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人権尊重教育・研究発表会(3)

11月28日(日)
(11月25日に行なわれた研究発表会報告の続きです。)

シンポジウム報告
研究発表を終え、15時30分から「月二を語り、子どもを育てる」というテーマでシンポジウムが行なわれた。3人のシンポジストが話をする事になっている。月島第二小学校の金子校長が司会進行を務める。

3人の紹介から始まる。1人目は水上寮の寮母さんを長い間勤めていて、昔の月島界隈の子供たちの、とりわけ水上生活者の状況について詳しく知っている人である。水上寮とは水上小学校の付属寮で、月二小学校の生徒の何人かが水上小学校に転校し、また水上小学校が廃校になった時、そこにいた生徒が皆月二小学校に転入したという両者は深い関係を持っている。場所も晴海通りを挟んで向かい合っていた。

2人目は、月島で生まれ育ち、今は民生児童委員をやっていて、この地域の子供たちの問題について親の相談窓口になって人である。子供たちは今どんな問題を抱えているのか話をしてもらう。

3人目は、国立国際医療センターの外科医であるが、国際医療協力の仕事をしている。世界各国で貧しい子供たちと接している中で、日本の子供たちに訴えかけることがあるだろう。世界の子どもの状況を知る事によって、今の日本の子供たちの置かれた状況がより鮮明になるのではないか。また彼は月二小学校の卒業生でもある。

シンポジウムは最初5分位で自己紹介が行なわれ、それ以降金子校長が、シンポジストに様々な質問をしながらシンポジウムを進行させていった。3人の話は、質問に応えるという形で断片的なものだったが、その内容を報告するにあたっては、各人が話したことをまとめて記載する事にしたい。

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 シンポジストの紹介                   シンポジウムの様子

■ 水上寮寮母だった人の話-水上生活者の状況
かつて舟運が盛んであったころ、各地の河川や内海は物資輸送路として今日の自動車道のような役割を担っていた。昔は水深のために貨物船が接岸出来なかったり、埠頭が整備されていなくて沖に停泊したまま積荷を降ろすということも多かった。そのため1960年頃まで“はしけ”(艀)と呼ぶ運搬船や材木輸送の“いかだ”(筏)が東京湾岸を行き来していた。

はしけは海だけでなく神田川や隅田川といった川も遡ってきていた。積荷によって毎日のようにはしけの行き先が違っていて、そこに生活している水上生活者の子供たちは就学のため陸住まいをしなければならなかった。陸で生活している親戚の家に預かってもらうしかなかった。預かってくれる所がない児童は未就学になることが多かった。

そういった中で、1930年(昭和5)水上小学校の設立が東京府より正式に認可された。同時に水上寮も作られ、そこで寝泊りが可能となった。この学校は1966年(昭和41年)に廃校になるまでその役割を果たしてきた。

土曜日の授業が終るとはしけが近くに停泊している場合には家族のもとに帰る。学校の所有しているポンポン船が生徒を永代や明石町、越中島などの船だまりまで送ってくれる。しかしはしけの運行予定が違ってしまってそこで家族に会えない事もあり、野宿をする生徒もいたという。

ある生徒の学校への出席が滞りがちになった。水上小の校長が親を訪ねてはしけまで行ったが、親は「船頭に教育はいらない」という。校長は親同士の懇談会を設定して、皆でこの問題について話し合った。

校長が幾ら教育の必要性を船頭の親に語ったとしても説得できなかったかもしれない。色々な親がいる。様々な困難を抱えている。それを個人で解決することは難しい。地域で親同士の関係を深めていくことでしか解決できない問題は多い。子どもは社会の子であり、みんなの子だという地域の関係性を作り上げていく事が重要だ。

■ 民生児童委員の人の話-親と子の関係
ある相談を受けた。子どもに元気がなく他の子とも積極的に遊ぼうとはしない。家に閉じこもりがちだ。子どもの元気のなさよりも親の元気のなさに気がついた。そこで親に地域のイベントを紹介して一緒にいったり、PTAへの参加を勧めてみたりした。そういった活動に関わる中で親は元気を取り戻してきた。

保護者同士の関係の深まりの中で、一緒に活動し話をしたりして色々な問題の解決の糸口を見出していけるようになってきた。地域の中で自分の存在を確認できることは極めて重要なことである。こういった親の変化は子供に直接的に影響する。子供も親の姿を見ながら元気を取り戻していったのである。

子供への人権侵害の事例は数限りなく存在している。朝食を与えない親、子育ての放棄、児童虐待など、これらは自分が社会から孤立しているといった強迫観念から生ずる事が多い。親個人で抱え込んでいては解決できない。ともかく相談に来てくれることからしか始まらない。こういった親の問題は子供に一番の影響を与える。いつでも子供が最大の犠牲者なのだ。

親が地域の中で自分の位置を見出す事が出来れば問題の多くは解決する。互いに偏見を持たないで話し合える井戸端会議的な場が必要だろう。またお互いに挨拶をするという関係は極めて重要だ。それは相手を尊重し、人権を守ることの始まりでもあるのだ。

子供の出すサインをいち早く発見することが何よりも必要だ。いじめや不登校など、子どもを取り巻く状況は厳しさを増している。民生児童委員として出来ることは限られているが、月島で育ち暮し続けこの地域のために少しでも役に立ちたいと思っている。

■ 国際医療センター医師の話-世界で医者を必要としている子供たち

私が医療における国際協力に関わった最初のきっかけは、若い頃カンボジアの難民キャンプで医者を必要としているという要請があり、そこに参加してからだ。そこで日本とのあまりの医療格差に愕然とし、どうにかならないかと思い、それ以降こういった活動にかかわるようになった。

世界中では、年間約1200万人の子供たちが死に追いやられている。その大部分はアジア・アフリカなどの発展途上国で発生しており、原因は飢え・病気・戦闘の犠牲などである。
乳幼児(5歳以下)の死亡率のデータを挙げると死因の約60%は三つの病気(肺炎・下痢・麻疹)によるものだ。これらはちょっとした予防知識とわずかな費用で治す事ができる。しかし途上国では子供に必要な医療の50%しか提供できていない。

WH0によると、発展途上国の死亡原因は、肝臓、エイズ、下痢、マラリアとなっている。最初の頃は国際医療協力で行く国は、東南アジアや中南米などであったが、最近はアフリカが中心である、アフリカでHIV陽性の人は人口の10~25%もいて、年間100万人がエイズで死んでいく。残された孤児の生活をどうするか大きな問題となっている。

日本では16,000人がHIV陽性となっている。これは人口比0.01%だが、検査を受けている人があまりにも少ないので正確な数は分らない。東京で言えば1000人に1人という事になる。アフリカとの違いを改めて感じさせる数字だ。

子供たちに世界の事をもっと知ってもらいたい。発展途上国では水や衛生関連のインフラが十分に整備されていないため、雑菌の被害や感染症が多く、健康への被害が深刻な問題となっており、病気になっても十分な医療を受けられず子供たちが死んでいく。戦争のある国では子供たちが武器を持って戦闘に参加している。

こういった現状を知り、自分たちの今の状況を照らし合わせてもらいたい。ただ国際協力といっても途上国に行って何かをしなければならないということだけではない。在日外国人に偏見なく接する事もきわめて重要な国際協力の一貫である。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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