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映画 『告白』

8月12日(金)
315x210_convert_20100813114140.jpg『告白』は湊かなえの同名小説を、『嫌われ松子の一生』の中島哲也監督が映画化したものである。映画を見る前に小説を読んだ。小説では、何人かの主要人物の独白を中心とした表現様式によって事件の真相を、徐々に外堀を埋めていくように明らかにしていく手法の斬新さに感心した。

独白を通しながら、1つの殺人事件をそれぞれの価値観で回想していく中で、各人が全く違った見方をしている事が明らかになっていく。それは個人的価値観の相違であり、社会的「悪」も、個人的な「正義」にいつでも転化できることの意味を鋭く問うことになる。もともと各人の価値基準と社会的善悪の判断は別の所に存在する。自分が価値を置いているものを蹂躙されたことへの怒りと憎しみの表現は「復讐」という社会的モラルを踏み越えた形で表現され、それは善悪の彼岸にあるのだ。

小説を読んでから映画を見るか、映画を見てから原作を読むか、判断は別れる。小説を読んでから、その小説が面白かった場合それがどのように映像化されるかに興味ある。小説を凌駕するような映画にはめったに出会うことはない。しかしこの『告白』は小説をかなり忠実になぞりながら映像化しているが、監督独自の映像表現の中で、かなり見応えのある作品として仕上がっている。

STORY:女教師・森口悠子の3歳の一人娘・愛美が、森口の勤務する中学校のプールで溺死体で発見された。数ヵ月後、森口は終業式後の1年B組のホームルームで、37人の前に立ち「警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒2人に殺されたのです。」と衝撃の告白をし、ある方法でその2人の生徒に復讐をしたことを明らかにする。

13歳の中学生の殺人事件、彼らの中に潜む心の闇が1つの形となって表出した事件である。この中に3組の母親と子供が登場する。娘を殺された母と娘の関係、犯人Bと過保護な母親との関係、犯人Aの母親への渇望、この子供と母親の関係性が横軸となり、学校という閉鎖社会を縦軸とし、現代社会における子供達の生き辛さをも絡ませながら物語は進行していく。

「これは復讐譚ではない。学校崩壊の状況下、それでも教師としての性を全うしようとする女性が、子供の目線に降り命の尊さを過激に諭す残酷寓話である。人間臭いゆえ泥沼にはまった者が抱える痛みと哀しみ。憎悪は反転し慈愛へと向かい、生きづらい時代の大きな物語に昇華する。」(清水節)(eiga.com)と解説にあった。

娘を殺された森口悠子が、ホームルームでの告白の途中黒板一杯に「命」と書く。この映画の中では、「命」とは何かを考えさせられる場面が様々な形で表現されている。最愛の娘の命を奪った犯人に対して殺したいほど恨み憎しみを抱くのは当然だろう。それも大した動機がある訳でなく、遊び半分、または自らのプライドのため娘を殺されたのだ。

その意味で彼女の復讐は、「命」の重みを自覚させるためにといった方法になった。自らの死を望む犯人Aに対しては、勝手に死なせないという手段をとった。復讐は綿密に組み立てられ進行していく。しかし復讐が完遂したとしても娘は戻らない。時々その空しさに打ちのめされる事もあるが、復讐は最後まで行われる。少年法で刑事罰の対象にならない13歳の犯人A、犯人Bは自らの犯罪によって自壊していく。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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