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治療経過ダイジェスト・1

原発性マクログロブリン血症の診断から第2回移植まで 
 (2005・11・24~2006・11・11)

今まで年末に治療病状経過を書いていましたが、まとまったものを一つ書いておけばそれを参照すればいいのだということを、MOTOGENさんのブログの治療経過ダイジェストを読んで気がつきました。以前書いた治療経過を元に加筆訂正しながら、最近の出来事を追加して書いてみたという次第です。

入院に至る経過
2005年11月7日、勤めていた会社の流通センターで荷物を降ろしている最中、足の親指の上に物を落とし大量に出血したので、近くの整形外科医に行って治療しました。

怪我をしてから1週間位経っても出血がなかなか止まらないので血液に異常がある可能性があると言われ採血しました。11月21日血液検査の結果が出て血液中の蛋白に異常値があることがわかり、専門病院に紹介されました。11月24日、K病院に紹介状を持って行き、そこで「多発性骨髄腫の疑い」の診断を受けました(病名は後の精密検査の結果マクログロブリン血症と変更になりました)。即入院だということでしたが、引継ぎなどあるので12月1日を入院日としました。 

毎年健康診断(成人病検診)を受け血液検査をしていながら血液中の蛋白をはからなかったので病気(ガン発症)には気がつかなかったし、一般的には疲労、頭痛、めまい、痺れなどの症状が出るそうですが、そういった自覚症状は全くありませんでした。むしろ仕事が忙しく土日祭日の出勤も多く、毎日20時前後まで、遅いときには1時過ぎまでの仕事をこなしていました。それが出来る体力があったということです。

入院時の病状
私の病名はワルデンシュトレーム(原発性)・マクログロブリン血症、別の言い方としてリンパ形質細胞性リンパ腫と言われています。極めて稀な病気で世界的には100万人に2~3人、日本では1000万人に5人という発症率です。

リンパ形質細胞性リンパ種として非ホジキンリンパ腫のWHOの分類に含まれている病気です。その意味で悪性リンパ腫とも言えるのですが、病気の原因としては多発性骨髄腫と同じです。いわばリンパ種と骨髄腫の中間的病気と言えるでしょう。この病気は免疫グロブリンを造り出す形質細胞が腫瘍化(ガン化)し、血液中にたんぱく質を過剰に造り出していくものです。

私の場合IgM(M蛋白の内の免疫グロブリンM型抗体)値が11月24日の最初の外来診断の時7100ありました。4000以下であれば身体変調をきたす事はないので放置可能であるわけですが、7000以上という数値は、血液の粘着化によって毛細血管が詰まって、眼底、脳、心臓の毛細血管に悪影響を与えかねないということで即入院となったわけです。
  
入退院の状況
第1回入院、2005年12月1日から27日-フルダルビン療法。
第2回入院、2006年1月4日から1月20日-第1回VAD療法。
第3回入院、1月23日から2月13日-第2回VAD療法。
第4回入院、2月20日から3月13日-第3回VAD療法。
第5回入院、3月20日4月9日-自己抹消血幹細胞採取。
第6回入院、5月15日から6月5日-第4回VAD療法
第7回入院、6月12日から7月11日-第1回自己抹消血幹細胞移植。
第8回入院、10月12日から11月12日-第2回自己抹消血幹細胞移植。
第9回入院、2007年10月24日から12月28日-ベルケイド療法

退院から次の入院までは自宅療養は、抗がん剤の副作用を軽減させ、骨髄機能を回復させる意味がある。ベルケイドの入院は、かって個人輸入していた患者が間質性肺炎で死亡した事があって、最初の2クールまでは副作用チェックのため入院する事になっている。第9回入院以降は通院で治療を続ける。

Ⅰ、移植前の化学療法

1、治療の開始-フルダラビン療法 (2005・12・1~12・21)
抗がん剤は何10種類もありそれをどのように組み立て投与していくかは、今までのデーターと医者の直感的判断に委ねられる他にありません。最初選ばれたフルダラビン(代謝拮抗剤系抗がん剤)という薬は、日本では保険が利いたばかりの新薬で、アメリカでは高い実績が評価されている薬でした。勿論100%効果のある薬は存在しません。その薬は奏効率60%でした。これを抗がん剤として選択し使用することになりました。

