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北区のさんぽみち-7 赤羽・十条エリア

10月27日(水)
 血液検査、眼科検診、血液内科検診、レナリドミド処方、ゾメタ点滴を済ませ病院を出たのが14時だった。少し喉が痛く風邪気味だった。風邪でも市販の薬は、今飲んでいる薬との相性が分からないので、担当医に処方してもらう外ない。風邪が悪悪化した時のために、PL顆粒(総合漢方薬)、クラリス(抗生剤)、ムコダイン(粘膜強化)を処方してもらった。

病院を出ると珍しく秋晴れの上天気だった。めったにない晴天の機会だった。家にすぐ帰るか少し散歩していくか迷ったが、結局行く事にした。今回はコースが短く、行き易いのを選んだ。北区のさんぽみち「赤羽・十条エリア」だ。コースは以下の通り。

JR 赤羽駅→静勝寺→香取神社→法真寺→鳳生寺→稲付公園→清水坂公園→十条富士見銀座商店街・十条銀座商店街→JR 十条駅

赤羽駅の西口に降りる。東口もそうだが繁華街が広がっている。東口の方は駅からかなり繁華街が続くが、西口のほうはすぐ繁華街が途切れ、閑静な住宅街に入り込む。西口方面は、駅から少し行くと小高い丘になっている。神社仏閣はこの丘の上にある。最初の目的地静勝寺には、急な階段を上っていかなければならない。静勝寺のある場所は昔稲付城があった。階段を上った所に稲付城址の説明看板がある。

静勝寺(自得山 曹洞宗)
江戸城を造ったことで知られる室町中期の武将・太田道灌が、砦として使用したといわれる稲付城。道灌の死後、稲付城を寺にしたのが静勝寺のはじまりです。稲付城跡はこの寺域から南へかけての丘陵一帯とされています。

稲付城跡
この付近には鎌倉時代から岩淵の宿が、室町時代には関が設けられて街道の主要地点をなしていました。稲付城は、その街道沿いで三方を丘陵に囲まれた土地に、江戸城と岩槻城を中継するための山城として築かれたのです。その後も江戸時代を通じて太田氏は、木造太田道灌坐像(北区指定有形文化財)が安置された道灌堂や厨子を造営するなど静勝寺を菩提寺としていました。

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 静勝寺本堂                          道灌堂   

 静勝寺から次の目的地香取神社に向う。丘の上の道は幅が狭く全て曲がっている。真っ直ぐな道がない。また行き止まりが多い。これは城があった時の道をそのまま使用しているからだろうか。敵が来た時に要所、要所で待ち伏せるのに道が狭く曲がっていた方が闘い易い。

曲がっている道というのは道を間違えるといつまでたっても同じ所を回っている事になりかねない。なかなか香取神社に辿り着けないので、向こうからやってきた70歳位の老人に道を尋ねた。この位の年齢で昼間歩いているということは、定年退職した人が多い。そういう人は、近所の散歩をよくするし、地元の神社仏閣についてかなりの知識を持っている人もいる。昔道を訪ねた時、目的の寺院の由来について、15分ばかり解説してくれた事がある。

 道を尋ねる時、神社は知らないかもしれないので、傍の公園の名前で訪ねた。「稲付公園はどこですか」と。それを言い間違えて稲村公園と言ってしまった。その老人はそんな公園はありませんよとそっけなく答えた。質問を変えて香取神社を知っていますかと聞いたところ親切に場所を教えてくれた。

再度北区のさんぽみちのモデルコース表を見て、稲付公園である事が分ってその場所を聞いた所、それは知っていると場所を教えてくれた。折角教えてくれたので、どうこういうわけではないはないが、通常稲付を稲村と間違えた質問に対しては、「稲付の間違いじゃないでしょうか」とか「稲付公園ならありますよ」と答えると思うが、それをそんなものありませんという一刀両断に切捨てる態度はむしろおかしかった。聞いた道を5分ばかり行くと香取神社とその隣にある法真寺に辿り着いた。

香取神社の境内からは見晴らしがよく新幹線、京浜東北線が見られる。法真寺には木々が生い茂り、空を突くような巨木の影が境内おおっている。枯山水の庭はよく手入れされ、その庭を見るだけでも来たかいがあったというものだ。

香取神社
旧稲付村の鎮守社です。創建時期は不明ですが、伝説によれば奥殿の中に安置されている朱塗りの本殿は、かつて上野東照宮の内陣だった物で、三代将軍家光が霊夢を見たことにより慶安3年(1650)に稲付村に移築したものとされています。

