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日本の家

12月17日(月)
◆ 日本の家の変様
『監獄の誕生』の中で監獄の囚人管理システムが、学校、兵舎、病院に敷衍して適応されていることが記述されていた。しかしそれは日本の高度経済成長時代にあって監視、管理、隷属の労働力を生み出し、効率よく働かせるための住居の構造にまで適用されて来ていたのである。人々は奴隷労働の宿舎としての住居の中に幽閉され、呪縛され、ベルトコンベアーで職場に搬送される。

◆ 森鴎外記念館
 団子坂上に森鴎外記念館がある。この記念館の地に鴎外は長年暮していた。入り口を入るとガラスケースがあり、森鴎外が住んでいた邸宅の模型があった。かなり広く、庭や縁側もある。記念館の中に入ると鴎外の直筆の文書や、当時の雑誌などが飾られている。鴎外の家のすぐ傍に高村光太郎が住んでいた。かなり密接な交流があったという。

鴎外が住んでいた千駄木町の57番地の家には森鴎外が去ること11年目、明治36年(1903)イギリスから帰朝した夏目漱石が住み、この家で「吾輩は猫である」が執筆されたことから、現在通称『猫の家』と呼ばれている。
 
kan3.jpg 鴎外の家の建て増しした2階からは遠く東京湾 品川沖の白帆がながめられたことから、鴎外はこの家を「潮を観る楼閣」=「観潮楼」と名づけた。観潮楼は文学サロンとしても大きな役割を果たした。明治40~43年にかけて観潮楼歌会が開かれ、明星派・アララギ派等々短歌界の各流派の調和を図り、また、若手新人も歓迎され、新しい試みの場ともなっていた。

与謝野鉄幹、伊藤左千夫、佐佐木信綱、平野万理、齋藤茂吉、上田敏、石川啄木などがこの地に集った。このように人が集う際に使われていたのが海の見える2階の部屋だった。
     
◆ 昔の家屋
 記念館の古色蒼然とした展示物、希成色になった雑誌、セピア色の写真、何故かいわゆる「古きよき時代」を思わせる。それを感じさせるのは、家の構造とそれに伴う人間関係に在ったともいえるだろう。もちろんその頃生きていれば、日清戦争や日露戦争など明治時代の厳しさに苦しんでいた人たちも多くいただろうし、経済的には今と比較にならない位貧しい生活を送っていただろう。しかし、住宅費は貨幣価値的に今と比較にならない位安かったようだ。夏目漱石の小説に良く出てくるが、収入に対してそこそこの家は借りることが出来たようだ。      

 もちろん貧困層のいわゆるどぶ板長屋もあったろうが、そこのおける人間関係は、今のように互いによそよそしく切り離されたものではなく、相互扶助的な関係があったと思う。開放的な家で他者と自己との関係が濃密なものとして存在していた。

 夏の夕方縁台で将棋をしたり、スイカを食べたりといった風景は明治といわず、何十年か前まで、下町のおなじみの風景だったようだ。豊かな人間関係を象徴するようなそういった情景は今でも残っているかもしれない。しかしこういった光景は確実に減少し、消滅に向かっている。時代は「家」や「土地」に対する人間の確執から「人間対人間」の確執へと移行し始めたのである。

何処から日本的な家の崩壊が始まったのか。藤原新也が『東京漂流』(1983年刊)の中で書いている。

◆ 『東京漂流』
 「1956年団地第1号が作られた。これは牢獄の建築システムから採用した、「牢獄」の人間管理システムである。時代はこの時点において「人間管理」へ向かう。集合住とは60年代という経済成長時代、つまり経済の「戦争」を戦う為の新しい日本の兵舎であった。

 家はシステム量産型の[冷たい]機能に変質した。変質以前の日本の家屋構造は機能的ではなかったが世間に向かって開放されており、自然環境の中で呼吸している「生き物」であった。

 家の構造が開放から閉鎖に向かった。人々の家はそのお互いが交流するものから、お互いを遮蔽するものへと変容していったのである。その遮蔽とは人間関係の遮蔽にとどまらない。かっての日本の家の構造は他人に向かって開放されていたとともに縁側、神棚、床の間など自然に向かって交流する非合理な機能を備えていた。

 高度成長期の人間が生産と拡大に奉仕する目的適性を持ち始めた時、それは無駄の多い効率的でない家として排除された。家はこのように世間や自に向かってより没交渉になり、自閉し、非合理や無駄を排した無機物に変化していった。」


 「生産と能率の拡大」を至上価値とする社会では人間と人間生活を生産のための一機能として捉えた、そしてそれを妨げる「人間的なる感情や行為」を徹底的に抑圧していく中で、日本的家の崩壊は、加速度的に進行していったのである。家はくつろぎや安らぎ家族との関係の場ではなく、生産のための備蓄基地でしかなくなったのだ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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非公開コメント

>家の構造が開放から閉鎖に向かった。
というのは身につまされますね。住宅に関する生業をしておりますが、マンションもセキュリティー、
外部からの侵入を遮断でき、どれだけ内側が安全で居心地良いかを
お客様はもとめられます。
我々の幼少の頃とは隔絶の感がありますね。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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