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下谷七福神めぐり

1月10日(月)
ノイトロジンの注射のため病院に行く。今日は休日なので、救急外来で注射をしてもらう。11時頃病院に着いて、救急外来の受付に行く。受付には、研修医だろう若い医者が2名いた。注射の手続きが担当医から回っているかどうか確認を受けた後、すぐに診療室に呼ばれる。診療室には5つの部屋が並んでいる。

待合室には5、6名の患者が待機していた。ノイトロジンの注射は看護師でも出来るので、すぐに空いている部屋に通され注射をした。受付に戻って会計を済ませ、病院に入ってから出るまで15分位しかからなかった。この位スムーズに行くと楽だ。

病院の帰り道、谷中七福神めぐりの最初の東覚寺の横を通ると多くの参拝者で賑わっていた。例年は7日位で終る七福神めぐりも今年は8、9、10と連休なので10日までやっているようだ。確かにいつ行ってもいいのだが、この期間でないと、庭にある石像の七福神は見られるが、それ以外は仕舞われてしまうし、本堂や拝殿の扉は閉ざされガラス窓からしか中を見られない。どうせなら正月に行って七福神を見たほうがいいだろう。

七福神めぐりでいつも思うのはその組み合わせの面白さである。寺院と神社の両方が含まれ、寺院の宗派もまちまちである。また七福神はインドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、中国の仏教(布袋)、道教(福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入り混じって構成されている。

またそれぞれが開運有福の神である。煩悩からの解脱、浄土を求めるなどといった抽象的な心の安寧などではなく、極めて現世的な利益を与えてくれる神なのだ。大国天=有福蓄財、毘沙門天=勇気授福、弁財天=芸道富有、布袋尊=清廉度量、福禄寿=人望福徳、寿老神=延命長寿、恵比寿天=敬愛豊財となっている。現世的な幸福(内容は物質的金銭的豊かさ)を願う対象である神とは、何と分かりやすいのだろう。

一つの宗派に属している人やキリスト教者は七福神めぐりに行くことはないのだろうか。七福神めぐりを見ると多くの日本人が無宗教であることが良く分る。どんな神にでもどんな宗教の寺院にでも、手を合わせ願い事をするのは決して宗教的行為ではなく、むしろ一つの風習でしかない。

江戸時代は初詣や七福神めぐりは観光的要素が多く含まれていたのではないか。時代小説にあったが、成田山新勝寺への初詣は2泊3日の旅だったそうだ。普段なかなか休みなどとれない江戸庶民が初詣、大山詣で、お伊勢参り、富士講など宗教的色彩をもった旅行にすると周辺の理解を得られるのでそういった装いを施し休暇を楽しんだとも思える。もちろん中には熱心な信者もいただろうが。

JR鶯谷駅→元三島神社(寿老神)→入谷鬼子母神(福禄寿)→英信寺(大黒天)→法昌寺(毘沙門天)→弁天院(弁財天)→飛不動正宝院(恵比寿)→寿永寺(布袋尊)→日比谷線三ノ輪駅

今日で催しとしての七福神めぐりも終わりだ。病院の最寄り駅田端から鶯谷までは5分とかからない。下谷七福神めぐりは鶯谷から日比谷線の三ノ輪までの間にある。歩く時間は1時間ほどだ。土日は全く体を動かさなかった。体力の維持のためにウォーキングは最適な運動だ。

鶯谷の駅を日暮里側で降りると改札口から神社の建物の裏が見える。神社の入口は反対側である。境内の階段の下には茅の輪があり、その横に8の字にくぐる方法が書いてある。階段の上に拝殿があり、横にある社務所では朱印色紙が400円と600円の2種類販売されていた。朱印を押してもらうのに1回100円である。谷中七福神の200円に比べて安い。どうやって決めるのだろう。

元三島神社から入谷鬼子母神に向う。鶯谷の駅前のホテルがひしめき合う細い路地を抜けていく。何故この場所にこんなに密集しているのだろうか。何といっても駅の真ん前なのだから。七福神めぐりの団体が細い路地に入って来る。60過ぎの婦人が連れ合いに「3500円だってこれ一人分の料金かしら」などと話しているのが聞こえた。これだけ店があるとこういった所でもやはり安売り競争になってしまうのだろう。

金杉通りに出る。ここから入谷鬼子母神まで、8月には朝顔市が開かれ、鉢植えの朝顔が所狭しと並んで売られている。歩道は朝顔を買い求める観光客でごった返していた。鬼子母神の境内にも朝顔売りの出店が並んでいた。今は、七福神めぐりの人達が5、6人いるだけだ。

元三島神社・寿老神
大山祇神社のご分霊を祀り、その源を弘安四年の役に発する。勇将河野通有、大山祇神社に必勝の祈を捧げ神恩加護を仰ぎ、武功赫々として帰国したところ、夢の中に神のお告げを得て、上野山中にあった河野氏の館に分霊を鎮座したことに始まる。旧金杉村(台東区根岸、東日暮里)の鎮守。

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 元三島神社社殿                            寿老人

入谷鬼子母神真源寺(仏立山 法華宗本門流)・福禄寿
1659年(萬冶2年)光長寺20世・日融が当地に法華宗本門流の寺院を開山したことによる。入谷鬼子母神として有名なほか、毎年7月の七夕に朝顔市が行われる。

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 真源寺本堂                               福禄寿 

鬼子母神から英信寺にいく。ここに安置されている弘法大師作といわれる三面大国天は右に弁財天、左に毘沙門天の3つの顔を持つ。椎名町駅前の金剛院にも三面大黒天があり正月のみ開帳されていた。これ一体で出世、開運、商売繁盛などを手助けしてくれるという何とも贅沢なものである。

