが大幅に伸びて28日になってしまったという訳だ。

交流会は新しい病棟の看護師面談室を借りて行われた。新しい病棟の3階は事務関係の部屋が並んでいる。2階と4階以上が病室となっている。3階を見て回ると何と図書室があった。まだ整理中でどのような本が最終的に並ぶのか分らないが、今並んでいるのは分厚い医学書のシリーズものだった。入院しても図書館があると非常に便利だ。だからといって入院したいというわけではないが。

今回参加した人のうち、2人の男性が32歳だった。もう1人は32歳の時移植をして、それから8年たった人だ。3人とも白血病だ。8年前に移植をした人は、その時3歳の娘がいた。32歳の2人の男性の内1人は独身だが、もう1人は10歳と6歳の子供がいる。32歳という働き盛りの年齢で子供が小さく将来への不安はいかばかりか想像に難くない。

10歳と6歳の子供を抱えた32歳の男性は、大阪に転勤して1年目に白血病を発症した。大阪で寛解導入療法をやった。本来東京出身だったので、移植は東京でやろうと思って戻り、東京で一番良い病院探し、この病院に辿り着いたということだ。

お兄さんとHLA型が一致し移植をした。しかし移植後数ヶ月で再発してしまった。完全寛解まで行ってなくて移植をしたのがまずかったのか分らないが、かなりのショックに打ちのめされた。精神科のカウンセラーが必要なほどだった。

現在、肝臓に問題が起こり、発熱したため入院しているが、この件では間もなく退院する。再び移植をするため骨髄バンクにあたった。そこで2名の候補者が上がった。1人はHLAがフルマッチの人で、もう一人は完全フルマッチではないが移植可能な人、もう一人は再びお兄さんという3候補ある。お兄さんは最後にして、現在移植のコーディネーターが2名と接触して、移植の日にちを決めるために動いている。

1年間は休職期間ということで給料が出ていて、今は傷病手当金で生活している。以前は会社人間で毎日遅く、土日も出掛けていた。子供たちと接触する機会などは全くなかった。父親の顔を見てもどこのおじさんといった感じだ。しかし、今は病院にいる以外は家にいる。従って子供たちと毎日顔を合わせる。最初は怪訝そうな顔をしていたが最近は慣れて寄ってきて、色々学校でのこととかお喋りする。

今になって家族というものがどういったものか分った気がしたと言う。家族の暖かさ、有り難さ、それが生きがいとなりうる存在である事を改めて感じる事になった。以前は休日に時間があっても家族と一緒に何かをしようなどとは全く考えずに、パチンコに行ったりして時間を潰していた。

仕事が忙しかったせいもあるのかもしれないが、家族とは一定の距離を置いていたような気がする。それが今では全く違ってしまった。これが病気になって一番変わったことだと言った。

人は何時でも変わることが出来る。思いもよらない病に罹り人生を根底的に変えなければならなくなったという苦しい状況の中で、それをどのように受け止めてどのように生きていくのかその選択がこれからの人生を決めていくのだろう。その時家族は彼にとって大きな力になることだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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