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入院37日目(院内患者家族交流会)

3月11日(金)
 床屋の話
1週間位前から、髪の毛が抜け出した。毎朝枕にびっしりと付いている。シャワーで頭を洗えばごっそりと髪の毛が抜ける。抗がん剤の副作用の最後が頭皮細胞への影響なのだ。髪の毛がどんどんまばらになっていく。抜けるのは黒髪ばかりで白髪だけが残る。何とも見栄えが悪い。気分転換に一番短い丸刈りにすることにした。病院にも理容室はある。しかしそこは丸刈りでも2500円取られる。駅前に1000円床屋があった。散歩も兼ねて行ってみた。自宅の近くの同じチェーン店では丸刈り500円だった。それを期待していたが、駅前の店は残念ながら1000円だった。10分もかからず終わる。全く人相が変わる。それもまた面白い。

 院内患者家族交流会
今日は奇数月の第2金曜日に定期的に行なわれている院内患者家族交流会(おしゃべり会)の日だ。退院の前日というのは全くうまく日があったものだ。退院してしまったら体調もあって参加は難しかったかもしれない。場所は同じフロワーのデイルームで行なわれる。

今日は気候も良かったせいか、いつもより集まりが良く10名の参加だった。骨髄異形成症候群、急性骨髄性白血病、急性リンパ白血病の人2名、慢性骨髄白血病の人も2名、もちろん原発性マクログロブリン血症は私しかいない。その他に、患者家族2名の参加があった。

 急性骨髄性白血病の人の話
特に印象に残ったのは急性骨髄性白血病患者の人の話だった。彼はまず最初に言った。「治療や副作用が辛く苦しいのは生きているからだ」と。その言葉は、発症から9年たちながらも今なおかなり辛い後遺症の苦しめられながら仕事をあくまでも継続し続けている彼だからこそ言える台詞なのだ。

最初から大変なことになっていた。心臓に白血病細胞が浸潤し呼吸が困難な状態になった。酸素マスクだけでなくあらゆる機材をつけ呼吸を確保し病院に担ぎ込まれた。通常の寛解導入療法で、抗がん剤治療を行ったが、薬物耐性菌ではないが、全く抗がん剤に反応しなかった。その時病院のA医師が紹介してくれたのが、浜松大学と静岡大学で共同研究している、亜ヒ酸(三酸化砒素)を用いた治療だ。

砒素を使う治療には抵抗があったが他に方法はない。浜松医科大学付属病院に入院し治療を受けることになった。最初は2ケ月、その後は1ケ月交代で、東京の病院と行き来した。浜松で食事にうな丼や海鮮丼が出た。それが浜松に行く楽しみにもなった。その後自己末梢血幹細胞移植を行った。その後長い間、血球の数値が元にもどらなかった。今でもかなり低い。

現在抱えている問題は、末梢神経障害と夜寝ると必ず起こる脚の様々な筋肉がつることである。これがまた半端でなく痛い。夜中でも叫んでしまう。以前は家族と一緒の部屋で寝ていたが今は別の部屋で一人だ。医者に処方してもらった薬があるが痛みが始まるとそれを我慢するのに精一杯で薬を飲めない。痛みが収まってから飲むしかないが、それでは効果がない。寝ようとして横になると再び強烈な痛みが襲ってくる。毎晩それの繰り返しだ。また時々心臓が痛む。横になって寝る事が出来ないので箪笥に寄り掛かって寝ながら朝を待って病院に行くこともある。

移植からかなり立つがまだ血球の数値が基準値まで戻らない。白血球の減少で様々感染症にかかった。出血しやすく出血するとなかなか止まらない。疲れやすい。同僚よりも毎朝30分早く出勤するが、なかなか仕事はこなしきれない。一度転勤の話が出たが他の所に行ったら今の様には働けない。放射線技師として皆の役に立ちたい、それも仕事の大きな動機だ。