「1日量40mgを5日間連日点静注し、23日間休薬する。これを1クルーとし、3クルーを目処に行う。この3回でIgM値を4000以下まで持っていく」ことを目的に開始されました。抗がん剤は腫瘍(ガン)細胞を破壊するが、白血球、赤血球、血小板も破壊します。従って、抗がん剤投与の後は3週間程期間を置き正常細胞の回復を待ちながら、副作用の治療を行っていかなければなりません。 

12月10日から14日まで行われた5日間のフルダラビン療法は、残念ながら全く抗がん剤としての機能を果たしませんでした。12月1日入院時のIgM値7310は全く減ることなく12月19日の検査結果は8840と増え、さらに12月22日には8980なり、さらにその後9450まで上昇しました。薬の効果がないばかりか自然増という形でIgMは増殖してきていました。別の抗がん剤でやるという方針はすぐに出されました。しかし、フルダルビンによる、正常細胞への影響はあり、白血球は1600(正常値3900以上)まで下がったので、その回復を待たなければ次の処置は出来ません。

2、VAD療法・第1~第3クール (2005・12・22~2006・3・12)

次に選択されたのはVAD療法というもので、ビンクリスチン(オンコビン・植物アルカロイド系抗がん剤)(V)、アドリアシン(ドキソルビシン・抗生物質系抗がん剤)(A)とデカドロン(デキサメタゾン・副腎皮質ホルモン・ステロイド)(D)という3種を組み立てた療法でした。まず3種類を4日間点滴静注し(第1段)、4日置いてデカドロンのみ4日間点滴(第2段)、また4日置いてデカドロンのみ4日点滴(第3段)、これを3クールまたは4クール繰り返すという療法です。これを12月22日から始め、2月12日までに2クール(VAD療法第2回第3段)を終え、2月20日から3クルー目を開始しました。

VAD第2クール第3段を終了した段階で、最高値9470まで行ったIgM値は2月6日で5540まで下がりました。そして第3クールのVAD療法の第1段の最中2月23日の採血結果でIgM値は4660まで下がりました。

3月12までVAD療法を(第3クール終了まで)続けた所、3月13日の採血結果でIgM値はついに4000を切りました。IgMが4000まで下がることが移殖の条件でした。その後1週間自宅療養し、3月20日に戻ってからいよいよ移植の準備にかかります。移殖に使用する造血幹細胞採取が必要でした。原発性マクログロブリン血症の場合は白血病などとは違い造血幹細胞自体に異常がないので、他人からの骨髄移植(同種移植)ではなく自分の造血幹細胞を移殖に使用することが出来るのです。

3、自己末梢血幹細胞採取 (2006・3・20~4・9)
3月22日より開始された末梢血幹細胞採取は、血液成分分離装置を用いて移植に必要な量を採取することが出来、無事終了しました。(末梢血幹細胞=血液中の造血幹細胞=移植に使う骨髄液)。この採取に当たって使用したのはエトポシド(ベプシド)(200mg3日間)というアルカロイド系の抗がん剤で、発熱、食欲不振、脱毛、倦怠感などの副作用がかなり強く出て、寝ていることが多く、以前のVAD療法とは比べ物にならないほど強烈なダメージを体に与えました。

末梢血幹細胞は、白血球を0に近づけそれが上昇する最高値にタイミングを合わせて血管から採取するため、1週間位は白血球が300位の状況が続きました。運良くこの期間に大きな感染はありませんでした。こうした副作用や感染への対応、防止、また正常細胞の減少のため、輸血を4回やり、毎日、抗生剤(抗ウイルス、抗細菌)を5回、抗真菌剤を1回、ステロイドを1回、白血球を増やす薬(G-CSF)を1回点滴し、その他に錠剤で5種類(抗生剤、抗真菌剤、胃薬、カリニ病虫による肺炎予防薬、帯状疱疹予防薬)を服用していました。そのため体が抗がん剤の影響と薬漬けで、かなり消耗感、疲労感が残りました。この抹消血幹細胞(移植に使う血液中にあふれ出た骨髄液)採取のため1ケ月の入院が必要となりました。

