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受刑者処遇の改悪

10月12日(火)
 何故権力は、人権を抑圧する事に熱心なのだろうか。あらゆる機会を捉えて少しずつ我々の権利を狭めていく。警察庁、法務省はその最先頭に立っている。

受刑者の処遇は明治41年に成立した監獄法、監獄法施行規則によって定められている。しかし実際の刑務所での受刑者処遇は、法務省通達で行なわれ、刑務所長の大幅な裁量が認められていた。受刑者の処遇が法律ではなく通達や所長裁量でなされるということによって、守られるべき受刑者の権利も当局の都合によって剥奪してきた。

明治監獄法の改正の動きの中で、法務省は1982年刑事施設法案、警察庁は留置施設法案を策定し、代用監獄の永続化と獄中者の権利の制限を推し進めようとしてきた。この動向は長い闘いの末阻止された。

その後監獄人権センターなどの様々な人権団体の運動、日弁連や学者の働きかけによって、2003年の行刑改革会議提言などを踏まえながら、2006年に「受刑者処遇法」(新法)の成立にこぎつけた。特に受刑者との外部交通権に関しては極めて大きな争いの中心であった。

 現在の再犯率は39.9%(満期出所者では63.3%,仮釈放者では30.8%)(平成18年版犯罪白書)である。何故再び罪を犯し刑務所に舞い戻ってしまうのか。出獄後の生活が出来ないからだ。刑務所では手に職をつける事が出来ない。もちろん前科者を受け入れる社会体制がないということもあるが、外部交通が制限され友人や家族の絆が失われてしまうことも大きな要因となる。

外部交通の遮断は家族、友人関係を引き裂いてしまう。ノルウェイの刑務所のように、外泊、外勤などを導入し、少しでも家族の絆を深めることが必要だ。その意味で外部交通の確保は受刑者の社会復帰にとって極めて重大な問題である。

新法の「外部交通に関する受刑者についての留意事項」は次のように記載されている。「適正な外部交通が受刑者の改善更生及び円滑な社会復帰に資するものであることに留意しなければならない。」この精神を守って欲しいものだ。

 新法は受刑者の外部交通権の大幅な拡大をもたらした。今までは親族以外の面会、差し入れ、文通は認められていなかった。新法は友人に対しても外部交通が開かれるようになった。

友人との面会、文通が可能になり、家族以外の第3者からの差し入れも出来るようになり、様々な社会の情報を仕入れる事が出来るようになった。新聞の個人購入も認められるようになった。

受刑者は外部の人との幅広い関係の形成によって社会性を獲得し、出所後の生活のルートを作り上げていく可能性を広げていく事が出来るようになった。しかし新法でも所長の裁量権による外部交通の制限が記載されている。

 新法成立後、友人との面会、差し入れ、文通が広く認められるようになった。それがごく最近まで出来ていた。しかし、最近になって外部交通が再び制限が厳しくなって来ている。幾つかの例を挙げよう。

獄中者処遇の改善をめざす獄中者組合という組織が、古本市という企画をやっている。2年に一度、獄外に広く呼びかけて、不要になった本を集め、それを一覧表にして獄中者(未決拘留者、受刑者)に差し入れる。希望の本を選んでもらって、本の提供者が希望者に差し入れるということを今まで行なってきた。

今までは何の問題もなく受刑者に本は差し入れられてきた。しかし今年は、全ての刑務所から、差し入れた人に受刑者との関係、身分を明らかにするよう通知が来るようになった。刑務所からの設問に答え身分証明書のコピーを添付し返信用封筒に入れて送り返さなければならなくなった。

きちっと回答し身分も明らかにしたにもかかわらず、岐阜刑務所、名古屋刑務所からは受刑者への差し入れは不許可といった通知が来て、廃棄するか、着払いで送り返すか返答しろと言う。

理由は新法の46条1項-刑事施設の規律及び秩序を害するおそれがあるものであるとき、2項-差入人が親族以外の者である場合において、その受刑者に交付することにより、その矯正処遇の適切な実施に支障を生ずるおそれがあるものであるとき、差入人に引取りを求める事が出来るに該当するというのだ。普通の娯楽小説を差し入れる事がどうして規律秩序を乱し、矯正処遇に支障をきたすの全く不明である。

今まで友人として普通に面会していたが、ある時から面会内容が「出所後の仕事」について以外は認めないという事になった。看守が立ち会っていてそれ以外の話をすると面会を打ち切られる。安否などの問題は手紙でやり取りしろと言う。これは栃木刑務所の例である。

横浜刑務所では、ある受刑者に対し最初は5、6人の友人の面会を認めていたが、ある時から2名以外は面会させないという事になってしまった。

 色々な刑務所で外部交通の締め付けが行なわれている。段々と新法成立以前に戻っていくようだ。この一斉の受刑者の外部交通制限は法務省の通達があったとしか思えない。苦労して成立させた新法が、法務省の都合のいい解釈で捻じ曲げられ、それがまかり取っているということだ。

法務省は受刑者の権利の制限を何故しようとするのか。これが権力の本質なのだ。拡大してきた権利をいかにして元に戻すか、それを彼らはいつでも考えている。受刑者の権利の抑圧を通しながら、やがては市民の権利の抑圧へと向かって行くのである。

権力にとって国民は自らの手の中で動く駒でなければならない。権利など主張する自立した存在であって欲しくないのだ。いつでも国家のために自らを犠牲にし戦争に馳せ参ずる存在でなければなない。あらゆる権利の制限は、最も弱いものから始まる。それを認めてしまうと、ある時自分の権利などどこにもなくなってしまっている事に気がつくのである。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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