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『燔祭』から『クロスファイアー』へ

5月20日(木)
 『クロスファイアー』は宮部みゆきの超能力者を主人公にした小説だ。中編集『鳩笛草』収録『燔祭』のヒロイン青木淳子が再登場する。念力放火能力(パイロキネシス)を持つ彼女は、「装填された一丁の銃」として法によって裁かれない悪を滅ぼすべく生きようとしていた。

1_convert_20100618085616.jpgそんな彼女が女子高生連続拉致殺人事件の容疑者を焼殺してから二年後、偶然、廃工場で凶悪な若者のグループと遭遇する。4人の若者は瀕死の男を“始末”するために運び込んできた。またしても闘いの火蓋は切られる。彼女は、命を落とした男性から恋人の救出を頼まれた。息絶えた男に「必ず、仇はとってあげるからね」と誓う。だが敵のアジトに乗り込みあと一歩というところで、監禁されていた恋人の女性は何者かに射殺されてしまった・・・。

『燔祭』の中で淳子は一樹に言う「私は装填された銃みたいなものだ、装填された銃を持っていたなら、誰だっていつかは撃ってみたくなる、だけど撃つときは、正しい方向に向って撃ちたい。誰かの役に立つ方向に向って」今がその時だから、妹雪絵を殺した犯人に殺意を抱く一樹に会いに来たという。

「だって誰の役にも立たないなら、ただの人殺しになるなら、どうしてあたし、こんな力を持って生まれてきたか分らないじゃない!」彼女はその特殊な能力故に、個人の制裁を肯定する。

『クロスファイアー』は『燔祭』から2年後の出来事である。淳子は自らの制裁を、「戦闘」として「義務」としてとらえ、自分が装填された銃である事に自覚的に生きようとしている。しかし彼女にも、何が「悪」で、何が「正義」なのか迷うことがある。

絶対的凶悪犯の存在。そしてそれに対峙する超能力を持った人間。個人的制裁は許されるのか。絶えずその疑問は彼女の心をよぎる。しかし状況は次々と彼女に多くの人の死を強制してくる。それに曖昧な形で自分を納得させ次の行動に踏み込んでいく。

人間は、歴史の中で個人的制裁(私刑・リンチ)から、裁判によって裁かれるという被疑者の権利を保障する法制度を作り上げた。心証的には絶対犯人に間違いないと考えられる容疑者でも、裁判の場で証拠によって犯人であると証明されなければ有罪に出来ない。色々な問題点はあったとしても、これはある意味で人間の英知の到達した一つの地平なのである。

被疑者が黒である状況証拠がどんなに揃っていても、明確な物証がなければ任意の取り調べは出来るが逮捕も難しい。証拠によって有罪に出来る反面、裁判で使える証拠が揃わなければ、起訴する事すら出来ない。被害者や被害者家族の報復感情は、法の網の目くぐってのうのうと社会の中で生きている加害者に対する殺意を抱く事になるのだろう。

法によって裁かれない悪を個人的に制裁することへの強い願望を、被害者家族は抱くことがあるのは当然だ。裁かれなかった加害者を淳子の力で葬り去ろうとし、直前で制止した一樹はいう。「俺はひとりの殺人者を葬るために、もうひとりの殺人者を連れてきたんじゃないか」「殺意と正義を取り違えていたのは誰だ」「あれは殺人だ。あんなことしたら俺も君も雪絵を殺した連中と同じになっちまう」ここに個人的報復への歯止めが存在する。

人が個人的に人を裁くことが出来るのか、正義の名のもとに行われる「制裁」は肯定できるのか。この本のテーマは、本の最終章で作者の回答として示される。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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