3、VAD療法・第4クール、帯状疱疹神経痛治療 (2006・5・15~7・11)
4月9日自己抹消血幹細胞採取を終え体調回復の為の退院を行い、1ケ月間過ごしました。5月11日の定期外来検査の時、移植の具体的スケジュールを決めるはずでした。しかしこの時検査したIgMが4120に増加していることが判明しました。2800であったものが自然増加してしまったということです。VAD療法を移植の前に挿入し、数値を減らすことが必要となりました。そこで急遽、5月15日に一般病棟に再入院しました。そこで4回目のVAD療法を開始しました。

また3月に帯状疱疹にかかりました。帯状疱疹(皮膚の湿疹)自体は10日位で直ったのですが、神経痛が残りかなりの痛みを伴ってきていました(帯状疱疹後神経痛)。体調が回復すれば直ると思って、湿布薬での対処を行っていましたが全く変化がなく、神経ブロックという治療が必要であるということになりこの入院中に行いました。この神経痛の痛みは恒常的にはずきずきと痛むものですが、トリガー(引き金)という凝縮した一点は特に敏感で少し触れただけでも神経を針で突かれるような、電気ショックをかけられたような激しい痛みで、その痛みの後2.3分は動けなくなるほどほどでした。

また内服薬として処方された薬は通常抗うつ剤として使用されているテグレトールと言う薬で、痛みを少しは和らげることはするが一方身体がふらふらになってしまうという副作用があったので、もう少し弱いパシキルという薬に変わりました。

移植の前に神経痛の痛みを取っておかないとかなり辛いものになると思い治療を続けて行いました。神経ブロックとは脊椎に注射針で局所麻酔薬や抗症炎剤を注入し、神経痛の元となっている痛んだ神経中枢の活性化、修復、再生を図るというものです。この神経ブロック療法をVAD療法と平行して、毎日麻酔科(ペイン・クリニック)で行ってきました。

そしてさまざまな条件を考慮して移植の日は6月20日と決められました。6月12日頃移植の病棟に入り、諸検査を行い、大量抗がん剤の投与を17、18日に行うというスケジュールとなりました。

Ⅱ、第1回自己末梢血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006.6.12~7.11)


1、移植について
移植に当たっては、最初に強力な抗がん剤を大量に投与し、それによって骨髄に残っている形質細胞(ガン)腫瘍の根絶を行います。その後、採取し冷凍保存されている末梢血幹細胞を移植するとそれが増殖し、がん細胞のないきれいな骨髄となります。そして末梢血幹細胞から作り出される白血球、赤血球、血小板などの正常細胞が増加しやがて生着してきます。

移植は60歳以上の人には基本的に行われません。前処置といわれる大量強力抗がん剤の投与に耐えられる体力が必要だということです。(ある表現では致死量に近い大量抗がん剤の投与とありました)今はミニ移植という別な形の移植の形態が60歳以上の人に実施されていますが、それは同種移植(他人の骨髄)の場合ありうる方法です。

2、大量抗がん剤投与(移植に向けての前処置) (2006・6・18)
移植前に骨髄の中に残っているがん細胞を根絶する為に大量抗がん剤の投与を6月18日行いました。使った薬はメルファラン(一般名アルケラン)と言って、錠剤として内服薬で使用する場合、通常1日1回2-4mgを連日服用、あるいは1日6-10mgを4-10日間(総量40-60mg)服用するものです。今回使われたのは300mgで通常の30倍から50倍の量です。それも1時間で点滴投与します。移植の前処置で用いる致死量に近い抗がん剤の投与という言われ方をされている、それがどのような影響を身体に与えるのかかなり不安を感じさせるものでした。  

メルファランの副作用の特徴は、内臓粘膜の破壊にあります。口腔、胃、大腸、肛門などを痛めつけ口内炎、吐き気、下痢、痔などを引き起こします。一番早く現れるのが胃への負担であり吐き気でした。当日の夜から強い吐き気と嘔吐に襲われ、次の日は朝昼何も食べられませんでした。

さらに肝臓にも影響が出ます。「この薬剤は組織障害性が強い為、移植後の経過において重篤な肝機能障害や黄疸を来たすリスクが高い」と書かれています。そこで肝機能を強める為、5月末から肝機能の働きを強めるウルソを1日3回飲み続けていました。また腎臓を衰えさせ尿の出が悪くなり心臓への負担が増大する可能性があるということで、点滴による水分補給と利尿剤による排尿とのバランスを取りながら治療を進めてきました。
 
