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藤原 智美 『暴走老人』

12月27日(木)
 『暴走老人!』藤原智美・著について

BPbookCoverImage.jpg 待てない、我慢できない、止まらない―「新」老人は、若者よりもキレやすい。現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち「暴走」の底に隠されているものとは?老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。 (本の紹介文より)

 何が老人を暴走化させるのか。携帯の普及などで加速化する「時間」、独居の増加などで孤立化する「空間」、そしてマニュアル化された笑顔など商品化される「感情」、という三つの次元での変化と、老人が長年培ってきた感覚とのギャップという視点から、掘り下げていく。

尋常でない怒りによる暴言・暴力のきっかけは些細なことだが、背後には孤独感や社会へのストレスが蓄積されている。ストレスは全て人間関係から生じ、人間関係で解消する他ない。キレるかどうかの境目は老人を支える人間関係の輪しかない。
 
 個人を律するはずの常識や規範さえも、日々更新され続けており、加速度的に拡大していく過剰な情報化社会が逆説的に孤立を生み、暴走状況を作り出している。ケータイやインターネットの普及は時間の感覚を変容させた。社会の情報化へスムーズに適応できないことが彼らを暴走させる。

こういった現代社会の生活様式の急激な変化についていけない高齢者が、今まで人生で経験し培ってきたことが役に立たず、自信を失い、焦りや苛立ち、孤立感や息苦しさを感じ、キレやすくなっているという。

高齢化が進む郊外に象徴されるように、外界と隔てられた住環境は独居老人を精神的にも孤立させる。人と人との関係も、コンビニやファミレスのようにマニュアル化され、透明なルールが至る所に張り巡らされている。高齢者を疎外する要素には事欠かない。

つまり、今の社会は高齢者には生き難く、そういった社会と高齢者の間で軋轢が生じている。しかし新老人の暴走も、変化を無意識に感じとり苛立(いらだ)っているがゆえの防御なのかもしれない。

老人犯罪検挙数
 若者より老人の方がキレている。若者の凶悪犯罪は統計的にはむしろ減っているのである。65歳以上の検挙数は2005年には約4万7000人に達した。1989年から16年で約5倍、高齢者人口の増加率が2倍であることを考えても異常な伸び率である。この背景に何があるのか。
 
統計で見る高齢者の現状
高齢者人口比
昭和30年(1955年)の65歳以上の人口は4,786(千)人、総人口比率 5.3%。
平成12年(2000年)は8,885(千)人、総人口比率 17.2%
平成42年(2030年)には32,768(千)人、総人口比率 28.0%になると予想されている。
日本人の平均寿命は女性が85歳、男性が78歳を超えた。

高齢者独居所帯 
 厚生労働省の平成18年度国民生活基礎調査の概況によると、「65歳以上の高齢者独居世帯数」が約8,418,000世帯で、全世帯の約17.8%を占めるようになった。

高齢者の自殺
 自殺した人が平成10年以来毎年3万人を超えている。そのうちの35パーセント近い人が60歳以上である。高齢者の自殺率をみると3世代同居の場合が一番高く、一番低いのは一人暮らし。自殺理由の多くは「病苦」となっているが、実際は「家族関係のもつれ」。人は1人暮らしの寂しさよりも、家族の中にいて居場所を失う孤独感に耐えられない。

『暴走老人』目次
序章 なぜ「新」老人は暴走するのか
第1章 「時間」(暴走する老人たち/待つことをめぐる考察/変容する時間感覚/ネットワーク)
第2章 「空間」(凶器の選択/独居する空間/膨張するテリトリー感覚)
第3章 「感情」(透明なルール/丁寧化する社会/警笛としての新老人)

1、時間
「待つこと」の耐性に欠ける大人の増加。待つことが苦手、せっかちで先を急ごうとする。待つことのトラブルの増加。待つことが当然だった社会が「待たされることに苛立つ社会」になった。暴走する老人たちも、待つことが苦手だ。

会社勤めなどで、規則正しい生活を強いられた彼らにとって、リタイア後に自分で時間をコントロールすることが、どれほど困難なことかを思い知るのである。このため、人が自分の時間を侵略してくるのが許せなくなるのであるという。

2、空間 
リタイアした後の生活範囲はせいぜい自宅から数百メートルで日常の行動パターンも限定され、新老人たちの暮らしはネット社会の恩恵からほど遠い。現代のコミュニュケーションの標準はずれていく疎外感を味わっている。地域社会が非地域社会となり、個人を支える力はなく、人間関係は疎遠で、リタイア後は職場の人間関係からも遠ざかる。

住まいから家族が消えた老人世帯は、家そのものが個室化しているという現実がある。その中で暮らす老人たちの心には孤独の闇が広がっている。根底には荒涼とした風景が見えてくる。家族の姿や親しいものの存在がどこにも感じられないというのだ。

「ゴミ屋敷」の問題を取り上げる。その住人は独り暮らしの老人が多いといわれる。「私には家という空間から家族が欠けていくなかで、空洞化した心の隙間を埋めるように、家の空間をゴミによって充たそうとしているようにも思える。」と書いている。

3、感情
社会のマナー、常識のコードが日々更新され、順応できない老人は情動を爆発させる。客の自尊心まで奉仕することが求められる「感情労働」が今の社会。心からではなく、表層的に笑顔を装う労働、バカ丁寧化するサービスなど、これらの感情労働が蔓延していることを老人暴走の一つの原因としている。

ファミレスからはじまり、カフェ、スーパー、コンビニ、居酒屋、タクシー、テーマパークとマニュアル化された笑顔とサービスが流入してからおかしくなってきたのではないか。そこにはかっての商店街に見られた地域社会の人間同士のコミュニュケーションが不在である。

高齢者問題
老人に対する見方は、歳をとって丸くなったという言い方と、年寄りは頑固だといった二通りの言い方がある。今でも昔でもその二通りがあるのだが、何故生き方に確信を持っている頑固老人があまり評価されないのだろうか。そしてともすれば、頑固老人の今の社会に対する怒りを「暴走老人」とダブらせてみる傾向があるのではないか。

キレるというのは社会に対する過剰な反応なのだ。しかしその反応は今の社会の病理現象に対する反応でもある。企画化されマニュアル化され個人の存在がますます希薄化される中で自らの存在根拠を失っていく老人の叫びなのだ。

地域社会、共同体的関係の中で存在位置を持っていた老人たちは、地域共同体の崩壊、核家族化、生産と消費の社会の中で自らの位置を失う。それは人間を生産能力優先で評価し、弱者を切り捨てる社会の価値観の反映なのだ。

社会の高齢化が進行している。この中で、どのようにして老人たちは自らの存在根拠を確認していくのだろうか。高齢者問題は一つの大きな社会問題だ。定年を迎え職を失った人の雇用確保どこまで可能なのか、老後の住宅、老人の介護、年金や医療保険、生活保護はどうするのか問題は多岐にわたり山済みされている。こういった問題に正面きって立ち向かわない限り、「暴走老人」の叫びは押しつぶされてしまうだろう。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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