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92時間ぶりの救出

3月16日(水)
 今日の朝刊に、岩手県大槌町の民家から75歳の女性が92時間ぶりに救出されたといった記事があった。災害時の被災者の生死を分ける72時間を大きく超えている。女性は部屋の1階廊下に寒さに凍え、うずくまっていた。近くには夫が横たわっていたが、既に亡くなっていた。民家は海から1.5キロで、津波直前に2階に避難し巻き込まれるのを免れた。彼女は低体温症だったが、けがは軽傷で命に別状はないという。

崩れた家の中では周囲の状況は全く分からない。回りには人の気配はしない。全てが死に絶えたような世界だ。運が良ければ救出が来るだろう、運が悪ければこのまま衰弱して死んでしまうのだろう。どちらであっても運命として受け入れざるを得ない。騒がず、慌てず、ただ自分の置かれた状況をあるがまま受け入れ静かに助けに来るのを待っている外なす術がなかった。

家の瓦礫を自力で崩すことなど出来はしない。助けを求め叫ぼうにも周りには人の気配は全くない。無駄なエネルギーを使うことなく静かに座ったり、寝たりしながら淡々と時間を過ごす。夜の一切光のない漆黒の闇の中で寒さに震えながらもただいつもと同じように眠るだけだ。

津波で離ればれになった息子が消防救援隊に「自宅に両親が取り残されているはず」と訴え捜索し発見された。彼女は息子が自分を探してくれる事を信じていたのだろうか、それを心の支えとして命を長らえてきたのだろうか。思うに、希望が強ければ絶望は深くなる。助けにくるという希望を強く持てば持つほど、来ないことへの絶望は限りなく深まってくる。こういった希望と絶望の間を揺れ動く心の煩悶はかえって、生きることへの絶望を増すだけである。

あらゆる人間が生きる上で避けることの出来ない「必然的条件」としての運命、とりわけ地震や津波といった大災害に遭った時に、人は自らの意思や決定権など粉微塵に打ち砕かれる。このような自然の猛威に対してまずその偉大さと脅威を受け入れ、その圧倒的力に対して自ら可能な道を試行錯誤しながら探していく外ない。

何故彼女は助かったのかそれは運命を受け入れる静かな心があったからだろう。生への執着や死への恐怖を超えて、自己のおかれた状況をあるがまま受け入れることが出来たのではないか。その心構えをどこから生み出したのかは分からない。今まで生きてきた軌跡の中にその応えはあるのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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