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北区のさんぽみち-8 浮間エリア

12月8日(水)
昨日の夜降っていた土砂降りの雨は、朝家を出る時にはやんでいた。病院を出る時には雨に洗われた空はまばゆいばかりの快晴になっていた。今日は眼科と血液内科の診療があったが、スムーズに進行し12時前に病院を出る事ができた。

病院での診療後のいつもの散歩コース・北区のさんぽみちに行く事にした。時間的に余裕があるので一番離れている「浮間エリア」がいいだろう。色々見所がありそうだ。赤羽まで行くことはあるが浮間まで行ったことはないし、これからも行くことはないだろう。

JR 北赤羽駅→浮間の渡船場跡→観音寺→青面金剛庚申→子育て地蔵→水塚の蔵のなごり →かさや地蔵.→北向地蔵→氷川神社.→桜草圃場→浮間公園→JR 浮間舟渡駅

田端から京浜東北線で赤羽まで行って埼京線に乗り換え一駅目の北赤羽で降りる。昼の時間は列車の本数が少ない。埼京線の各駅停車を何と20分近くも待つ事になった。運の悪い事に、各駅停車が出たばかりだった。その後に快速と回送列車が来た事もあって間隔が開いてしまったようだ。

北赤羽の駅は新河岸川の上にある。改札口はホームの先端と最後尾にあって、それぞれ川の両岸に出る。浮間船渡駅方面の改札を出てまず川岸に向う。左手に川を見ながらのどかな昼下がりの道を進む。右側は都営浮間団地群の高層の建物が連なっている。団地は最初の目的地「浮間の渡船場跡」まで500mほど延々と続いている。

浮間の渡船場跡・供養塔群
ここにはかつて、荒川の渡船場があり、対岸の板橋区小豆沢とを結んでいた。浮間は桜草の名所として知られていて、その季節には多くの人が訪れ、臨時の渡船場が設けられたほどだ。 昭和3年に浮間橋ができ、渡船場は姿を消した。

浮間エリア006_convert_20101208182759 浮間エリア007_convert_20101208182909 008_convert_20101208202743.jpg
 浮間渡船場跡の供養塔                 庚申待供養塔        馬頭観音坐像供養塔     

浮間の渡船場跡といっても、かって渡船場があったという事が書かれた北区教育委員会の文化財説明版があるだけだ。そこには供養塔群があり4基の石造物は、向かって右から八十八箇所供養塔、馬頭観音坐像供養塔、庚申待供養塔、水神宮の石祠である。

次の目的地観音寺に向う。浮間中央通を行くと左右に中外製薬の工場と研究所の建物が並んでいて、街の一画を形成している。中外製薬の名前はがん治療をやっていると出てくる。G-CSFのノイトロジンやリツキサンなどを製造販売している。

中外製薬の建物が終った所に観音寺がある。中央に本堂があり、右に客殿と庫裡・鐘楼、左に観音堂・六地蔵・應召の鐘と墓地がある。

観音寺 (無動山妙智院 真言宗智山派・総本山は京都智積院)

観音寺は元和元年(1615年)に創建されたと伝えられている。明治43年の大水害では、本堂が床上浸水したため、たるを二つ並べてその上に本尊をおいて一晩中守ったという話が残っている。

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 観音寺本堂                         戻って来た鐘(應召の鐘)

観音寺の釣鐘には不思議なエピソードがある。戦時中は武器を作るため、釜や銅像などの金属を供出させられ、観音寺の釣鐘も例外ではなかった。しかし、幸いにも鐘はつぶされることなく、約40年を経た昭和58年に、観音寺に帰ってきたというものだ。40年間どこにあったのだろう。よく戻って来たものだと思う。

青面金剛庚申
この庚申塔は寛政11年(1799年)に作られたもので、彫られているのは青面金剛である。頭上に蛇がとぐろを巻き、髪が左右に分かれているという様式は、浮間地区の庚申塔によく見られる。