3、自己末梢血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006・6・20)
6月20日に移植が行われました。移植には4月7日に血液分離装置によって私の体から取り出され冷凍された末梢血幹細胞を使用しました。これを湯洗し溶けかかった所を点滴投与します。所要時間9分という簡単なものでした。依然吐き気は続き、通常のブドウ糖液からカロリーを含む栄養剤投与に変わりました。

確かに今回の移植に伴う抗がん剤の影響は頭痛、口内炎、吐き気、下痢の相乗作用というかなり過酷なものでありましたが、ピークが一週間強であったのでどうにか乗り切ることが出来ました。ともかく、多くの予防薬の投入と共に、全ての症状に対して薬で対応するので大量の薬を使用しました。また正常細胞増加の為に、輸血や40まで下がった白血球を増やす薬の大量投与など薬漬けの状態は代わりありません。

8月4日に脊椎穿刺をして脊髄液を取り、その中に形質細胞腫瘍(がん細胞)が残っているかどうか検査しました。結果は全く残っていないということでした。移植は成功しました。もちろん骨髄液全部を調べることは出来ません。骨髄液を1部抜き取り、その中に腫瘍細胞(がん細胞)があるかどうかを調べるのです。その限りで100%がん細胞が残っていないとは言い切れません。しかし検査結果でがん細胞がないということはひとまず安心です。そして7月11日退院(day22)となりました。

また私の場合自己末梢血幹細胞移植であり、同種(他人からの)移植ではないので後遺症として免疫不適合によるアレルギー反応、ドナーの細胞が被移植者の皮膚や腸管、肝臓などの臓器を攻撃するGVHD(移植片対宿主病)にかかる心配がありません

4、退院後、通院、自宅療養 (2006・7・11退院)
退院後最初は週1回程度通院し、血液検査、尿検査、レントゲン検査を行いその結果から診断して薬の調合をしてもらいます。副作用防止の薬(抗生物質、防黴剤、胃薬等)は2、3ケ月服用し続けます。通院期間は徐々に間隔が長くなります。当面は白血球の持つ免疫力の低下の中で感染のおそれがあり(退位後1ケ月位たってから肺炎にかかり再入院した人がいます)、人込みには行かない、外出時はマスクをかける事など注意事項があります。

その他抗がん剤で痛めつけられた臓器-心臓、肝臓、腎臓、胃、大腸などの機能回復、体力の回復(だるさがなくなる)などあり、職場復帰は医者と相談しながら決めるほかありませんが2ケ月位の自宅療養は必要と考えられます。メルファラン(大量抗がん剤)によってどの位身体が痛めつけられておりその回復にどの位の期間が必要か全くわからない状態です。

『国立がんセンター』の資料には次のように書かれています、「・・・退院後もだるさが残り、元の健康な状態に近づくのには最低でも半年かかります。また白血球が増えてもその働きは悪く、様々な感染、特にウイルス、細菌や真菌(黴)感染にかかりやすい状態が続きます。その他の合併症や病気の再発の恐れもあります。その早期発見の為に退院後も定期的な検査が必要です。」

Ⅲ、第2回自己抹消血幹細胞(造血幹細胞)移植 (2006・10・12~11・11)


1、がんの再発
7月11日退院以降、体力回復に努め、日々療養生活を行ってきました。10月になってそろそろ職場復帰のための体力づくりをはじめようとしていた矢先、再移植という結論を医者から言い渡されました。退院時骨髄液の中には形質細胞腫瘍(がん細胞)は発見できなかったので、安心していました。しかし医者の言うように、骨髄液全体は調べられず、結局体のどこかにがん細胞は残っていたのでした。本来なら形質細胞腫瘍(がん細胞)が造りだしているIgMは形質細胞腫瘍がなくなれば徐々に体の外に排出されなくなり、新たに健全な免疫グロブリン(IgM)が作られるはずでした。

しかし8月16日を境に徐々にIgMは増え始め10月になると1週間に250という急ピッチで増え始めていきました。この急激な増加は自然発生的なものではなく、がん細胞によるものだと結論付けられました。1ケ月放置しておけば1000、4ケ月で4000になってしまう。早急に移植が必要となりました。移植前にIgM値を少しでも少なくしようと、10月3,4,5,6日にはVAD療法のミニ版(アドリアシン、ビンクリスチン、デカドロンを通常24時間点滴でやるのを3時間でやる)を外来でやり、10月5,6日にはデカドロンの錠剤80錠を飲むという方法を取りましたがあまり効果はありませんでした。

