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日枝神社・豊川稲荷

12月11日(土)
定例のももの木交流会が14時から麹町の番町教会の会議室で行なわれる。番町教会の好意で使わせてもらっている。今日は気温が18度まで上がると天気予報で言っていた。外に出ると家にいるよリ暖かい。早めに出て、麹町周辺の名所旧跡巡りをしようと思い立った。日枝神社と豊川稲荷を目的地にして、その周辺に神社仏閣があれば見て回ろうということで出かけた。

南北線溜池山王駅→日枝神社(山王鳥居-山王橋-宝物殿-神門-社殿-稲荷参道-末社)→豊川稲荷(山門-本殿-奥の院-融通稲荷-叶稲荷-三神殿-七福神-霊狐塚)→赤坂不動尊→平河天満宮→有楽町線麹町駅

日枝神社の最寄り駅、南北線の溜池山王駅で下りる。永田町口から外に出ると、目の前に東急キャピトルタワー(地上29階、高さ120m)があり、その隣に山王パークタワー(地上44階194m)ある。向かいには首相官邸がある。パークタワーは、首相官邸に隣接していることもあり当初予定していた規模の縮小を余儀なくされ現在の大きさとなった。また官邸側には極力窓を設置せず尚且つ外が見えないようにするという配慮がなされている。さらに日枝神社の空中権を取得して、容積率の制限の緩和を受けている。

赤坂周辺には次々と高層ビルの建築が進んでいる。青山通り沿いに幾つかの建築中のビルがあった。日枝神社の社殿の裏にはブルデンシャルタワー(38階、158m)が聳え立ち神社の背景を作り上げている。また 赤坂Bizタワーや東京ミッドタウン、六本木ヒルズは既に存在し赤坂の新しい景観を形成している。超高層オフィースビルが中心だが、ブルデンシャルタワーのように上層部の26階以上がタワーレジデンスと呼ばれる高級賃貸マンションになっている所もある。

日枝神社
山王パークタワーを右に曲がって外堀通りに出ると日枝神社の鳥居が見え、長い上り階段が延々と続いている。その階段の横には何とエスカレーターが設置してある。屋根もなく雨ざらしの状態で大丈夫かなと思う。エスカレーターの着いた先は山王茶寮という料亭だ。その入り口にあるイチョウの巨木の黄金色の紅葉が神社の雰囲気を高めているようだった。

そこから宝物殿を経て、神門に至る。神門の真正面に拝殿がある。鮮やかな朱塗りの建物の背後にブルデンシャルタワーの白い建物が青空を切り裂くように建っている。これを無粋というか、現代的雰囲気というか人の好みの問題だろう。

日枝神社・豊川稲荷006_convert_20101211233523  日枝神社・豊川稲荷008_convert_20101211233617
 山王鳥居                           山王橋から赤坂方面

日枝神社・豊川稲荷014ed_convert_20101212093329  日枝神社・豊川稲荷015ed_convert_20101212093439
境内より東急キャピトルタワー、山王パークタワーを臨む   宝物殿          

由緒:日枝神社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明十年(1478)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築いた。

やがて天正十八年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬された。二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀された。(日枝神社公式HP)

日枝神社・豊川稲荷029ed_convert_20101212004216 日枝神社社殿

日枝神社・豊川稲荷012_convert_20101211234110 神門

山王稲荷神社
拝殿の右横から出ると山王稲荷神社がある。この稲荷の大神は古来、生成発展・商売繁昌の守り神として全国に祀られ、ここ永田馬場星が岡の地主神として松平主殿顧忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬治2年(1659)4月本社山王権現が麹町より移遷されるに至り日枝神社境内末社となった。その裏に金網に囲まれた社殿があるが、それが八坂神社か、猿田彦神社なのかはわからないが総称して山王稲荷神社と考えればいいのだろう。

日枝神社からいえば裏階段のようなものなのだか、山王稲荷神社にとっては表参道といえるだろう。そこにはどこまでも真っ赤な鳥居が連なっている。「稲荷参道」の千本鳥居は都内随一ではないかといわれている。迷宮のごとき朱鳥居のトンネルは別の世界に向かう通路のような気分にさせられる。

