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北区のさんぽみち-9 王子・十条エリア

12月17日(金)
眼科での蛍光眼底造影検査が15時の予約だった。天気もいいことだし早めに家を出て北区のさんぽみちのコースを回ってみる事にした。家を出たのが12時過ぎだったので手近な「王子・十条エリア」に行く事にした。次のようなコースを巡った。

JR王子駅→音無親水公園→王子神社、関神社、毛塚→王子稲荷の坂→王子稲荷神社→名主の滝公園→地福寺→富士神社→JR東十条駅

王子駅の赤羽方面の先頭で下り、改札口を左に出るとすぐに音無親水公園だ。今年の最後の紅葉を見ることになるのだろう。サクラの葉は全て散っていて、もみじが最後の赤い輝きを放っている。水車や東屋など音無川のせせらぎを背景に作られた公園は王子駅前とは思えない静けさの中で安らぎのひと時を提供してくれる。

音無親水公園

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 水車       

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 石神井川支流音無川                   東屋から

音無親水公園に沿った高台に王子神社ある。以前行った時には王子神社しか眼に入らなかったが、境内に関神社がある。祭神の蝉丸法師は百人一首でも知られ、病で毛が抜けてしまったとき、義姉の坂上(逆髪)姫が自分の髪でかつらを作ったとの伝説から、境内には毛塚があり、「髪の祖神」として理美容業に携わる人々の信仰が厚い。ハゲ・薄毛・毛髪業繁盛のために参拝する。こういった神社の存在は昔の日本人の宗教観を知る上で極めて興味深い。

日本の神は至る所に存在し、菅原道真や二宮尊徳など世の中に功績のあった人は誰でも神になれるというわけだ。そもそも日本人の宗教観は汎神論的傾向が強い。全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものであるという考え方から言えば誰もが神になれるわけだ。

王子神社

中世に熊野信仰の拠点となった神社である。王子村は古くは岸村といったが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、王子村と改められた。非常に高い格式を持つ神社で、最盛期には飛鳥山も支配地としていた。

関神社
関蝉丸神社の御神徳を敬仰する人たちが「かもじ(髪を結う時自分の髪に添え加える毛)業者」を中心として、江戸時代に王子神社境内に奉斎したことを創始としている。理容業界の神様とされる。

毛塚
釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎に入られた時、貧女が自らの髪の毛を切り,油にかえて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝いたという言い伝えから、毛髪を扱う業者によって毛髪報恩と供養のために 昭和36年に建立された。

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 王子神社社殿                       関神社、毛塚

王子神社から5分位で王子稲荷神社に着く。正面に寺院にあるような山門がある。その奥に鳥居があり階段を上ると本殿が目の前にある。山門と鳥居の組み合わせは珍しい。祭礼などの時以外は正面入口は閉じられていて、南側の王子稲荷の坂を上り神社の横から入る事になっている。鬱蒼と木々に覆われ静かな境内は、過ぎ去った古い時代を感じさせるものであった。

王子稲荷神社

関東稲荷総社の格式を持つ。大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがある。年末には地元の方々の催す「王子狐の行列」が新しい風物詩となっている。
また、毎年2月の午の日に開かれる凧市は、たびたび大火にみまわれた江戸庶民たちが 「凧は風を切る」として火事除けの縁起をかつぎ、今なお親しまれている。

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 王子稲荷神社山門                     王子稲荷神社社殿

王子稲荷の坂
王子稲荷神社の南側に沿って西に登る急坂。この道は旧蓮沼村の中山道から分かれて姥ヶ橋(うばがばし)を経由し、現在の十条駅の南端を通り、さらに進んで日光御成道に合流する「王子稲荷道・王子道」であった。

細い王子稲荷の坂がかっては中山道と北本通り(岩槻街道・日光御成街道)をつないでいた道路だとは誰も想像出来ないだろう。今だったら北本通りと本郷通りが交差している王子から本郷通りを進み、十条駅を経由し環七の姥ケ橋交差点を左折すれば中仙道に行き当たる。裏道のような細い道路が、主要な幹線道路であったということを知ると昔の交通事情を想像できる。

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 王子稲荷神社裏参道                   王子稲荷の坂
 
王子稲荷神社の山門から少し行くと古風な門が目に入る。そこが名主の滝公園だ。門を潜るとそこには手入れの行き届いた日本庭園が広がっていた。斜面を巧みに利用して自然の風景を取り入れ、池を中心にした回遊式庭園であって、紅葉が最後の時期を向かえ公園の風景に彩を与えている。王子近辺には滝が多く、かつて「王子七滝」と呼ばれる7つの滝があった。このうち「名主の滝」だけが現存する唯一の滝となっている。

「名主の滝」は男滝を中心とし、女滝、独鈷(どっこ)の滝、湧玉(ゆうぎょく)の滝の4つの滝からなっている。湧玉の滝は残念ながら水が枯れていた。この4つの滝が公園の要所にあり、他の公園と比べて印象深いものにしている。

名主の滝公園
名主の滝は、王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、茶を栽培して、 一般に人々が利用できる避暑のための施設としたことにはじまる。明治の中頃、畑野家から貿易商である垣内徳三郎の所有となり、氏は好んでいた塩原(栃木県)の景に模して 庭石を入れ、楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷のある 趣のある庭園として一般の利用に供した。

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 名主の滝公園入口(薬医門)                公園内の池 

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 女滝                             独鈷の滝

富士神社に向かっている時、途中に寺院があった。地福寺と書かれていた。参道の横に「救らいの寺」という石碑があった。最初はどういう意味か分らなかった。本堂は鉄筋コンクリート造りの会館のような建物で寺院の雰囲気はなかった。裏に回ると母娘遍路像がありその前に70体位様々な石仏が並んでいる。また貞明皇后の彫像があった。彼女は近代皇室によるハンセン病救援事業の草分けとなった人である。ここで「救らい寺」の意味が分った。

地福寺(十条山 真言宗智山派)

岩槻街道沿いにある寺で、門前左には、六体の地蔵尊がある。 一番左の地蔵が、古来から「鎌倉街道の地蔵様」と呼ばれているものである。参道は、かつての王子の名産であったお茶栽培の名残りをとどめる「茶垣の参道」となっている。また、境内には「四国八十八カ所お砂踏み」と「母娘遍路像(救らいの像)」がある。

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 地福寺山門                         地福寺本堂

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 救らいの寺           母娘遍路像(救らいの像)

富士神社

十条冨士塚とも呼ばれている、もともとは古墳であったといわれているが、江戸時代に富士山に直接行けなかった庶民たちが、 塚を富士山に見立て参詣していてた。
塚には富士山の溶岩が配され、実際の富士山と同じように、中腹に小御岳神社の祠がある。 今でも毎年山開きにちなみ、6月30日と7月1日には祭礼が行われる。

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 富士神社入口                       富士塚          富士塚頂上の祠

富士神社は富士塚そのものであって他に神社の建物などはない。塚の頂上に祠がありそれを参拝することになる。都内至る所に富士塚がある。富士講は江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほどの流行となった。それに応じて富士塚も作られたのだろう。富士塚に着いた時には14時を過ぎていた。病院には14時30分に着かなければならない。15時の検査までに瞳孔拡散の目薬を点眼することになっている。

「王子・十条コース」所要時間の目安は69分となっていた。余裕があると思っていたが、予想より時間がかかった。名所旧跡巡りはそれぞれの場所で、看板を読んだり、雰囲気を味わいながら周辺を回ったりするので結構時間がかかるものだ。ぎりぎり14時30分に病院に到着した。

(参考資料:北区観光ホームページ)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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