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没後120年・ゴッホ展

12月5日(日)
国立新美術館で開催されているゴッホ展に出かけた。ゴッホの作品を一堂に会して見る事が出来る機会はめったにない。今年はフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が没して120年目にあたるということで、オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という2大コレクションの全面協力のもと今回の展覧会は実現した。

main_new_convert_20101206105854.jpg 「灰色のフェルト帽の自画像」(1887、油彩)

ゴッホの油彩35点、版画・素描約30点と、オランダ時代のゴッホに絵画表現技法の基礎を手ほどきしたハーグ派のモーヴや、芸術の都パリ時代に出会ったモネ、ロートレック、ゴーギャン、スーラなどの油彩画約30点、その他関連資料約120点を展示している。

興味深いのは、今回の企画の内容「こうして私はゴッホになった」にあるように、ファン・ゴッホ芸術がいかにして作られたのかの過程を追いながら鑑賞できるということである。「ゴッホ芸術の誕生の謎に迫る」というものだ。

そのためにゴッホの代表作に加え、ゴッホに影響を与えた画家たちの作品、ゴッホ自身が収集した浮世絵などを展示し、「ゴッホがいかにして『ゴッホ』になったか」を明らかにしていく。

絵の展示はゴッホの成長に合わせて6つの時期に分け、その時期に影響を受けた画家の絵を配しながら、どのよう様な影響を受けたかが視覚的に分るように展示されている。

「ゴッホ東京展ホームページ」から、ゴッホ展の内容をかいつまんで紹介する。
Ⅰ、最初期の影響
ファン・ゴッホは、若い頃からバルビゾン派、フランスの写実主義、オランダのハーグ派といった巨匠たちの作品に親しんでおり、彼らの作品をもとに初期オランダ時代の絵画は構成されています。同じようなモティーフを取り上げるだけでなく、色調や筆遣いなどの点でも彼らの作品に影響を受けており、戸外での制作も彼は行なっています。

Ⅱ、若き芸術家の誕生

ファン・ゴッホは巨匠たちの版画や素描を模写することで腕を磨きました。一方で画家アントン・モーヴの教えを一時期受け、油彩と素描について多くの事を学んでいます。素描の重要性を強く意識していた彼は、多くの時間を素描の訓練、特に人物の素描に費やした。

Ⅲ、色彩理論と人体の研究、ニューネン

1883年暮れにニューネンに移住した頃にはファン・ゴッホの素描力は格段に進歩し、彼の関心は次第に油彩へと移行していきました。翌年の春になるとドラクロワの色彩理論を学び、それを利用して農婦の頭部や静物を描くようになります。

Ⅳ、パリのモダニズム

1886年3月にパリに移ったファン・ゴッホは、コルモンのアトリエで絵画の基本を再度学び、モネやピサロなど、当時の前衛であった印象派の研究にも進み、さらにモンティセリの筆遣いに大きな影響を受けました。印象派の画家の点描風のタッチを用いたり、薄く溶いた油絵具を使って素描のように見える作品を描くなど、実験的な試みを繰り返しながら次第に独自の様式を確立していきます。

Ⅴ、真のモダン・アーティストの誕生、アルル

1888年2月にアルルに移ったファン・ゴッホは、この南仏の町で、あの誰もがファン・ゴッホと認める独自の様式に遂に到達します。パリで出会った印象派など前衛の様式と、日本の浮世絵から学んだ平坦で強烈な色彩や大胆な構図が、このアルルで見事に結実します。ゴーギャンとの関係が、この章のひとつの柱となります。

03.jpg 「アルルの寝室」(1888、油彩)

Ⅵ、更なる探求と様式の展開、サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ

色彩や筆遣いなど、技法の点から言えば、この時代に新たな作品の展開は見られません。アルルで確立した様式を、いくぶん調子を弱めながらファン・ゴッホは繰り返しています。一方で、ミレーやドラクロワの作品を、確立した新たな様式で現代風に模写しましたが、そこに用いられている色彩の組合わせは、《アイリス》のようなこの時期の代表作にも通じています。

06_convert_20101206112843.jpg 「アイリス」(1990、油彩)

ゴッホ展の中で彼の作品の流れを追いながら、彼が、独自の作風を確立するまでの様々な試行錯誤の過程を辿る。彼の際立った個性が生み出されていく過程は、素描や模写をひたすら繰り返し、様々な画家の作風を貪欲に吸収してていく並々ならぬ努力に裏うちされている。「だれもが一目でゴッホと見抜く、燃え上がる情念の結晶のようなあの独特の画風が確立したのは、彼が亡くなるわずか2年ほど前に過ぎません。」それまでの身を削るような格闘の過程があったのである。

こういった経験のすべてが血肉となり、画家の熱い思いを伝える激しい筆遣いと鮮やかな色彩による独特の絵画スタイルを生み出していく。その絵画は、筆触を見れば表現主義の創始者といわれるほど激しく個性的で、色彩や作品の主題を見れば、象徴主義的といわれるほど深遠かつ論理的だといわれる。

彼の絵画に対する熱狂は、ゴーギャンと一緒に絵画の道を探求する中で、突然自らの耳を切るといった行動に現れたように、あまりにも情熱的で、自己破滅的なものを持っていた。生涯で一つの作品〈赤い葡萄畑〉しか売れなかったという貧しい生活を余儀なくされていた。しかし彼は「ぼくは100年後の人々にも、生きているか如く見える肖像画を描いてみたい」と語り、絵画への情熱は途切れることなくどんな時でも絵筆を手から離そうとしなかった。

彼の生涯を経済的、精神的に支えた弟テオへの手紙の最後の中でゴッホは次のように語る「ともあれ、僕は、僕自身の作品に対して人生を賭け、そのために僕の理性は半ば壊れてしまった―それもよい・・・」そして1890年ピストルで自らの頭を打ち抜き37歳の生涯を閉じたのである。彼は27歳で画家になる事を決意してから、10年間の短い画家生活を疾風のように駆け抜けたのである。

どのような他人の評価を受けようが、一つのことにひたする生涯を通じて情熱を持ち続けるそういったゴッホの感性を受け止めることは、自らの生き方を問い直す大きな力となるだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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