すぐ隣に法昌寺がある。毘沙門堂には色彩豊かな毘沙門天が厨子の中に安置されている。その傍らにたこ八郎改め「たこ地蔵」が皆の無病息災を祈願し合掌している。地蔵には彼の口癖であった「めいわくかけてありがとう。たこ」と彫られている。

法昌寺に隣接して大慈大悲の下谷観音堂がある。また寺院の向いには小野照崎神社があり、子連れの家族が参拝していた。学問の神様だから子供を連れてきたのだろうか。成人式の帰りの振袖姿の何人かの女性の姿も見られた。

英信寺(紫雲山 浄土宗)・大黒天
慶長年間(1596年~1615年)の開山と伝えられ、弘法大師・空海の作といわれる三面大黒天を有する。

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 英信寺本堂                               三面大黒天

法昌寺(日照山 法華宗本門流)・毘沙門天
慶安元年(1648年)の創建と伝わるこの寺は、宗祖奠定十界勧請大曼陀羅を本尊とし、毘沙門天を祀りもする。
境内にたこ八郎を祀った地蔵を安置している。由利徹、赤塚不二夫、山本晋也らを発起人として昭和60年(1985年)に作られたこの地蔵は、合掌をした立像で、たこ八郎の生前の姿を模ったものとなっている。本寺は同氏の菩提寺であった。

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 法昌寺本堂                               毘沙門天

下谷観音堂、小野照崎神社

小野篁(たかむら)が東下の際、上野照崎の地に留まり、里人たちを教化した。里人らは上野殿(諫議亭)と敬慕し、仁寿2年(852)小野篁が没すると、これを照崎の故地に祀って小野照崎大明神と称した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、江戸二十五天神の一つに数えられた。

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 下谷観音堂               小野照崎神社

弁天院周辺はかって水の谷といわれ、竜泉寺一帯と金杉上町の一部にあった原っぱであった。 この原っぱには大きな池が二つと、小さな池が一つあり、大きな池には2400坪で、47坪ほどの島があった。大震災後にこの池は埋め立てられた。

水の谷の池が埋め立てられたことを惜しんだ久保田万太郎は次のような句を残している。「水の谷の池 埋め立てられつ 空に凧」。その名残をとどめた池が境内にある。

飛不動尊の縁日は10月10日だということだ。10月(神無月)は神様が縁結びの相談のため出雲に出かける。その留守を預かるのが恵比寿天だ。10月10日は全ての願い事をキク「菊恵比寿の日」ということで菊を供えて御参りする日となっている。

朝日山弁天院(曹洞宗)・弁財天
備中松山城主水谷伊勢守藩で、寛永初年不忍池(現上野恩賜公園内)に弁財天を創設すると同時に、その下屋敷であった水の谷池にも弁財天を祀りそれを姉弁天、東方の水の谷を朝日弁財天と称した。

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 弁天院本堂                                弁財天

飛不動尊正宝院(龍光山三高寺 天台宗系単立)・恵比寿

開山は室町時代で、修験の僧であった正山という者により、三高寺・正寶院として享禄3年(1530年)に開基された。『飛不動尊』は本尊の不動の異称で、一時的に奈良の大峯山にあったものが一夜で江戸まで戻ってきたという、自身の逸話からこの名がある。そこから航空安全の利益ありとの評判を得るに至っている。

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 正宝院本堂                               恵比寿

最後の寿永寺に向う途中に「樋口一葉記念館」がある。こちら方面にはめったに来ないので寄ってみることにした。3階建ての立派な建物だ。1階には大きなテレビが置いてあり、その前に椅子が並べてある。ビデオ内容を選択して見ることが出来る。樋口一葉の生涯、たけくらべの漫画での紹介など4種類位から選択できる。展示物を見る前の予備知識を得ようと「一葉の生涯」のビデオを見た。

2階の展示室には自筆原稿、書籍類、遺品等の資料を通し一葉の24年間の生涯を紹介している。3階には「たけくらべ」に登場する人物模型や、その他代表作に関連した映画や芝居のポスターやパンフレットなど風俗資料が展示されていた。

一葉記念館に面した一葉記念公園には「たけくらべ」の記念碑が立っている。そこには佐佐木信綱の歌二首が刻まれている。また公園前には、菊池寛の一葉を称える撰文による記念碑が立っている。

寿永寺では、七世敬首和上が、法生会という動物慰霊の文を発願した。また弥勒菩薩の化身といわれる布袋尊を崇敬している。布袋尊は中国に実在した高僧で。清廉度量の神となっている。本堂の横に大きな布袋尊の石像がある。そのおおらかな様相は人の心を和ませてくれる。この寺院から三ノ輪駅までは5分もかからない。

樋口一葉記念館

名作「たけくらべ」の舞台となった龍泉寺町(現・竜泉)の人々は、一葉の文学業績を永く後世に遺すべく、有志により「一葉協賛会」を結成した。協賛会は記念館建設を目指し、有志会員の積立金をもとに現在の用地を取得し、台東区に寄付をして記念館建設を要請した。台東区は記念館建設を決定し、昭和36年(1961)開館に至った。

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 記念館建物                         展示風景

寿永寺(正覚山得生院 浄土宗 通称赤門寺)・布袋尊
江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の側室であった得生院殿寿永法尼という尼が、秀忠の菩提を弔うためにとこの地に一宇の庵室を開いた。これがすなわち寿永寺の開創で、寛永7年(1630年)のことであった。

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 寿永寺本堂                               布袋尊

(参考資料:台東区の史跡・名所案内、はてなキーワード、猫のあしあと)
 

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