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「死刑のない社会へ 地球が決めて20年」日比谷公会堂大集会

12月19日(日)
日比谷公会堂大集会
12月19日14時30分より、死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90主催の集会が「死刑のない社会へ 地球が決めて20年」と題して日比谷公会堂で行われた。(死刑廃止国際条約 第1条1項=この議定書の締約国の管轄内にある者は、何人も死刑を執行されない-1989年採択、1991年発効)

1990年日比谷公会堂で1500名を集めてフォーラム90の結成集会が行なわれてから20年が経過した。改めて死刑廃止運動を見直そうということで、大集会を企画し、日比谷公会堂を埋めるべく準備を進めてきた。結集は1850名という結成時を上回る数であった。集会の内容は以下の通りである。

集会内容

講演: 辺見 庸「国家と人間のからだ―私が死刑をこばむ理由」

ひとくちアピール:
車亨根(韓国死刑廃止運動協議会会長)、死刑廃止連絡会みやぎ、死刑を止めよう宗教者連絡会、日方ヒロコ(木村修治さんの義姉)、原田正冶(オーシャンの会・犯罪被害者の会)、大道寺ちはる(大道寺将司の義妹)、死刑廃止大阪合宿実行委、広島で死刑廃止運動を行なっている牧師、袴田季子(袴田巌の姉)、菊田幸一、死刑廃止フォーラムin名古屋

コンサート: 上々颱風
講談: 神田香織(講談師)「シルエットロマンスを聞きながら~和歌山カレー事件」
メッセージ紹介: 団藤重光、佐藤恵、イーデス・ハンソン

ひとくちアピール続き:
雪冤を果たした人々-免田栄(冤罪死刑囚・再審無罪)、赤堀政夫(冤罪死刑囚・再審無罪)、菅家利和(足利事件・冤罪被害者)
韓国から-李永雨、高貞元、朴・ビョウンシク
死刑廃止を推進する議員連盟、日本弁護士連合会、EUから(駐日英国公使)

パネル・ディスカッション:
「死刑廃止のカウントダウンにむけて」司会・安田好弘
パネラー・森達也、中山千夏、加賀乙彦

集会全体の報告は、フォーラム90ニュースを参照してもらう事にして、辺見庸の講演内容を報告することにしたい。この講演内容をテープ起こしして報告記事がフォーラム90ニュースに載るのには2、3ケ月後になるだろうからそれまでのつなぎとして読んでもらいたい。

講演 辺見庸「国家と人間のからだ―私が死刑をこばむ理由」

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1、心のバラスト
最近ある言葉に取り付かれている。「バラスト」という言葉だ。船は二重底になっていて、安定させるために船底に重り積んでおく。その重りの事を「バラスト」という。人は、何らかの方法で精神を安定させる。だがその安定させるもの「バラスト」を覗いたことがあるのだろうか。ある者は神であり、仏であるのだろう。夜の海を漂う自分の「バラスト」は何なんだろうか。

シベリヤに抑留され、クリスチャンである詩人石原吉郎が「今人の声は聞こえるが、自分の声は他人に届かない。言葉に見捨てられてしまったのだ」と言っている。言葉に見捨てられる過程とは、他者に関心を失っていく時代の中で、世の中での自分を失う過程でもある。我々の心を安定させる重しとは何か。虚無なのか、無関心なのか。その中には無意識の天皇制やファシズムも含まれているかもしれない。

2、千葉景子元法務大臣による死刑執行

死刑執行され20年間に84人が殺された。国連総会は昨年12月、まだ死刑を実施している国に対してモラトリアムを呼びかける決議を採択した。日米はこれに反対票を投じた。元法務大臣千葉景子が今年最初の死刑執行を行なった。民主党政権になってから初めてだ。千葉法相がまさか死刑執行命令書にサインするとは思わなかった。見通しの甘さを痛感し、人間観への反省を迫られるものであった。

千葉法相が我々とどう違うバラストを持っていたのか。このことは、彼女個人の問題に止まらず、日本の文化や思想に関係してくる。彼女が何故死刑執行を行なったのか。この事を突き詰めないと、死刑廃止運動の再生はないだろう。

死刑廃止運動の中に無意識の千葉景子が存在しているのではないか。昔、杉浦正健法相が「信念として死刑執行命令書にはサインしない」と話したあとにコメントをとりさげたことに彼女はかみつき、死刑に疑問をもつなら死刑制度廃止の姿勢をつらぬくべきではなかったか、と国会で威勢よくなじったことがある。杉浦氏は発言を撤回しはしたけれど、黙って信念をつらぬき、法務官僚がつよくもとめる死刑執行命令書へのサインをこばみつづけた。

死刑執行が1年間以上途切れさせないよう法務省は千葉景子に激しい圧力をかけただろう。そしてその思惑通り7月28日に死刑が執行された。千葉景子の語っていた死刑廃止という言葉が虚しいから、言葉が人間を見放すのである。

しかし法務省からの圧力だけだったのだろうか。彼女は出世や権威に弱く、おのれのなかの権力とどこまでもせめぎあう、しがない「私」だけの震える魂がなかった。だから、死刑執行命令書へのサインは「法相の職責」という権力による死のドグマと脅しにやすやすとひれふしたのだ。そう見るほかない。政治と国家はどうあっても死を手ばなしはしない。国家や組織とじぶんの同一化こそ人の倒錯の完成である。

3、千葉景子の背信の持つ意味
千葉景子は48年生まれ、学生運動をくぐったのだろう。社会党、社民党で人権問題に取り組んできた。アムネスティ議員連盟や、死刑廃止議員連盟に属し、外国人参政権や夫婦別姓問題に取り組み、右翼から攻撃対象にされていた。2010年2月14日の法務委員会で死刑制度反対を明確に表明していた。あまりに見事な背信といえるだろう。彼女の心の底のバラストを解明しないと死刑廃止運動の前進はないだろう。