113_convert_20101213092206.jpg  日枝神社・豊川稲荷017ed_convert_20101212004329
 稲荷参道                          末社・山王稲荷神社

日枝神社・豊川稲荷019_convert_20101211234257  日枝神社・豊川稲荷023_convert_20101211234350
 末社・猿田彦神社                     末社・八坂神社

豊川稲荷(妙厳寺 曹洞宗)
日枝神社を後にし、豊川稲荷に向う。赤坂見附の交差点を渡り、東宮御所に向って坂を上っていく。途中に住居表示の看板があった。豊川稲荷前歩道橋と書かれていたが、その地図の前に書いてあるのは妙厳寺という名前だった。不思議に思って進んで行くと豊川稲荷という看板があった。妙厳寺と豊川稲荷の関係が良く分らなかった。

山門を入ると神社でいうと本殿に当たる建物から読経の声が聞こえてきた。どうもおかしい。入口の看板を読んでみると、豊川稲荷とは神社ではなく曹洞宗の寺院・妙厳寺という。しかし、境内には稲荷神社があり、至る所に狐の置き物がある。稲荷神社と曹洞宗の寺院が渾然一体となって境内に存在しているという不思議な光景である。神社の境内に稲荷神社があるのは良くあるが、寺院に稲荷神社があるのは始めてだ。

由緒:豊川稲荷は昔、順徳天王第三皇子寒巖禅師が最初感得された稲穂を荷い白狐に跨り給う端麗なお姿の豊川ダ枳尼(だきに)真天という霊験あらたかな仏法守護の善神を祀っている。

江戸時代の名奉行で知られた北町奉行の大岡越前守忠相が、領地三河に古くから伝わる円福山妙厳寺の鎮守・ダ枳尼天を深く崇敬し、忠相の子孫が1828年(文政11)に赤坂一ッ木の下屋敷内にダ枳尼天を勧請したのが赤坂豊川稲荷のはじまりである。1887年(明治20)に大岡邸が現在の地に移転するとともに移り、妙厳寺が直轄する東京・赤坂豊川稲荷別院となった。赤坂豊川稲荷は「稲荷」と名が付いていますが神社ではなく、曹洞宗の寺院である。

本殿:本尊は豊川ダ枳尼眞天を祀り、その左右には十六善神、愛染妙王、摩利支天、拝殿には大黒天も祀られている。

日枝神社・豊川稲荷043ed_convert_20101212005643

奥の院:女神の宮にふさわしい純白の宮。左右の魚がし講の献灯が魚づくしになっている。

日枝神社・豊川稲荷041_convert_20101212005304

融通稲荷:融通稲荷と申しますのは、財宝を生む尊天様で正しくは南無如意宝生尊天のことである。皆様が真心をこめて信心すると、金銀財宝の融通が叶えられると言い伝えられている。

叶稲荷:叶稲荷尊天は、因縁除けの守護神で霊験あらたか。御神徳は実に広大無辺だ。人生のすべては因縁によって構成されており、禍事災難を取り除いてこそ開運招福が授かる。

三神殿:
宇賀神王(中央)は繁栄を司るといわれ、商売繁昌など多くの人々に信仰されている。太郎稲荷(向右)は健康を守る飛行自在の神使として、徳七郎稲荷(向左)は円満な対人関係をもたらすとされて、さまざまな人々からの信仰を集めている。

霊狐塚:
お役御免となったお狐さんの供養塚。以前は御信者から納められた霊狐がところ狭しと並んでいたが、遷座百年祭を記念して霊狐塚が建立され、現在ではおたき上げ供養をして地下へ納符されている。(「赤坂 豐川稻荷」リーフレットより)

日枝神社・豊川稲荷045_convert_20101212012033  300.jpg
 山門                             融通稲荷

120.jpg  日枝神社・豊川稲荷039_convert_20101212005030  
 叶稲荷                            三神殿  

日枝神社・豊川稲荷040_convert_20101212005125  日枝神社・豊川稲荷042_edited_convert_20101212005542
 七福神                            霊狐塚

赤坂不動尊(威徳寺 真言宗智山派)

