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映画 『BOX 袴田事件 命とは』

6月14日(月)
T00_convert_20100612231909.jpg 袴田事件の再審運動を担っている知人から、是非見て欲しいと紹介された映画が『BOX 袴田事件 命とは』だった。5月29日から、渋谷ユーロスペースと銀座シネパトスで上映されている。先週の金曜日ユーロスペースに見に行った。平日の午後ということもあってか、テーマが重いからか観客は10人位しかいなかった。

袴田事件は、事件経過、裁判での争点、再審での争点など基本的な知識は持っていた。それをどのように映画化するのかの興味もあった。映画は裁判官と被告という2人の存在が交錯する。袴田巌が無罪だと信じていながら、多数決で主任判事として死刑の判決文を書かざるを得なかった熊本裁判官の苦悩が中心的に描かれている。

彼は裁判官退任後、控訴審の弁護士宛に自分で実験した様々な資料を送り、袴田の無罪に向けて努力するが、一旦一審で有罪と確定した判決を覆すのはかなり困難なことだった。それだけ一審判決は重く、それだけ熊本の苦悩は増す。

映画は、事件の発生から取り調べ過程など、時間に従って淡々と細かく丁寧に描き、虚偽の自白が生まれる構造や、冤罪が作られる過程が克明に描写されている。熊本が検察側証拠の問題点を指摘するための実験の様子は、袴田無罪をますます確信させる。

* そもそも事件後徹底的に捜索した味噌樽から1年後に、犯行時の着衣が発見されること事態がおかしいが、実験の結果、味噌の中に1週間でも衣類を漬けておくと、どす黒く染まってきてしまう。それが1年以上漬けてあったという検察側が新証拠として提出した衣類がほとんど黒ずんでいないといった問題点を確認する事が出来、検察側の捏造である疑いを強くするものであった。

* 被害者の刺し傷、計44ケ所をくり小刀で刺した場合刃はどうなるか、豚を吊るし、そこにくり小刀で刺すという実験を行なった時の刃の損傷状態は、検察側が証拠として提出している袴田が使用したとされるくり小刀の状態とはあまりにも違う事が分った。

* 裏木戸から逃げる時、下のかんぬきだけ外して狭い隙間から逃げたと供述しているが、実際に裏木戸と同じ模型を作り、下のかんぬきだけを外して外に出ようとしても体が入らなかった。

* さらに44通の警察での供述調書の内容の変化について、深層心理学の教授に話を聴く。「人は狭い場所に閉じ込められ抑圧状態に置かれると、本能的に今の状態から逃れる行動をとる。相手の意のままに従い、相手の希望する言葉を作り出し今の状態から逃げたいと考えることしか出来なくなる。たとえ嘘の自白によって死刑になるという事が分っていたとしても、ともかく今の苦痛から逃れたいと思うのは人間の本能だ。」

ほとんど寝られない状態で朦朧としていて、さらにいつ終るとも知れない暴行がひたすら繰り返される。このままではなぶり殺されてしまうという恐怖感の中で、袴田は嘘の自白をしてしまう。

* 熊本はこういった実験を繰り返し、専門家の鑑定を聴く事によって、ますます袴田無罪への確信を強めていく。しかし、控訴審も上告審も棄却され袴田死刑が確定していった。

* こういった過程を映画は丹念に描き、それによって観客は袴田無罪の心象をより一層強くしていく。事実の積み重ねこそが真実を明らかにしていくのである。

 映画の紹介
あなたなら、裁けますか?「俺は殺人犯と一緒っちゃ…。俺を死刑にしてくれんね」
平成19年、元担当裁判官・熊本典道が発した告白。「袴田巌は、無罪である」。この苦悩に満ちた40年目の告白が、マスコミに、世論に衝撃を与えた。これは1966年6月30日未明、静岡県清水市で実際に起きた≪袴田事件≫を基にした元裁判官の物語である。

裁判官を辞職し、苦悩する典道は、巌の無罪を実証しようと動き始める…。人は人を裁くことができるのだろうか?人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないか?死刑確定後の現在もなお、冤罪を叫び、再審請求が続けられている<袴田事件>。苦悩する裁判官の姿を通し、人を裁くことの困難と命の尊さを描いた。(公式HPより)

 袴田事件の経過
静岡県中部、静岡市の東に隣接する旧清水市で、1966年(昭和41年)6月30日未明、味噌製造会社の(橋本)専務宅から出火、全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人の死体が発見された。

メッタ刺しにされた死体の刺し傷はあまりに多く、正確な数はわからない。4人の傷の総計は、少なくとも45ヵ所。警察は、焼け跡から発見されたクリ小刀一本を凶器としたが、先端がわずかに折れていただけだった。刃こぼれもしていない。また、警察の調査によると、約8万円のカネが奪われたというが、多額の金品は、手つかずに残されていた。

