スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

柴又七福神めぐり

1月7日(金)
水曜日の血液検査で好中球が440しかなかった。その改善をはかろうとノイトロジンの皮下注射を継続して行うため病院に通うことになった。特に時間指定はないが、午前中に行くことになっている。30分位で終了する。

11時半に病院を出た。気温が10度以下になると、家にいたらなかなか外に出る気がしない。病院帰りのウォーキングとしては、大部分がこの時期にしか見られない七福神を巡拝できる七福神めぐりが2時間前後の行程で丁度いい。

30程ある東京七福神めぐりのどこにいくか。何処でもいいが、今日は時間があるので少し遠くても行ける。歴史がありそうな柴又七福神に行く事にした。ここは昭和8年に始まった七福神巡りだという。

金町駅→良観寺(宝袋尊)→真勝院(弁財天)→題経寺(毘沙門天)→万福寺(福禄寿)→宝蔵院(大黒天)→医王寺(恵比寿天)→観蔵寺(寿老人)→高砂駅

常磐線金町駅で降り、金町浄水場の脇の道を京成線の線路沿いに帝釈天の方に向って進む。5分位で最初の目的地良観寺に着く。本堂の脇にはコンクリート製の大きな布袋尊が立っている。この寺の布袋尊は宝袋尊と書く。この願掛け宝袋尊のお腹に手を当てて熱心に願い事をすると願いがかなうということで、多くの参拝者がお腹に手を当てて御参りしていた。

本堂の右には安らぎ地蔵が100体ほど並んでいた。ペットの墓地もあり多角的に色々やっているようだ。ペットの遺骨を一体預かる場合1年間に3万6千円かかると書いてあった。これが高いか安いか分らないが、寺院の経営も大変だと思う。

次の真勝院に行く途中に八幡神社がある。古墳の上に建てられた神社だというからどんなものだろうと思って寄ってみた。境内から色々と発掘された。神殿の裏には古墳の石室(非公開)がある。また、渥美清さんの命日(平成13年8月4日)に、この古墳で「寅さん」そっくりの埴輪が出土し、「郷土と天文の博物館」に展示されている。

良観寺(弘誓山観音院 真言宗豊山派)・宝袋尊
創建年代は不詳だが、室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されていたと考えられる。

柴又七福神003ed_convert_20110107002058  柴又七福神006_convert_20110107002125
 良観寺本堂                               宝袋尊

柴又七福神002_convert_20110107002159  柴又七福神004_convert_20110107002223
 六地蔵とやすらぎ地蔵                    宝袋尊

八幡神社
柴又八幡神社は旧柴又村の鎮守。円墳の上に建てられた神社で、円墳は直径30m、6世紀~7世紀の築造であることが判明した。

柴又七福神017ed_convert_20110107002325  柴又七福神015ed_convert_20110107002301
 八幡神社正面鳥居と参道                  社殿

八幡神社から柴又街道を横切り江戸川方面に向かうと真勝院の山門がすぐ左にある。参道の右には五智如来石像が並んでいる。葛飾区の文化財指定になっている。弁財天は本堂の扉が少し開けられ、その間に置かれた厨子に入れられている。15、6人の年寄りの団体と何回か遭遇する。地域の「歩こう会」か何かなのだろう。

柴又帝釈天の境内は、初詣に来た人や、観光客でごった返していた。参道も人で溢れ、寺院の周辺には屋台がひしめき合って並んでいた。

その雑踏から逃れ、次の万福寺に向うと一気に静けさに包まれるような気がした。住宅街の真ん中に万福寺はある。境内には全く人気がなかった。福禄寿は本堂の中の厨子に納められていて、縦の桟のはまったガラス戸を通して見るようになっていた。

真勝院(石照山真光寺 真言宗豊山派)・弁財天
大同元年(806)の創建と伝えられ、江戸時代までは柴又八幡神社の別当寺だった。
五智如来石像: 密教では大日如来の知恵を五つにわけ、これに五仏をあて五智如来という。真言の行者は発心修行の結果、この五智を得ることができるといわれている。向かって右から阿しゅく如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の順に並び、中央の宝冠を戴く大日如来を、真言宗では最高の仏として寺院の本尊としている。

柴又七福神026_convert_20110107002611  柴又七福神023_convert_20110107002505
 真勝寺本堂                               弁財天

柴又七福神018_convert_20110107002537  柴又七福神021_convert_20110107002401
 真勝寺山門                         五智如来石像

柴又帝釈天(経栄山題経寺 日蓮宗)・毘沙門天
市中山法華経寺第19世禅那日忠が当地にあった草庵を一寺とし成し、寛永6年(1629)開山したという。本堂改築に際して、梁の上から日蓮聖人自刻と伝えられる帝釈天像の板木(板本尊)を安永8年(1779)の庚申の日に発見、柴又帝釈天として著名となった。

