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歩こうあだち 竹ノ塚~西新井コース

12月15日(水)
眼科の治療は11時少し過ぎに終わった。今日は15時30分から西新井にある関原小学校での「いのちの授業」の打ち合わせに行く事になっている。15時に東武線西新井駅でももの木のメンバーと待ち合わせる。空いた4時間をどうやって過ごすか。去年は打ち合わせ前に西新井大師に行った。普段こちら方面に来る機会はない。今回も西新井周辺を散策するのがいいだろう。

足立区観光協会(あだち観光ネット)のホームページには、どこの区にでもあるが、その区の名所旧跡を巡る散策コースを設定している。ホームページの「歩こうあだち」を見ると足立区では20程の散策コースが紹介されている。その中で西新井駅に到着するコースを選んだ。コースは「西新井駅から竹ノ塚駅コースとして紹介されていたがそれを逆コースで巡るわけだ。

あだち観光ネットに掲載されている「歩こうあだち」の「西新井から竹ノ塚編」には次のように説明されていた。「古の時間を感じる街」として「西新井から竹の塚には、古くからの道や家屋敷、古寺社が多く点在する島根町、俳人小林一茶と縁の深い炎天寺がある六月町、古代を物語る遺跡や史跡が点在する伊興町など、歴史と由緒ある町が続いています。」このコースは東武線の線路をはさんでA、B2コースあり今日は日光街道よりのAコースを行く事にした。

東武線竹ノ塚駅→常楽寺→萬福寺→西光院→八幡神社→炎天寺→島根鷲神社→赤羽家長屋門→国土安穏寺→来迎寺→猿仏塚→ギャラクシティ→東武線西新井駅

竹ノ塚駅を下りると、駅前に「光の祭典2010」というアーチがあり、そこからは元渕江公園まで約1.2kmにおよぶ街路樹のイルミネーション「光のケヤキ並木」が続いている。「約60万球のLEDが心おどる光の世界を演出しします。メイン会場の元渕江公園内では、都内の自然木では最大級の20m超×8本のメインツリーがやさしい光で彩られます」と駅のポスターで宣伝していた。

「枯れ木に花を咲かせましょう」ではないが、都内至る所にイルミネーションが輝いている。冬枯れの寒々しい街路を華やかな光で装飾し人々の外出を促進するための商店街の工夫の一つなのだろうか。今では全国イルミネーション・スポットとして紹介されていて12月の観光名所のひとつとなって来ている。

駅前のケヤキ並木の広い通りを日光街道方面に向って歩く。夜でないので元渕江公園まで行っても意味がないので、最初の広い通りを右に曲がり5分ほど行くと萬福寺があり、その裏に常楽寺がある。

常楽寺(観林山 真言宗豊山派)
寛永年間(1624-1643)河内与兵衛によって中興されたと伝えられている。西新井大師総持寺末。本尊は聖観音坐像で江戸中期のものと思われる。他に弘法大師・興教大師・閻魔の坐像・六地蔵、文久2年(1862)の十三仏画等がある。

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 常楽寺山門                         本堂

萬福寺(慈照山大悲院 真言宗豊山派)
文明10年(1478)の板碑墓石があり、草創の古さを知ることができる。明和・寛政のころが中興期であったようである。もと西新井大師総持寺末。本尊は十一面観世音菩薩。幕末ころから寺子屋を開いており、明治9年(1876)には、竹の塚村と島根村の子弟を収容する竹嶋小学校がこの寺に開設された。

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 萬福寺山門                         本堂

常楽寺から2、3分で西光寺に着く。すぐ傍に八幡神社、炎天寺があり、ここから六月町になる。炎天寺の本堂の前には石の蛙の置物があって福蛙と書かれている。「開運招福・福蛙・なでて福授かるべし」と看板に書かれていた。一茶の俳句から来ているのだろう。庭の池の端に一茶の像があり、池の周りには炎天寺や六月町を詠んだ俳句の句碑が建てられている。

周辺の住宅街はどこに行っても同じような風景を作り出しているので、神社や寺院が歴史の痕跡を残し、それを継続して維持している唯一の場所なのだろう。そこに残された建造物や品物、文書を見る事によって周辺の地域が昔はどのような状態だったか知る事が出来る。

西光院(正入山 真言宗豊山派)

源頼朝の在世より起立し、本堂に安置する薬師如来は、千葉家代々の守り本尊。明暦3年(1657年)の振袖火事と呼ばれた大火の折、小伝馬町の牢屋奉行を務めており、120~130人の囚人を一次放免し、焼死を免れたさせたことや『源氏物語』の注釈書70巻を著したことなどが刻まれた石出常軒の碑がある。その他青面金剛庚申塔 、西光院手水鉢が見所。境内にある元禄12年(1699)鋳造の大日如来座像は、高さ1.8mの足立区内最大の金仏。

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 西光院本堂                       大日如来座像           青面金剛庚申塔 

八幡神社
天喜4年(1056)ごろ、源頼義、義家父子によって創建されたといわれる。八幡太郎義家にまつわる神社である。平安時代、奥州征伐に向かった八幡太郎義家はこの地で野武士と戦い、苦戦の末勝利を得た。戦いが六月の炎暑の最中であったことから、村名は六月村、別当寺院は 炎天寺と名づけられた。