死刑反対を裸で、他と分離して論じうるか。マルクスやレーニンは死刑について単独で取り上げて論じていない。エンゲルスが国家は災いであると言っているなど、国家については語っているが死刑については一切言及していない。憲法9条反対で死刑は反対というのは両立しない。石原吉郎は言う「民主主義は人の言葉を拡散させていくだろう」と。自分の声は届かない、届く前に拡散してしまう。人の声ばかり聞こえる。

千葉元法相が死刑執行命令書に署名した。死刑への怒りの感情が摩滅してしまったのだろうか。彼女は死刑に立会い、刑場公開を法務省に約束させ、死刑に関する勉強会を設置し死刑への議論を盛り上がらせるというが、これは思考の倒錯である。7月に執行された2名に対し彼女は残忍な犯罪者と言う。今までどういった考えで死刑廃止を語っていたのだろう。心の「すさみ」を垣間見る気がする。

しかし背信は彼女の例外的な行為なのだろうか。言葉を裏切ったがために、言葉に見捨てられた。我々の中の「すさみ」はないのだろうか。権力と自分を二重化して生身の人間を殺すことに耐えられる感性を培って来た。これこそが群集の心理ではないか。

4、死刑を嫌悪する感性

人間の生身の肉感的、感性的直感から言えば、「生きたい、赦してくれ」と泣き叫ぶ死刑囚の首に縄を掛けることなど、耐えられない。人の心の中の優しさは、殺人現場を見ていられないように死刑執行も我慢できない。死刑を耐えられないとする感性、死刑を嫌悪する感性が重要である。

マスコミは法務省の広報機関として、死刑に関して情動のきっかけを与えないよう、無機質の報道を行う。7月28日千葉景子は死刑執行に立ち会った。彼女は何を見たのか。一人は車椅子で連れてこられた。獄中生活で歩行困難になった死刑囚を刑場に引きずり出し、両脇を2人の刑務官が抱え、首にロープを巻くといった風景のリアリティに耐えられる神経、感性とは何か。この日の見えない「バラスト」とは何か。黙って見ていられる風景なのか。

以前75歳の死刑囚が処刑された。房内でも寝たきりだった。立つこともできない死刑囚を殺して行く。クリスマスの日に4人が絞死刑になった。クリスマスに特別の意味がある訳ではないが、何故この日に執行するのか。マスコミはこういった情景へのリアリティを消し去ろうとする。

どのような大儀名文があろうが感情が死刑という事に耐えられるのか。どうやって死を見つめるのか。国家と政治に同化し、自らを二重化し、自らの感性を倒錯させていく。この裏切りという暗いバラストは、どこから生じたのだろうか。これは日本の死刑廃止運動、左翼の運動と無縁ではない。

5、国家と個人

一個人は幻想としての国家に対していかにして自らの「バラスト」を抱いていくのか。底なしの虚無しかないのか。石原吉郎は言う「他者への一筋の言葉は存在する。それは自らの身体で担保できる言葉である。」各人のバラストに向って語りかける言葉であり、それによって言葉を生き返らせることが出来る。

人は国家や組織という幻想と、生身の自己を二重化することによって、戦争や死刑について、何の痛みもなく容認していく。学生運動で内ゲバという形で味方を殺してきた。組織という名の下に無慈悲になれた。新左翼運動はその事を本質的に総括していない。

マスコミの倫理はどこにあるのか。この国のバラストの卑劣さは、沖縄を平気で米国に売り渡す事に見られる。国家の名の下に、自らのバラストをそこに同化し、身体的言語から決別する。言葉が何も守らない。

憲法9条2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」日本の防衛予算、自衛隊の現状を見ればこの言葉がどんどん意味を失っていく。そして誰もがそれを知っていながら国家のバラストとして容認していく。

かって奴隷制度、麻薬、死刑は人類史の中で容認され維持継続されてきた。しかし奴隷制度や麻薬は否定された。EUでは死刑が廃止されている。死刑廃止がEU加盟の条件だと聞いた。EUでは難民や貧困者への苛酷な政策を行なっているところもあるが、死刑は過去の恥ずかしい犯罪として否定さている。日本はヨーロッパの真似をして成長してきた。しかし死刑だけは別なのだ。

我々は自らの心のバラストを覗いて見なければならない。自分の身体で担保できる言葉で、言葉に見捨てられ、倫理を失ってしまったこの国の中で、他者に語りかけていかなければならない。

6、デュー・プロセスの崩壊

「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」とする憲法第31条がデュー・プロセス・オブ・ローの原則を示している。しかし実際には多くの冤罪の発生、検察の証拠捏造、司法の検察への迎合など、デュー・プロセスは崩壊している。

メディアは国家権力に立ち位置を取っている。メディアこそが冤罪を作っている。逮捕段階で犯人報道が大々的に流布される。冤罪だと裁判で分っても自らが犯人報道をし冤罪に加担したことへの反省は全くない。個がないから反省しない。

7、死刑廃止運動の新たな出発を

人の死は、それによって心のあわだちが襲ってくるものだ。メディアの発する死刑のニュースは、リアリティを薄めて死への想像力をかきたてないように粉飾する。死体の記憶を忘却させる。

死刑とは内面的不自由の象徴である。死刑と我々の関係は一つの黙契といえる。死刑がある限り個人としては自由ではありえない。

2010.12.19、今日を死刑を二度と見ない日の出発点にしたい。二度と千葉景子を生み出さない。我々の中の無意識の黙契を断ち切り、死刑のモラトリアムの開始日としたい。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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