柴又七福神032_convert_20110107005907  555.jpg
 柴又帝釈天帝釈堂                           毘沙門天

万福寺(聖閣山 曹洞宗)・福禄寿

昭和3年に創建。これはこの地から人骨数体が発掘されたため、地元の人びとの要望に基づくという。境内には110体の弘法大師石像が安置されている。

柴又七福神048_convert_20110107002928  柴又七福神046ed_convert_20110107002851
 万福寺本堂                               福禄寿

万福寺から10分ほど歩くと広い境内の宝蔵院がある。多くの寺院の庭は日本庭園としてしゃれた造りになっている。しかしこの寺院の本堂の前の敷地は、住職が手入れをしているのだろうか、一般家庭の庭によく見られるガーデニングである。水仙が花をつけている。また梅も咲き始めている。ローズマリーなども植えられている。こういった家庭的な雰囲気は好感がもてる。

入口で住職が、「大黒天は本堂の中にあるので、上がって見ていって下さい」と参拝者に呼びかけている。また「写真撮影をしてもいいです」と言ってくれる。なかなか気さくな人だ。

宝蔵院の隣が題経寺の墓所になっている。北総鉄道の線路を潜ると「柴又七福神」ののぼりが立っていて道案内にもなっている。左右に仁王像を配した堂々とした山門が目に入る。かなり古めかしい感じがしたのだが、作られたのは平成4年だと書いてあった。20年もたたないのにこの色合いはどうして出てきたのだろうと不思議に思った。総檜造りで京都の神社、仏閣の専門建築業者が作ったらしい。

医王寺由来が山門脇の看板に書かれていた。「奇病(赤目病)が下総国一円に発生した。それを足利義満が聞き、悪病退散の祈願寺の建立を上奏し、京都仁和寺の僧観見和尚に薬師瑠璃光如来を奉持させ、柴又村の当地に建立した。その後奇病は終息した。現在でも眼病を護る仏として参詣に人々が訪れている。」これはちょうどいい。眼病にご利益があるというので、是非参拝しなくてはと思ったが、参拝する時にはその事を忘れてしまっていた。

宝蔵院(大黒山 真言宗智山派)・大黒天
寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したという。関東大震災で罹災し、昭和2年当地へ移転した。当寺に安置する出世大黒天は、将軍家をはじめ上下の信仰が厚かった。

柴又七福神049_convert_20110107013101  柴又七福神071_convert_20110107003619
 宝蔵寺本堂                         弘法大師像

柴又七福神052ee_convert_20110107013619  柴又七福神062ed_convert_20110107003249  柴又七福神066ed_convert_20110107003412
 宝蔵寺の大黒天

医王寺(薬王山瑠璃光院 真言宗豊山派)・恵比寿天

観賢法印が応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられている。戦国時代の国府台合戦で罹災、寛永年間(1624-44)金蓮院の僧某が再興、医王寺と改称した。

柴又七福神072_convert_20110107003752  柴又七福神086ed_convert_20110107010829
 医王寺山門                         医王寺本堂

柴又七福神094ed_convert_20110107003933  柴又七福神080_convert_20110107004128  柴又七福神078_convert_20110107004049
 恵比寿天                山門の仁王像

観蔵寺だけが離れている。医王寺は北総鉄道の新柴又駅前にあり、観蔵寺は一駅離れた高砂駅の傍にある。電車で行こうと思って改札口に向った時に列車の発車ベルが聞こえた。丁度上り列車が出たばかりだった。時刻表を見ると次の電車が来るのが23分後である。巡拝コース表によると、観蔵寺まで23分と書かれている。歩いても同じ時間だ。

待っているより歩くほうがいいだろう。「親水さくらかいどう」という桜並木の道を高砂方面に向かって歩く。高砂駅まで丁度20分かかった。列車よりも早かった。観蔵寺はひなびた田舎の寺院といった感じだった。七福神めぐりがなかったなら、誰も来ないのではないかと思う。

寿老人は本堂の扉が少しだけ開けられ、その間に厨子がありそこに収められ置かれている。かなり小さいので、近くで見たいと思ったが、「本堂に近づくと警報器が作動するので、階段の下から見学するように」大きく書かれていた。セキュリティがしっかりしていることと、寺院の外観とが何ともアンバランスだ。この寺院から高砂駅までは3、4分だ。京成線で日暮里まで出て帰路についた。

観蔵寺(金亀山神宮院 真言宗豊山派)・寿老人
文明元年(1469)僧空性坊が創建、承応2年(1653)隆敬法印が中興開山したと伝えられる。

柴又七福神115_convert_20110107185735  柴又七福神107ed_convert_20110107004358
 観蔵寺本堂                               寿老人

(参考資料:かつまるガイド、柴又観光協会HP、猫のあしあと)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。