子育て地蔵

浮間にある三つの地蔵のひとつ。ひとつは観音寺の六地蔵で、ひとつは荒川土手のそばにある「北向き地蔵」、そしてこの「子育て地蔵」である。

浮間エリア02ed0_convert_20101208183954  浮間エリア022ed_convert_20101208183439
 青面金剛庚申                子育て地蔵

水塚の蔵のなごり

たびたびの洪水に悩まされていた浮間の人は、土を盛り、その上に家を建て増しした。この盛り土を「水塚」と言う。

かさや地蔵
観音寺から氷川神社へ行く途中にあるこの庚申塔は、傘屋(かさや)という屋号を持つ家の前にあることから「傘屋庚申」「傘屋地蔵」と呼ばれている。昔の人は、庚申の日の晩は塔の前に皆で集まり、眠らないように一晩中、いろいろなことを話し合っていた。

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 水塚の蔵のなごり             かさや地蔵
 
北向地蔵

堂の中央にある地蔵菩薩は「疣取(いぼとり)地蔵」「身代地蔵」とも呼ばれている。かつては浮間村の北の入り口に外向きに建てられていたもので、病気や悪霊が村に入れないようにするためだ。またその左右には庚申待供養塔が、その奥には中世につくられた阿弥陀三尊種子の「月待供養板碑」がある。

浮間エリア030_convert_20101208202841 029ed_convert_20101208202605.jpg 浮間エリア031_convert_20101208184138
 北向地蔵                         庚申待供養塔      月待供養板碑

氷川神社

毎年、浮間ヶ原桜草圃場(ほじょう)の開園時には、境内で桜草の即売と休憩所が設けられる。2月には枝垂れ梅が美しく咲き誇る。また、浮間周辺は昔、荒川の氾濫に悩まされていたため、社殿は水塚(みづか)とよばれる盛り土の上にあるのも特徴だ。

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 氷川神社参道                       氷川神社社殿

桜草圃場
赤羽から浮間橋を渡ったところの一帯は、浮間ヶ原と呼ばれ、桜草の群生地として広く知られていた。田山花袋の『一日の行楽』、永井荷風の『葛飾土産』にも浮間ヶ原の桜草について書かれている。

桜草圃場は高い金網に囲まれて4月の一時期一般公開される時以外は入ることは出来ない。ここは浮間公園に隣接している。

浮間公園 
昭和60年に開通したJR埼京線の浮間舟渡駅前の水と緑の広がる公園、それが浮間公園だ。この公園は、面積の約40%が浮間ヶ池である。浮間ヶ池はかつての荒川の水流だった。

公園は荒川と埼京線の間に浮間ケ池を中心にしたかなり広い公園である。池の周りの遊歩道はジョギングやウォーキングに最適だ。この公園は釣りができるという珍しい都立公園である。約4haの池には、ヘラブナやコイなどが生息し、釣りファンには格好のスポットとなっている。何人かの釣り人が池の淵で釣り糸をたらしていた。

公園の一画が金網に囲まれ人の出入りが出来ないようになっている。そこはバードサンクチュアリになっていてオオヨシキリやコジュケイ等の野鳥の鳴き声が聞かれる。バードウオッチングのため、双眼鏡を持った人や、望遠レンズ付きのカメラを構えた人が何人か池の淵に集まっていった。

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 荒川土手より川口方面                  バードサンクチャリ方面

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 公園入口から浮間ケ池全景               浮間船渡駅方面  

公園の中央付近に浮間公園のシンボルである大きな風車が回っている。それは芝生の広場の中にあって牧歌的な風景にマッチした情景を作り上げている。浮間舟渡駅前のタワーマンション・アイタワー(30階建・107m)が、公園の景観に新たなイメージを与えているのは確かだろう。

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 浮間公園の風車              風車とアイ・タワー      

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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