こう語りながらも彼はやはり最初に言った言葉を楽しげにくりかえす。「苦しいと感じられるのは、生きているからだ」と。急性骨髄性白血病の治療がこんなに大変だとは思わなかった。こういった辛い治療法を聞くと今までに治療が楽に思えてくる。またこういった治療を淡々とこなし、それぞれぞれの場で自分なりの楽しみを見いだして行く心の持ち用は大いに学ぶべきことがあると思った。

 地震が起こった
15時少し前、交流会の真最中病棟の建物が激しく揺れた。直ぐ収まるだろうと思っていたが激しい揺れはひたすら続く。今まで経験したことのない激しく長いものだった。三陸沖を震源とするマグニチュード8.8という観測史上最大の地震だという。関東大震災のM7.9の32倍のエネルギーだそうだ。東京ですらかなりも揺れがあった。宮城県や岩手県では地震による建物の倒壊、火事、津波など次々に襲いかかてくる自然の猛威に立ち向かわなければならない。

病院の建物は大地震の時など、そこに運び込まれる人は大勢いたとしても、よっぽどの事がない限り病人を運び出す事はない。そにため耐震構造はどんな建物よりもしっかりしているはずだ。地震の時には病院が一番安全だ。ガラスが割れて怪我をしたり、壁が崩れて捻挫や骨折したりしても薬もあり、医者も看護師もいる。

会議をやっていたのは10階だった、確かに1階よりは揺れただろう。しかし10階は最上階だから上から建物が崩れてくることはない。最近の耐震構造の建物は柔構造にすることによってかかってくる力の負荷を分散させる。そのため地震による倒壊を防ぐためかなり揺れる。揺れることによって建物を守っているのだから、その揺れを安全への印として考えて心の動揺を抑えていくことが何よりも重要だろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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地震こわかったよぅー(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 一番短い丸刈りというと,スキンヘッド!?(゜◇゜)

 yosimineさんのウォーキング記事は,いつも参考にさせてもらってます。
 踏破計画立案時に,ネットから資料ページをFirefoxのScrapBookにとりこんでおくのですが,yosimineさんの吉野梅郷,高幡不動尊,白山神社は,すでにとりこみ済みです。(▼▼メ)

ATO

AMLの患者さんでの亜ヒ酸の名前を久しぶりに目にしました。亜ヒ酸はarsenic
trioxide(通称ATO)と呼ばれますが、あるタイプのリンパ腫か白血病には日本でも承認されていると思います。MMの場合には、melphalan、ATOとVitamin-Cの組み合わせでMACと呼ばれています。なにしろ毒薬ですから、たくさん使うと患者さんが亡くなるし、少ないと効果がないしで、使うのが難しい薬だそうです。また毒薬のヒ素を使うことに医師の倫理的な抵抗感が強くて、医師でも使いたがらないと言われています。(アメリカでの話ですが) でも最近のアメリカの学会でも全く取り上げられていません。先生との話の種にでもなさってください。

No title

一番短い丸刈りというのは、ほとんどスキンヘッドです。この頭でラウンドひげでも生やして流行に乗ろうと思っていたのですが、残念ながら髪の毛だけでなくひげも生えてこないのです。
何故一番短い丸刈りにするかというと、毛が抜けた所は禿げている訳です。残った髪だけ長いとその禿が目立つ事になるので一番短い丸刈りにするのです。
移植など強い抗がん剤を使う治療を行う場合、髪の毛が全て抜けてしまう事を想定し、かなり短い丸刈りにして入院します。毎日毎日大量の髪の毛の掃除をしなくて済むようにです。
暖かい気候になりました。お花見の季節到来です。どういった治療法になるか分りませんが、季節の輝きを満喫したいと思います。

No title

砒素を使った治療を決意する患者、それを勧める医師がいなければこの治療ができないのは確かです。
幾ら外の治療法がないといっても砒素を使う事を承認した患者の決意は大変なものだったと思います。医者も毒薬であり量の調整を厳密にやらないと患者の生死につながる薬なのであまり使いたがらないでしょう。
たまたま医者と患者の意向が一致し使用できたということ事態、かなり運が良かったのかもしれません。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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