確かに第1回移植が終わった時に、主治医からは「骨髄液の中のがん細胞は全て検査できるものではない、骨髄の上澄みのみの検査で、その検査の結果がん細胞が無かったとしても完全になくなったかどうかの確証はない。完解を目指すなら自己抹消血幹細胞移植を2度やるという『タンデム(馬を縦に繋ぐという意味)移植』を行ったほうがいい」と言われてはいました。しかしその時はまたがん細胞が増殖してくるとは思いもしませんでした。

2、再入院・第2回移植 (2006・10・24移殖)
10月11日外来時、IgMが1240だったので一日も早く入院してIgM値を下げようということで、急遽12日に入院し12,13日は検査で14日からVAD療法を始めました。18日にVAD療法を終え、移植の体制に入りました。

22日大量抗がん剤の投与、24日自己抹消血幹細胞移植と無事スケジュールは終えました。今回は白血球が60になってからの脱力感が大きかったです。大量抗がん剤メルファランが体の粘膜を破壊する作用を持っているため前回と同じ症状は続き口内炎、胃もたれ、下痢、腹痛、心臓の締め付け感に悩まされました。26日から29日の3日間は1日中寝ていました。白血球値が期待したようには上がらず、30日の採血結果で20とまた下がり続けていました。それもついに2日の木曜日の採血結果白血球値は2400、金曜日には6400になり白血球減少時の感染に関してはひとまず安心となりました。血小板はなかなかあがらず、4回輸血しました。ヘモグロビンは9.5と安定していました。

一旦持ち直した体調も2、3、4の3日間最高39度近くの発熱で寝込んでしまいました。原因は分かりませんが白血球が増えるときに出る熱や、抗生剤がアレルギー反応を起こす場合など考えられるそうです。11月2日骨髄液を取りその中の形質細胞腫瘍(がん細胞)を調べました。調べられる範囲ではきれいだったということです。しかし再発する可能性がゼロということはありません。そし11月11日移植治療としてはきわめて早く(day20)退院となりました。退院後IgMが増加することがあればサリドマイドを使用してがん細胞の再発を抑えていこうという提案がなされています。

入院から第2回移植までのIgMの推移
G6.jpg

2005.12.5  フルダラビン療法
2006.1.5   VAD療法第1クール
     1.23  VAD療法第2クール
     2.20  VAD療法第3クール
     3.20  自己末梢血幹細胞採取
     5.15  VAD療法第4クール
     6.20  第1回自己末梢血幹細胞移植
     10.24 第2回自己末梢血幹細胞移植

第1回移植での入院中の血液検査結果データー(6/18大量抗がん剤投与)
qwqw.jpg

第2回移植での入院中の血液検査結果データー(10/22大量抗がん剤投与)
popo.jpg

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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吉野梅郷踏破計画断念か

 詳細な治療記録,ありがとうございます。なぜか,ここだけ,ですます調。わたしの治療記録もそうですが。
 実は,いままでは,yosimineさんの治療記録を見たいときに,どこにあるかさがすために,ブログ内検索を使っていました。専用カテゴリーがあるので,もう,その手間もいりません。

治療記録

治療記録は最初、定期的に会社の総務の担当者に治療病状経過をファックスで送っていたので、その延長線上で「ですます」調になったというわけです。報告義務はなかったわけですが、大体どの位で職場復帰出来るかを知らせる意図もあったわけです。

MOTOGENさんのダイジェスト版を見て、何ていいアイデアがあるんだろうと思ったわけです。勝手にアイデアを借用させてもらって感謝しています。治療記録が少しでも役に立ってくれれば書いたかいがあるというものです。また自分でもこういった記録を掲載しておくと、あのどうだったろうという事をすぐ検索できるので結構便利だという事に気がつきました。

吉野梅郷踏破はなかなか気分的に踏み切れないものがあるのでしょう。私も退院したらすぐにでも満開の梅林の散策を考えていましたが、どうもその気分にはなれませんでした。少し身体を動かした方がいいので来週あたりから、花見というわけにはいかないので神社仏閣へのウォーキングを始めたいと思います。
プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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