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全ての人の命は等しく尊い

6月8日(火)
aibo_convert_20100608212200.jpg テレビ朝日で15時から『相棒』の再放送をやっている。この番組は、昔夜やっていた時に何回か見たことがある。1時間ものというのが時間的に丁度いい。「月曜ゴールデン」とか「土曜ワイド劇場」とか2時間もののミステリーは、謎解きが冗長である事があって、最後まで見る気がしなくなってしまう。その点1時間ものは飽きさせず見せる。

その『相棒』の中で印象的な言葉があった。ある男が、権力を背景に自ら手を下した殺人を握りつぶし、いまだ権力を振るってのうのうと生きている男を、仲間の復讐のため殺そうとする。その男は、杉下右京に言う「悪人の命と善良な市民の命と同じだというのか、こんな奴の命など虫けらのようなものだ」。

それに対して杉下右京は言う「悪人の命も、普通の人の命も等しく尊い」。このような言葉が、こういった番組で聞けるとは思わなかった。どんな悪人だろうがその命を勝手に奪うことは許されない。法の裁きに委ねなければならない。

よく知られたエピソードだが、ある日キリストは一人の女に向かって人々が石を投げつけている場面に遭遇した。投げつけている人々に尋ねる。
「あなた方はどうしてこの人に石を投げるのですか。」
「この女は姦通をしているときに捕まりました。」それを受けてキリストはこういった。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」その言葉に、人々は彼女に石を投げるのをやめ、一人また一人とその場を去っていった。(ヨハネによる福音書、第8章)

このエピソードは人を罰することの難しさを表している。同時に善と悪とが決して切り離されたものでなく、個々人の中で渾然一体となっているものである事を示している。人は自らの内に抱えた悪との絶え間ない格闘の中で生きているに過ぎない。悪を悪として断罪する資格を誰が持っているのだろうか。

ある医者の書いたブログを読んでいてその人権感覚のなさに愕然とした。彼は言う「死刑が確定している人間の命を長らえるために、税金で医療行為を行うことは馬鹿げた話だ。検査もしないほうがいい。」死刑確定者は病気になっても放置しておけばいいということだ。もしこの医者が少しでも人の命の尊さを自覚しているならばこの言葉は出なかっただろう。

こんな医者には絶対にかかりたくない。彼が悪、無価値だと決め付けた人間には一切の医療行為は不要だということだ。無罪を推定されているはずの留置場や拘置所の収容者への医療にも抵抗感をあからさまにしている。患者にはあらゆる種類の人間がいる。それを選り好みで医療行為を施すなどそれでも医者なのかと言いたくなる。

この発想でいくと、もし彼の所に殺人を犯し自分も大怪我をして運び込まれた患者がいたとする。彼は治療を拒否して見殺しにすることになるだろう。もしそんな感覚で医療行為をしていたとしたら、医者の倫理にももとる行為だ。人の命の尊さを何よりも重んじ、医療という手段によって命を救う事を目的に医者になったのでないのか。

ドストエフスキーは「三面記事の1行に文章の中にも、その人が生きてきた全人生が凝縮されている」と言っている。殺人等の犯罪行為は刑罰制度の物差しで罰せられるが、1つの事件の発生は、法制度の枠では理解できない個々人の生きた軌跡の結果なのである。

監獄や精神病院など、最も抑圧された人の人権をどこまで保障しているかが、その国の文化水準を写す鏡である。「どんな人の命も同じく尊い」。この言葉がどこまで多くの人の共通の認識になるかがその国の人権感覚を知る指標となるだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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人格の尊重

全くの 笑い話ですが キリストが 自分に罪の無い人は石を投げよ
と言った。投げている人たちは「自分の罪は棚に上げておいて」みたいな。
これをパロディった話が 神の子キリストは罪がない。
最後まで女性に石を投げていたのはキリストだけだった。と
息子たちは こういう事しゃべってオチをつけて楽しんでる風がある

パリサイ人の罠

イエスのこの話はイエスの知恵がパリサイ人の罠を打ち破ったということなのでしょう。実際の話は以下の通りです。

律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」

彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。律法学者はイエスに質問をする時に罠をしかけたのだ。

つまり、石打ちにすると言ったら、あなたは普段から愛を説いていて、殺しを命じるのかとイエスに詰問しようとし、石打ちにしないと言ったら、では、あなたは律法を守らないのかと詰問し、逆にイエスを石打ちにしようと企んでいた。

つまり、どっちに答えてもイエス様を告発できるようにした。その企みを打ち破る回答が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」というものだった。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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