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自然との共生を

10月24日(日)
§ TBSの朝の番組「サンデー・モーニング」の「風を読む」では、日本各地の市街地にまで出現する野生動物の置かれている状況について取り上げた。人間の手による自然界のバランスの崩れ、生態系の破壊によるものだといった観点で、世界で起こっている生態系の異変が映し出された。

明治時代まで人間は動物を自分たちと同じレベルで考えていた。日本にも近代主義、西洋的価値観が蔓延し、人間の絶対的価値を大前提に進歩を優先し開発を進め、人間は過剰に消費し自然との共生を放棄した。乱開発と乱獲によって自然を破壊し、森を疲弊させてしまっている。

人間は何かを得ると何かを失う。そしてそれを修復しようとはしない。地球という生態はバランスを失い、それがやがて人間に跳ね返ってくる。自然破壊を行ないながら開発と浪費を繰り返してきた人類に対して、自然は復讐を開始するだろう。そしてそれは地球温暖化という形で既に始まっている。

明治の初期にある外国人が日本の家屋を見てヤモリ、蛇、ケジケジなどの生物が動きまわっているのを見て驚いた。どんな動物とも共存して暮らすという事が何の疑問もなく行なわれていた。どんな無意味に見える生物でも生態系の中で必要な役割を果たしている。

昔日本に来たアメリカの女性が馬に乗ろうとしてその扱い辛さに、日本人は動物を甘やかしていると言った。日本人にとって家畜は支配し従属させる物ではなく、いわば家族の一員であった。

§ 江戸時代日本にやってきた宣教師が「人間は神が作った最高の被造物である」と話をしたところ、聴衆のひとりが「何故人間が他の動物より偉いのか」と質問した。

村上春樹の「人食い猫」という短編小説に同じような話があった“私はすごく厳格なカソリックの学校に通っていた。その入学式のすぐ後で、偉いシスターの話があった。「船が難破して無人島に流れ着く。ボートに乗れたのはあなたと一匹の猫だけ。島に食べ物はなく、ボートには10日分の飲料水と乾パンがあるだけ。

あなたならどうしますか?その乏しい食べ物を猫に分けてやりますか?それはいけません。皆さんは猫に食べ物を分け与えてはいけません。何故なら、皆さんは神に選ばれた尊い存在であり、猫はそうではないからです。ですからそのパンはあなた一人で食べるべきなのです。」”キリスト教的、西洋的価値観を端的に現した文章だ。


幾つかの野生動物の現状が放映され紹介された。熊が民家や町の路上に出没する事が各地で頻繁に起こっている。こういった野生動物の出没は、国の施策に対する警鐘のようでもある。奥山と人里の中間地帯にある里山が開発によって減少し、森と人里の距離を縮める。杉の植林によって広葉樹が減少して、ミズナラやコナラなど熊が主食とする木の実が減り、熊が食料を得にくくなって来ている。

エゾシカ

昨年札幌市にエゾシカが現れた事があった、エゾシカは明治初期の乱獲と豪雪により、一度は絶滅の危機に瀕した。ところが、その後の保護政策と天敵だったエゾオオカミの絶滅などを背景に個体数を徐々に回復させてきた。天敵のいないエゾシカの生息数は増大し、道内には現在30~40万頭のエゾシカが生息している。10万頭程度が適正生息数である。年間の農林被害は30億円といわれている。カナダから狼を輸入しようという話も出ているという。

カンガルー

オーストラリアでもカンガルーの駆除を始めている。ディンゴというオーストラリアでの最大の肉食獣でコアラやカンガルー、家畜の天敵であったが、家畜を荒らすという事でかなり駆除された。天敵が少なくなったカンガルーが首都キャンベラ近郊で大量に繁殖し、干ばつで草が多い市街地に出没するようになった。政府はカンガルーの大量処分を認可し「カンガルーを安楽死させる方法」などという本まで出て、カンガルーの殺処分が行なわれている。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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No title

先日福島県の会津に母子の3頭の熊が町に現れてテレビでその姿が放映されました。昨日はやはり母子3頭の熊が柿を食べているところを大人と子供の2頭が射殺されたと報じられました。子熊一頭は逃げたそうです。

場所が近いので最初に現れた熊たちの可能性があります。威嚇する母熊のそばで逃げ惑う2匹の子熊を思い出し、かわいそうになりました。

野生の動物と人間の共存は、人間の生活圏が時代とともに変化しているので難しいものになっています。また温暖化で害虫が蔓延して、熊のえさとなる実をつけるナラなどの木がどんどん枯れているとも言われています。なんとか良い解決策がみつかるといいのですが…。

No title

大分前にキアヌ・リーブス主演の「地球が静止する日」という映画を見た事がありますが、「地球の管理を人類に任せていたが、このまま行くと地球は人類の手によって滅ばされてしまう。これ程豊かな星は何とし存続させなければならない。そのために人類を絶滅させる」というものです。

最終的には人類のこれ以降の可能性を信じて人類滅亡にはならなかったわけですが、この中の教訓をひしひしと感じます。我々の世代が破壊した地球の生物や資源、温暖化現象などが、我々の子孫に大きな負担を強いるのは確かです。それを少しでも食い止めるには何をしていくか極めて難しい問題です。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
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