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  八幡神社参道                       社殿

炎天寺(幡勝山成就院 真言宗豊山派)

八幡神社の別当寺である。俳句で有名な寺で、小林一茶の句「蝉なくや六月村の炎天寺」「やせ蛙負けるな一茶是にあり」などで知られ、毎年行われる「一茶まつり」には、全国小中学生 俳句大会が開かれている。

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 炎天寺本堂                         一茶像と句碑

炎天寺から10分ばかり歩くと旧日光街道沿いの島根鷲神社に着く。この神社は古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様に出たこの地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれていたという。神社周辺の島根という地名の由来が、昔はこの地域が海岸線近くにあったということであって、この近くまで海があったということなのだろう。どの位昔のことか分らないがこんな内陸まで海であったとは驚きだ。

鷲神社はかなり広い境内で荘厳な社殿が中心を占めている。屋根は神社特有の形をしていて、出雲大社などに見られる大社造りなのだと思う。様々な神社建築があるが、この屋根の形は古い神社の雰囲気をかもし出している。旧日光街道沿いを進み西新井方面に右に曲がりしばらく行くと赤羽家長屋門がある。

島根鷲神社

大鳥居と堂々たる社殿が印象的な神社である。200年余の歴史を持つ島根神代神楽が伝わり、9月第3日曜の大祭や、11月の酉の市には島根囃子の笛や太鼓に 合わせ神楽殿で奉納される。本殿裏には高さ2mほどの富士塚がある。

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 鷲神社大鳥居と本殿                    富士塚

赤羽家長屋門
文政4年(1821年)以前の建築物で、元島根村名主・通称「金武様」と呼ばれた牛込家の屋敷門といわれている。現在は赤羽氏の所有となっており、民家の長屋門として貴重で、足立区の指定有形民俗文化財になっている。

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赤羽家長屋門の先を左に曲がると国土安穏寺に着く。ここの仁王門がなかなか立派な作りだ。境内には山門からは入れない。仁王門の脇から入るようになっている。本堂の周辺には幾つかの建物がある。浄蓮院、万丈堂、手水舎、甘露灑堂、鐘楼などである。また御手植えの松が本堂の前に植えられている。

本堂から山門に向かう。墓所入口に居眠小僧、掃除小僧の石像がある。どういった意味なのだろうか。山門の前には祖師堂があり、その左には祖師堂重興記念碑の大きな石碑があり、右には「法華経を説くお祖師さま」と書かれた日蓮上人の3m以上はありそうな巨大な彫像が立てられている。これは高村光雲作だという。

国土安穏寺(天下長久山 日蓮宗)
応永17年(1410年)に日蓮ゆかりの日通聖人が開いたと伝える古刹。開基は室町時代後半に足立の領主の一人であった千葉氏一族の千葉満胤と伝えられている。葵の寺紋を許され、朱印を賜るなど、徳川将軍家から厚く信任されていた寺で、旧日光街道に近く、歴代将軍が位牌所や御膳所として立ち寄った。

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 国土安穏寺仁王門                     本堂

そこからは西新井駅に向っていく。途中にあった来迎寺によって、猿払塚をみて、コースの最後ギャラクシティまで辿り着いた。中に入ると、1階の展示ホールでは、小学校の家庭科で作った物が展示されていた。前掛けや座布団などの手芸用品が並べてある。この建物がどういった目的で使われているかを知る事が出来る展示会だった。

来迎寺(照涼山阿弥陀院 真言宗室生寺派)
建久6年(1195)に創建された。当寺は建久6年に創建され、その後江戸時代天和年中、尊宥和尚によって再興されて今日に至る。往時は中本寺・西新井大師総持寺の末寺にして、近来は大和長谷寺の直末であった。

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 来迎寺本堂                         島根古蹟庚申塔

猿仏塚
 
昔、付近の農家に子守をする賢い猿がいた。ある時猿は泣く赤子をあやすつもりで風呂に入れたが、熱湯で赤子を死なせてしまったのである。その日から猿は物も食わずに赤子の墓守を続けて、とうとう死んでしまった。哀れに思った家人や村人が猿を供養するためにつくったのが、この猿仏塚である。塚はいつからか子供の厄除けに参拝されるようになり、子供が病気をすると泥だんごを備えてお願いをし、治るとお礼に米のだんごを供えるのが習わしとなった。

ギャラクシティ

「青少年センター・こども科学館・西新井文化ホール」の複合施設の愛称。こども科学館には、展覧会等が行えるレクホールや研修室、そしてプラネタリウムやコンピュータ・ルームがある。座席数が902席ある西新井文化ホールは、コンサート・演劇等、芸術・文化の活動の場として幅広く利用されている。

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 猿仏塚                            ギャラクシティ

西新井駅東口には14時15分に着いた。遅い昼食をとり、15時の待ち合わせに丁度いい時間だといえる。
(参考資料:さんぽみち総合研究所HP、あだち観光ネット・歩こうあだち)

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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