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東京拘置所

6月20日(日)
 金曜日に、友人から頼まれて東京拘置所にいる未決拘留者への面会に行った。時間があると思われているので色々と用を頼まれる。訴訟資料の差し入れと、面会での必要事項の伝達だった。何年ぶりかで行ってその様変わりに驚いた。

綾瀬駅からに拘置所の面会室に向う。綾瀬川を伊藤谷橋で渡り、綾瀬川沿いを行くと以前は高い塀に覆われていたが、今は塀も監視塔もなく、公園があり、その先には公務員住宅の高層ビルが立ち並んでいた。公務員宿舎綾瀬川住宅は1,220戸が入居出来るというかなりの規模のものだ。既に住宅は完成し入居者を待つばかりという状態だった。

東京拘置所003_edited_convert_20100620174149 伊藤谷橋から見た東拘

東京拘置所006_edited_convert_20100620174258 綾瀬川沿いに立ち並ぶ公務員住宅

東京拘置所012_edited_convert_20100620174357 面会所入口から見た東拘

 東京拘置所の建替え工事は1997年に着工され、2003年4月段階で中央管理棟、南収容棟が完成し、2006年北収容棟完成した。新舎房は地上12階、地下2階、高さ50mで中央部の中央管理棟と南北に両V字形に伸びる北収容棟、南収容棟がつながる。

東京拘置所の建替え問題が浮上した時に、高層ビルの拘置所が収容者の処遇の改悪につながる可能性があるということで、東京三弁護士会で「東京三会東京拘置所建替問題協議会」をつくり、法務省との交渉を続けてきた。

高層化した名古屋拘置所で収容者の拘禁性ノイローゼが増加したということもあり、そういったことへの配慮を求めるものであった。その交渉の中で、拘置所を高層化して空いた場所を周辺住民に開かれた公園にして、塀に囲まれた暗いイメージを払拭する、と法務省は言っていた。新しい拘置所が2006年に完成し周辺の整備に入った。ところが始められた工事は、公園作りではなく公務員住宅の建設だった。

 2003年南舎房棟が完成し、収容者の一部が移動した。そして色々な問題が浮上してきた。高層化することによる拘置所内の処遇の問題点について福島瑞穂は法務省に質問した。

東京拘置所建替えに関する質問主意書(第157回国会・臨時会)
1、外の景色が見えない問題について
旧庁舎の房は片側が廊下、片側が庭に面しており、被収容者は窓から外の景色を見ることができた。新庁舎では房の両側が廊下で囲まれているうえ、廊下の窓も目隠しのルーバーで覆われ、ほとんど外の景色が見えない。

被収容者が自然の景色に触れ季節の変化を感じることは、拘禁感を緩和する効果があるだけでなく、被拘禁者の心を癒し、ひいては更生にも資することは想像に難くない。逆に、外望が全くなければ、それだけで拘禁感が格段に強まり、被収容者に精神衛生上深刻な影響をもたらすことが危惧される。

2、運動場が屋内で日光も当たらない問題について
旧庁舎では被収容者は屋外(地上)の運動場で運動できたが、新庁舎では地上十二階建ての庁舎の隔階のベランダ(コンクリートの上)が運動場になっている。それだけでなく、実際に出来上がった運動場は外側も黒く覆われて日光がほとんど当たらず、「爪を切るのにも苦労する」ほどの暗さだと聞く。コンクリートの上で、しかも日光も当たらない運動場では「戸外運動」とは言えないのではないか。

 旧舎房は確かに老朽化がすすんで来ていた。しかし窓から庭の風景や空を見る事が出来た。運動も鳥かごと言われている、扇状に仕切りのされた中での運動だが、土を踏み空を見上げながら出来る運動は、コンクリートの暗い箱の中での運動とは全く異なる開放感を与えるものであった。

面会も新舎房では、各階に面会室があり便利だといえばそうだが、歩いて数歩で面会室まで行ける。昔は舎房の廊下を延々と歩き、庭を横切り面会室に辿り着いた。その時庭の木々の葉のざわめきを感じ、花々の香りに嗅ぎそれがどんなに収容者の心を慰めたろうか。

こういった問題点を指摘しながら「東京三会東京拘置所建替問題協議会」は法務省と何回か交渉し、ルーバーの角度を出来るだけ水平にし、光を入れるようにするなど、色々な改善点を約束させたが、結局今となっては、法務省の意図通りの処遇になってしまっている。

DSC00102_convert_20100620174546.jpg  東京拘置所018_edited_convert_20100620174453
 建替え前の拘置所の塀と見張り場             同じ位置から今の風景

 塀が取り払われ、周りに木々が植えられ、小奇麗な公務員住宅が建ち並んでいる風景の中に佇んでいる建替えられた東京拘置所は、依然として暗い影に覆われているようだ。それは死刑場が存在しているからなのだろう。

この建物の中で人が首を吊られて死んでいっているからなのだろう。どのように外観を飾ろうと、拘置所の中の死刑執行場で何人もの死刑囚が処刑され続け、死体となって運び出されたという痕跡はぬぐってもぬぐえるものではない。

辺見庸は「骨の鳴く音」の中で、永山則夫処刑の日(1997年8月1日)の事を書いている。
「思えばむごい夏ではないか。塀のこんな近くにも、時計草や白粉花やカンナが咲き乱れて、烏揚羽は光に黒い粉をきらめかせ、亀は亀とて、生あくびをしながら甲羅干しだなんて。さなきだに、この狂おしいばかりの蝉時雨。

壁越しに、よしや人を縊る音がしたとしても、不意にゴキリと鈍く骨が鳴いたとしても、縊れる音はかき消され、やがては塀の内も外も昨日と同じ、縹(はなだ)の色に一面が暮れ果てて、何もなかった事になるのが落ちではないか。

・・・私には一幅の騙し絵に見えたから激しく危ぶんだのだ。まばゆい光に、ものみなさらされつくしているようで、人も塀も樹木も亀も魚も、じつのところ、示し合わせて陽気に振舞い、あのことを、あの音をなかったことにしようとしているのではないか、と。」(『眼の探求』朝日新聞社刊)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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