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伊坂幸太郎 『終末のフール』

1月27日(木)
5177ee_convert_20110127175046.jpg 「あと3年で世界が終わるなら、何をしますか」(鋼鉄のウール)。これが『終末のフール』のメインテーマだ。人類滅亡を知った人々に起こる様々な出来事を描いた近未来SF連作短編集である。

「8年後に小惑星が落ちてきて地球が滅亡する」と世界中に明らかにされ、人々はパニックに陥り、恐怖心が巻き起こす、暴動、殺人、放火、強盗、デマ、犯罪がはびこる。秩序が崩壊した混乱の中、絶望にかられた自殺が蔓延する。人々は様々な所に逃げ惑うが行くべき所など地球上にはない。仕事も辞め、貯金を下ろし何もせず日々食糧確保のためだけに生きるようになる、そしてますます絶望に陥り生きる意味を見失っていく。

世界崩壊の発表から5年たった。パニック的な逃避行動、犯罪と殺戮の混沌とした社会、世界中の大混乱は、ここへきて祭りが終わったかのように収束していった。そんなパニックがやや落ち着いた頃は、激突まであと3年になっていた。世間は危うい均衡が保たれていた。

小説の舞台は、仙台の北部の丘を造成して作られた団地「ヒルズタウン」に建つ、築20年のマンションである。その住人がいかにそれぞれの人生を送るのか、世界の終わりを告げられた時の騒動を潜り、今なお生き残って住んでいる人たちが、絶望やパニックの向こうに「生きる道のある限り、あと3年の命を精一杯生きよう」という前向きの姿勢を淡々と一人称で語っていく。

◆ 
人はやがては死ぬ。特に死を宣告されたがん患者は当然身をもってそれを感じる。残された時間をどうして行くのか。そういった意味で伊坂の3年で死ぬ事になったらどうするかの問いは大きな意味を持ってくる。しかしそれが個人に科せられた試練か社会的な現象かによって現れ方は大きく異なる。しかし所詮答えは各人が出さざるを得ないのだ。

この小説は8つの短編で構成されている。この中で中心になるのは謝辞の中で伊坂が語っている。「鋼鉄のウール」はキックボクシングジム治政館の見学から生まれていて、鬼気迫る練習風景を見て、「世界が終わりになっても、あの人とたちは練習しているかもしれない」と考えざるを得なかった。それがこの短編の主人公苗場の言葉となって現れている

元ジムに通っていた当時まだ小学生高学年だった少年が5年ぶりにジムの前を通るとサンドバックを打つ音が聞こえた。苗場は会長と共に5年前の時からもほとんどか欠かすことなく練習をしていたのだ。

 小説からの引用
「明日死ぬっていわれたらどうする?」
「明日死ぬとしたら生き方か変わるんですか? あなたの今の生き方は、どのくらい生きるつもりの生き方なんですか? できることをやるしかないですから、やることをやる、それしかないだろうに」(集英社単行本P180・鋼鐵のウール・苗場との会話)

こんなご時世大事なのはいかに愉快に生きるかだ。(P110)

残ったもの全員で、舞台が終るまで、ここで家族を演じるのも贅沢なことじゃないか。最近の私を悩ませる、あの悪夢を思い浮かべる。誰も彼もが舞台から消えてしまう、あれだ。あの孤独に比べれば、この賑やかさは幸福以外の何物でもない。(P255)

生きられる限りみっともなくてもいいから行き続けるのが我が家の方針だ。生あるうち光の中を歩め。生きる道がある限り、生きろってことだ、死に物狂いで生きるのは、権利でなく義務だ。(P273)

生き残るっていうのはさ、もっと必死なもののような気がするんだ。じたばたして、足掻いて、もがいて。生き残るのってそういうのだよ、きっとさ。(P294)。

 8編の短編に登場する人達は5年間の混乱を生き抜いた人達である。周りの家族や友人が死んでいくという極限状態に置かれても、なお生き抜こうとする人間の強さを感じると同時に、生きるということは偶然の重なりでもあるのではないかと思わせる点もある。その与えられた機会を精一杯守りぬいて今の自分を保っているのだろう。

世界の最後=死に直面しながら5年経ちそこに流れる時間は、平凡凡々と過ぎ去っていく。しかしその平凡さこそに人々が求めている大切で深い意味があるのだろう。平凡さ故の尊い時間をかみ締めながら、2度と戻らない瞬間を捉え、今という時を本当に大切にしようとする気持ちがかきたてられる。  

現在社会の人々は生きる価値を失うような人生・日常を送っている、小惑星の衝突、人類の滅亡という事を通して現代人の生き方に対す警鐘を鳴らしているのではないか。

8年で人類が滅亡するという時間制限は、我々に今という時間をどう生きるのかを問うている。未来の幸福を求めることはあるだろう、しかし現在は未来のための単なる犠牲の時間ではないはずだ。今を生き生きと生きる事が求められている。日常性に埋没し無意味な日々を繰り返すような生き方から脱却し、明日をも知れぬこの世の中に生きている身である限り、今を如何に生きるべきか、今の充実をもっと求めてしかるべきではないか。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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