「こがね味噌」の従業員だった袴田巌さん(30)は、仕事が終って夕食の後、橋本家に近接した工場の2階にある寮の自室に帰った。同僚と将棋をさした後、テレビドラマを見た。午後11時過ぎ、パジャマに着替え、消灯し寝た。

消防車のサイレンの音で目がさめた。グッスリ寝こんでいたので、しばらくの間ウトウトした。「店が火事だ」という隣の部屋にいた同僚の叫び声に飛び起き、パジャマのまま自室を出て駆け降りた。同僚が「消化器、消化器」と大声で駆けてきたので、一緒に探したが見つからない。

やっと消火栓に取り付けるホースを見つけ、同僚たちとホースの束を持って、事務室の前にある消火栓に走った。火事は20分程で鎮火した。消火作業中に水をかけられズブ濡れになった。これが事件当夜の袴田さんの取った行動のすべてである。アリバイは完ぺきで、袴田さんと事件との関係は皆無だった。(「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会」文書より)

 袴田事件の問題点・裁判での争点
§ 取調べ過程
袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。

§ 自白は強要されたものか。
任意性に関する争点 : 自白調書全45通のうち、裁判所は44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの等の理由で任意性を認めず証拠から排除したが、証拠として採用されたのは、たった一通だけである。しかし他の44通の内容と異なった特別の内容があったわけではない。即ちこの一通の自白調書を採用した論理的根拠は何もなかった。

信用性に関する争点 : 自白によれば犯行着衣はパジャマだったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行着衣と認定した「5点の衣類」については自白では全く触れられていない。

§ 凶器とされている栗小刀で犯行は可能か。
つばの付いていない栗小刀で44回に及ぶ刺突があったとされているが、彼の手の平には切傷がついていなかった。またクリ小刀は、先端がわずか1cm程度折れた程度で、あとは原形をとどめたままである。刃こぼれもない。

§ 逃走ルートとされた裏木戸からの逃走は可能か。
消火に駆けつけた住民の一人は、裏戸は「押しても引いても、びくともしなかった、そのため消防士らが体当りで裏戸を押し開けた。」と証言している。

§ 「5点の衣類」は袴田さんの着衣か
事件から1年2ケ月後、工場内の味噌タンクから発見されたということで、大量の血痕が付着した五点の衣類が証拠として提出された。しかし警察側の唯一の物証である着衣は、サイズから見て被告人の着用は不可能である。血液の付着状況は経験則に明らかに反しているのである。

 映画を見た人の感想
「人が人を裁くことの難しさについて考えさせられた」
「裁判員制度が始まり、人を裁くことがあり得る今の時代だからこそ、未来をになう若者に観て欲しい」
「ひとりの人間の人生を終わらせてしまう社会制度を見直すべきではないかと考えさせられた」
「正義を貫くことの難しさと、人を裁く立場にいる人も、裁かれていることを知った」

 監督は語る
「裁判員制度が始まって、まず思ったのは人を裁くことの重さというおことです。」「もし間違いが冤罪につながり、ひとりの人生を奪ったとしたら、それは取り返しのつかない罪であり、科した刑以上の量刑をその人は負うべきでしょう。そんな思いを<袴田事件>を借りて映画にしたいのです。」

 映画に込められた主張
裁判では犯行を全面的に否認。裁判官の熊本は警察の捜査に疑問を抱き始める。乏しい物証の中での、強制の疑いのある自白…。しかし熊本は、無罪を確信しながらも他2名の裁判官の合議に負けてしまう。昭和41年に発生した、いわゆる「袴田事件」。死刑確定後の現在もなお、冤罪を叫び再審請求が続けられている事件だ。

無罪を確信しながらも、死刑の判決文を書かなければならない判事の苦しみ…人が人を裁く事の重さは、裁判員制度が導入された今日、現実に私たち自身が抱える問題となった事を思うと、決して他人事ではない。

2009年5月21日、一般国民が審判を下す裁判員制度制度が導入され、『BOX 袴田事件 命とは』に描かれた熊本典道の苦悩、人が人を裁くことの重さは、同時に現実の我々自身が抱える問題となった。

 裁判員制度の問題点
「裁判員制度はいらない!大運動」は裁判員制度の問題点について次のように主張している。
裁判員制度に対する現段階における世論にあらためて注目してください。2009年5月3日の新聞は、「裁判員裁判に参加したくない」が過去最高の79.2%になり、「裁判員制度の導入に反対」が62%と「導入賛成」の34%の2倍近くになったことを報じました。(読売))5月10日のテレビも、「参加したくない」が84.4%に達したと報道しています。(日本テレビ系)

これが、政府・最高裁が野党、日弁連、マスコミを巻き込み、莫大な血税をつぎ込み5年間の歳月をかけて展開した宣伝に対し、国民が下した「最後の審判」です。国民は、裁判員制度が「市民の司法参加」ではなく、被告人を処罰するという国家作用への強制動員であることを見抜いています。そして、わずか数日で重大な刑事事件を審理し、有罪か無罪かを判断し、死刑をも含む刑罰を決定することの無謀さを危惧しています。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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