境内には北区内では珍しい「力石」が7個奉納されています。力石というのは、昔、村の力自慢の若者たちがこれらの石を差し上げて競技したもので、軽い物で約71Kg、重い物では約 260Kgもあります。

021_convert_20101028165047.jpg 赤羽十条オース019_convert_20101027222523
 香取神社本殿                       力石

法真寺(稲附山 日蓮宗)
天正元年(1537)、慈眼大師(天海僧正)の弟・證導院日寿上人の開山で、 開基は京都山科毘沙門堂跡守澄法親王と伝えられています。慶安2年(1649)に徳川家光より十三石二斗の御朱印を賜りました。現在でも京都では、門跡寺院の格式で処遇されているそうで、京都の公家寺と同等に、塀に二本の白線を入れる権利を持っています。

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 法真寺山門                         本堂

 稲付公園に向うため坂を下っていくと突き当たりに暗く木々に覆われた寺院が目に入った。寺院の前に坂があり鳳生寺坂と呼ばれている。北区の坂には四角の鉄柱が建っていて坂の名前とその由来を書き記してある。

柱には次のように書かれていた。「この坂は、鳳生寺門前から西へ登る坂で坂上の十字路まで続き、坂上の旧家の屋号から六右衛門坂とも呼ばれます。坂上の十字路を右(北)へ向かうと赤羽駅西口の弁天通り、左(南)へ向かうと十条仲原を経て環七通りへと至ります。」

坂の名前の由来から江戸時代の交通網を理解していくのは面白い。鳳生寺には裏山があるが何十年も手入れしていないような木々が鬱蒼と茂り暗く沈鬱な雰囲気が漂っていた。本堂も人気がなく古色蒼然としたその相貌は歴史の谷間に埋もれた廃屋を思い起こさせる。

 この寺の裏山は稲付公園と背中合わせになっている。再び坂を上がり稲付公園に行くと、ここは高台になっていて見晴らしがよく、木々に覆われ夏などは涼を取るのに最適だろう。稲付公園から清水坂公園までは5分位だ。

かなり広い公園で入口に「向かい合って」という皇太子御成婚記念のモニュメントが立っている。武蔵野台地の崖地を生かした高低差のある公園で、その高低差を利用し滑り台や滝、渓流が作られている。ジャブジャブ池があり夏は子供たちにとって絶好の遊び場所だろう。時期外れなので放流は中止になっていた。広い芝生の広場がありゆったりとくつろぐのに最適だ。

北区自然ふれあい情報館が併設されており、自然環境についての展示や自然に触れたり、学習できる施設がある。

鳳生寺(岩淵山 曹洞宗)
 
曹洞宗の鳳生寺は、岩淵山と号し、太田道灌の開基と伝えられ、放生寺と号していました。岩淵より当地へ移転、また近年鳳生寺と改称しました。北豊島三十三ヶ所霊場11番札所です。

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 鳳生寺本堂                         稲付公園からの眺望

清水坂公園
山間の渓流をイメージした「流れ」は、全長150m、高低差10m、7か所の出口からは毎分約5トンの湧水(減菌処理水)を放流している。また、スピード感あふれる、長さ52mのローラーがあり、芝生広場の周りにはおよそ68種360本の樹木が植えられている。

赤羽十条オース040_edited_convert_20101027223330  037_convert_20101028173038.jpg   038_convert_20101028173442.jpg
  入口のモニュメント         公園の石の造形

清水谷公園から十条富士見銀座商店街・十条銀座商店街を経て埼京線十条駅に向う。商店街に入って直ぐの所の露地を曲がると日枝神社がある。かなり小さくパッとしない神社だが地元では庚申塔の建立300年を記念して十条仲原庚申講が復活している。

仲原庚申講では、暦のうえで、60日目ごとに廻ってくる庚(かのえ)申(さる)の日に、年間6回庚申祭りを催し、夜店も出る。また神社の祭りの神輿もここから出る。地元では大きな意味を持っているのだろう。

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 日枝神社                          十条銀座商店街

十条銀座商店街はアーケードで覆われ、16時半頃だったが、かなりの買い物客で賑わっていた。大型スーパーの進出で地元商店街が疲弊していく中で、活性化しているここの商店街はよくニュースでも取り上げられる。この商店街の入口に十条駅はある。
(参考資料:北区観光HP)

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