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映画『誰も知らない』

12月26日(水)
『誰も知らない』
 1988年に発生した巣鴨子供置き去り事件を題材として、是枝裕和監督が15年の構想の末、満を持して映像化した作品である。母の失踪後、過酷な状況の中幼い弟妹の面倒を見る長男の姿を通じて家族や周辺の社会のあり方を聴衆に問いかけた。

あらすじ:
 あるアパートに暮らす母(YOU)と4人の子供たち。母はそれぞれ父親の違う子供たちを世間の目から隠すように、学校にも行かせず部屋に閉じこめ、仕事に出かけていく。家事や弟妹の面倒は12歳の長男・明(柳楽優弥)の仕事だ。そんなある日、母は現金20万円と「しばらく頼むね」という書置きを明に残し、姿を消してしまう。それでも明の働きで、4人兄弟は子供だけの楽しい生活を送るのだが、やがてお金が底をつきはじめ…

「誰も知らない」の世界
 物語は残された子供たちの日常の情景を遠景のカメラで傍観するように感情移入を交えずノンフィクション的に追っていく。学校に行きたいとか友達と遊びたいとかう子供たちの感情もあきらめに似て控えめで抑えられて表現されている。ここは善悪の彼岸だ。そういった価値判断でなく、あるがままの日常が淡々が推移していく。

 屈託のない母親をYOUは好演している。「私が幸せになっちゃいけないの!」と叫ぶ姿はまるで子供のようだ。彼女のしたことは、明らかに悪いことだけど、ただの悪者にならなかったのは、彼女の大人になりきれない子供っぽさが感じられるといった彼女本来の自分を表現できているからだろう。

 わざとらしい演出を極力排し、無理矢理盛上げたり、メッセージを押しつけたせず、現実をしつこいほど丹念にし描写し、子供たちの素の魅力、子供のたくましさと脆さを自然な表情で引き出し、静謐な空間描写によって、それがかえって過酷な事実の重さをずっしりと感じさせている。

 この映画の元になった「巣鴨子供置き去り事件」といった悲惨な現実を、ドキュメンタリータッチで突き放して撮ることで、今の社会状況の問題点を訴えることも出来たろう。しかし敢えてそれを回避している。そのことによってこの映画は実に巧みに「現実らしさ」を装っている。劇的な要素を拝しながらも、実は全編に亘って周到に計算されたつくしたリアリズム持ち続けている。

 それは劇的でないことが現代では劇的である(非日常である)というアイロニーもあるが、後半の次男・茂の行動がたまらなくスリリングで目が離せなくなる演出は妹の死よりも日常性の中の非日常性を感じさせる。周囲の「知っていた」人たちが何も行動を起こさない、ということ自体この日本の子供たちの現実を取り巻く闇の深さをひしひしと感じさせるものである。そういった意味で残酷だがさわやかな映像を提供している。

誰も_convert_20100507193849「誰も知らない」に寄せる 谷川俊太郎
  生まれてきて限りない青空に見つめられたから
  きみたちは生きる
  生まれてきて手をつなぐことを覚えたから
  君たちは寄り添う
  生まれてきて失うことを知ったから
  それでも明日があると知ったから
  君は誰も知らない自分を生きる。

巣鴨子供置き去り事件
 東京都豊島区で1988年に発生した保護責任者遺棄事件。 父親が蒸発後、母親も4人の子供を置いて家を出たが、母親は完全に育児放棄をしていたわけではなく、金銭的な援助を続け、不定期にではあるが子供たちの様子を見ていた。7月17日、大家からの不良の溜まり場になっているとの通報を受け巣鴨署員がマンションの一室を調べ、Aちゃん(推定14歳。以下同)、Bちゃん(7 歳)、Dちゃん(3歳)の三人の子供と白骨化した乳児の遺体(Cちゃんの遺体)が発見された。親の姿は無かった。

*三女の死
 「4月21日昼頃、遊びに来ていた友達2人のうちの1人が前日に買っておいたカップめんがなくなっているのに気づいた。三女(2歳)の口元にのりが付いていたため、三女が食べたと思い3人で殴りはじめた。三女が死亡する致命傷は、友人が押し入れから何回も落としたことによる。
 
 長男は死なせた三女を含め3人の妹の面倒を一人でみていたが、言うことをきかない幼い妹たちに困り果て、そそうをしたりすると体罰を加えていたようだ。三女は翌22日午前8時半ごろ死亡。26日、長男は三女の遺体を友人2人とともにビニール袋に包み、さらにボストンバッグに詰めて、3人で電車に乗り、夜11時頃秩父市大宮の公園わきの雑木林に捨てた。」(ブログiFinder雑読乱文より)

児童の虐待について
要因
* 望まない出産や望まれない子供への苛立ち
* 配偶者の出産や子育てへの不協力や無理解に対する怒り
* 育児に対するストレス
* 再婚者の連れ子に対する嫉妬・憎悪 、などが挙げられる。

 「虐待を行う親の多くが、自らも虐待を受けた経験がある」ことについては「虐待の連鎖」ともいえる現象ある。子供のうちに虐待を受けて成長しやがて大人となって家庭を設けると、子供に対する教育やしつけが虐待によるものしか経験しなかったがゆえ、虐待を虐待と認識せずに(あるいは虐待が心の傷となって気持ちとしてはしたくないが意思に反して)虐待を行うことが多いのである。
 
近年までは全ての肉体的な苦痛を与え得る体罰が有効な教育方針として考えられていた背景があり、特に躾の名の下に単なる暴行を行う保護者の存在が、事態を悪化させる要因になっている。日本では「子供は親が育てるもの」という意識が根強いため、問題が潜行し、発覚した時には重大な事態に陥っている場合が少なくない。

最近発覚した児童虐待
* 長岡京市幼児殺人事件(2006年9月)
 長岡京市に住む28才の父親と39才の同居の女が、3才の長男に対して、残暑の残る9月の約1ヶ月間、食事どころか、水分すら与えず、加えて、殴るなどの暴行を加えて餓死させた事件が起きた。

* 苫小牧市乳幼児放置殺人事件(2006年末)
 苫小牧市に住む21才の無職の母親が、4歳の長男と1歳の三男の養育を放置して家を去り、家に取り残された乳幼児たちは、1歳の乳児は餓死で亡くなり、4歳の幼児は生ゴミを食べて1ヶ月間以上飢えをしのでいたという、痛ましい事件がおきた。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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