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いかに生きるか

10月7日(日) 
 休日は早朝でも何故か静謐な感じが漂っている。快晴で秋の気配が感じられ肌寒さが心地よい季節感を味わわせてくれる。日課のラジオ体操と散歩をこなし、明日から天気が崩れるというので郊外に散策に行こうかと思ったが出遅れて、結局池袋の世界堂に行って額縁を買った。
 
 日曜日、時間とは何か、それを一番感じさせる曜日だ。普段は押し流されながら生きている。日曜日には自分が何をしたいか考えなければならない。趣味にもエネルギーがいる。何を自分が一番したいのかそれがいつも問われている。自分の人生に目的などあるのだろうか。子供も大きくなった、親がいなくとも後は自由に育つだろう。

 今の生活は毎日が日曜日だ。望んだものでなくともそれが現実なのだ、毎日生きることの目的を考えていく日々だろう。時間は有り余るほどある。しかし目標など見つけることができるのだろうか。レーモン・クノーの『人生の日曜日』という本がある。この言葉が好きだった。仕事が忙しい時に憧れの言葉として胸に響いた。それが現実となった時憧れは困惑となる。  

 どのようにしてに色々な人との人間関係を築いていけのだろうか、体調の問題もあり、考えるところは色々ある。いったいどういった生き方が可能なのだろうか。家に居れば出かけることにかなりのブレーキが掛かることは当然だ。それは私の病気のことを心配してくれているからで毎日色々なところに出かけることなど許される訳がない。家を出れば、色々な人との関係も築いていけるだろう。今の家に居て安楽な生活をしているのと違って、外で一人暮らしをすればそれなりに大変なことになるだろう。

 病気が悪化しておらず、快方に向かっているのだったら人生の選択の幅はいくつかあっただろう。しかし確実に悪化し、いつ入院するか分からない状態の中で、MP療法をやめてベルケード療法に移行し入院しても直る見込みは35%というものだからななおさら選択の幅は限られる。いや選択の幅などはない。

 白血球が今2600しかなく(正常値3800以上)減少すると発熱等の症状が表れるらしいので気をつけていなくては。体力の消耗が感染症にかかりやすい条件を生み出していく、呑気にストレスと無縁に暮らしていくほか無い。どう生きたらいいのか等の質問は未来のある人のもので、余命が限られた人間にとっては逆にその日暮らしになってしまう。

 あと5年しか生きられないとしたら貴方はどうしますか、どうしたいですか、といった質問をされた時、その場ではやりたいことをやる享楽的に生きるなどいうかもしれないが、いざ実際にそういう宣告をされた人間は答えなど出せるはずがない。

 未来が見えている。未来が決まっている人間にはどう生きるべきかなどの回答などない。何かをやっても結局何も成就できないとわかっているから何にも手を出すことが出来ないのかもしれない。その限りかなり絶望的状況である。「絶望とは死に至る病」(キエルケゴール)。それを超えていく人も居ないわけではない。最後に「命の炎を赤く燃やす人」はいるだろうが、それはまれだろう。しかしそれでも人は絶えず自らに問い続ける「如何に生きるべきか」と。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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