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曹洞宗大本山總持寺

4月6日(火)
曹洞宗大本山總持寺(諸嶽山)
総持寺の入口は鶴見大学、鶴見短期大学に挟まれるような雰囲気だった。参道の両側は大学のキャンパスだ。広大な総持寺の敷地を大学が徐々に侵食してきている感じだ。総持寺の境内には、鶴見大学付属中学校、高等学校への道案内の表示があった。

「本学は仏教、特に禅の教えに基づく人格の形成をもって、建学の精神としている」とあるように大学、高校、中学全て曹洞宗の教えに従って運営しようとしている。しかし今時の若者にそれを強要しようとしても無理だ。大学も経営していかなけれならない。そのために生徒が集まらなければならない。

こういったことで「本学園の母体である總持寺を開かれた瑩山禅師・福井県に永平寺を開かれた道元禅師」の教えはかなり薄められた形にならざるを得ない。熱烈な創価学会員が池田大作の教えを学びたいという熱き思いで創価高校や、大学に入るのとは訳が違う。

総門を潜り参道の緩やかな坂を上がっていくと、目の前に聳え立つ山門の強大さに驚かされる。日本一だと言われるが、大きいことは良い事だを地で行く様な造りだ。太祖堂もその大きさに驚いた。本来清貧である事を旨とする宗教者もそれなりに権勢を誇示したいのだろうか。

総持寺縁起:能登半島の一角、櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)に諸嶽観音堂という御堂があった。そこの住職である定賢権律師が、ある夜に見た夢のお告げから、總持寺の歩みが始まる。瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、能登に於いて570余年の歴史を刻んできた。
しかし、明治31年(1898)本堂の一部より出火し、伽藍の多くを焼失した。焼失した伽藍の復興、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、当時の貫首、石川素童禅師は大決断をもって明治40年、寺基を鶴見の地に移した。曹洞宗は大本山を二つもっています。福井県にある道元禅師の永平寺と鶴見にある瑩山禅師の總持寺です。

総門:門前に立つと、「三樹松関」と書かれた扁額が目に入る。總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来してる。この総門は特異な高麗門の様式で建てられている。

小田原城066_edited_convert_20100406221622 総門

三門:総門をくぐり、七堂伽藍の最初に出会うのが「三門」である。鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさを誇る。三門には、阿吽の仁王像が納められている。

小田原城069_convert_20100411083043 三門 

三松閣:三門に向かって右側の切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇。檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場であり、宿泊施設も備えられている。

小田原城071_edited_convert_20100406221932 三松閣 

大祖堂(瑞応殿):
開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及ぶ。貫首禅師演法の大道場たるのみならず、諸種法要修行の場とされる。

daisodo_convert_20100406222034.jpg 大祖堂 

仏殿(大雅寶殿):七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来(坐像、木彫)を祀っている。

butsuden_convert_20100407212337.jpg 仏殿 

(参考資料:総持寺ホームページ)

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