住居表示の看板に歩道橋を渡った所に、「赤坂不動尊」威徳寺と書かれていた。ちょっと寄ってみようと歩道橋を渡ってすぐの所に赤い柱の上に赤坂不動尊という看板があった。この不動尊は400年の歴史を持つかなり由緒のある所だということだ。本堂というものはなく、不動堂がありその脇に不動明王の石像がある。赤坂の繁華街のど真ん中にこういった建物が保存されていることの持つ意味を感じさせる場所であった。

由緒:江戸時代、紀州大納言の祈願寺となり、広く人々に信仰され、栄えた。その威徳から、人々は智剣山威徳寺と呼ぶようになった。江戸の火災や大震災等、幾度の災禍を免れた霊験あらたかなお不動さまである。

日枝神社・豊川稲荷046_edited_convert_20101212005754  日枝神社・豊川稲荷051ed_convert_20101212005846
 赤坂不動尊山門                      不動堂

日枝神社・豊川稲荷050_convert_20101212112623  日枝神社・豊川稲荷048ed_convert_20101212112851
 不動明王像               南無大師遍昭金剛

赤坂御門(赤坂見附)跡
そこから赤坂見附の交差点の戻り、麹町に行くには最高裁判所方面に行き、赤坂プリンスホテルの先を左に曲がって真っ直ぐ行けばいい。交差点を赤坂プリンスホテル方面にわたると、赤坂見付跡という柱が立っていて、その横に「史跡・江戸城外堀跡・赤坂御門」と書かれた千代田区教育委員会の看板が置かれていた。昔何度か通っていたが全く史跡などとは気がつかなかった。意識する事によって存在はその姿を表すのだろう。

由緒:赤坂見附は寛永13年(1636)に筑前福岡藩主黒田忠之により、枡形石垣が作られ、同16年(1639)には御門普請奉行の加藤正直、小川安則によって門が完成した。堀からの石垣は高く、当時の技術の高さが分かる。

江戸時代の赤坂御門は、現在の神奈川県の大山に参拝する大山道の重要な地点でもあった。江戸城36の外郭門の一つ。外敵侵入を発見するため「見附」と称され、二つの門を配置した「枡形」の構造であった。(千代田区観光協会HPより)

日枝神社・豊川稲荷052_edited_convert_20101212010148  日枝神社・豊川稲荷053_convert_20101212010245
 國指定史跡「江戸城外堀跡」

平河天満宮

赤坂プリンスホテルの前の住居表示看板に平河天満宮の名があった。まだ時間があったので寄ってみる事にした。都市センタービルとホテル・ルポールの先を右に曲がり、3,4分行くと平河天満宮の境内が見える。ビル街の中に挟まれている。牛の彫像や石像がかなり並んでいる。何でなのかなと思ったが菅原道真と牛の関係を看板で読んで納得した。

大分前に秩父の神社で「撫で牛」を見たことがるがその時は何で牛がいるのか全く気がつかなった。平河天満宮を後にして、ももの木の交流会の場所である麹町の番町教会に向った。丁度時間は14時少し前だった。

由緒:江戸平河城主太田道灌公が、菅原道真公の霊夢を見て、文明十年城内に天満宮を建立した。その後、徳川家康公が築城のため本社を平河門外に奉遷し、慶長十二年二代将軍秀忠公に依り、現在の地に奉遷され地名を本社に因み平河町と名付けられた。

日枝神社・豊川稲荷055_convert_20101212093655 鳥居は区有形文化財

日枝神社・豊川稲荷060ed_convert_20101212095318 平河天満宮本殿

御祭神菅原道真公は、承和12年乙丑の生まれということもあり、牛が繰返し噛砕き消化することを学問に擬え、大変かわいがられた。天神様の使わしめ(神牛)の耳元でお願いごとを唱えながら、一番気にかかる箇所をやさしく撫でると、撫でた箇所と同じ所にご利益があるといわれている。(千代田区観光協会HPより)

日枝神社・豊川稲荷061_convert_20101212010503  日枝神社・豊川稲荷064_ed_convert_20101212093847
 撫で牛                           区有形民俗文化財・常夜燈 

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