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西日暮里神社・寺院めぐり

3月30日(水)
病院での診療と点滴が終ったのが14時になってしまった。3ケ所1日で済ませてしまおうとしたのだから止むを得ない。大分日が延びて17時半頃まで明るい。病院帰りのコンスタントな散策のコースはなかなか決められない。今日は出発時間が遅いので近場を回ることにした。西日暮里や日暮里は谷中霊園を中心にしてかなりの寺院の密集地だ。何処を歩いても寺院に行き当たる。

西日暮里周辺神社・寺院069_convert_20110331205132西日暮里周辺の神社・仏閣めぐりを考えた。西日暮里までは病院から15分位なものだ。駅から「諏訪台通り」が西日暮里から高台に沿って線路を見下ろすように日暮里に向っていて、その道の左側に諏訪神社から始まり幾つかの寺院が並んでいる。谷中銀座の道に行き当たると、左に日暮里駅があるが、谷中銀座通りに沿って3つの寺院が並んでいる。

西日暮里神社・寺院めぐりコース

西日暮里公園→高村光太郎石碑→諏訪神社→浄光寺→養福寺→啓運寺→経王寺→延命院→本行寺

西日暮里駅前に歩道橋がある。その歩道橋の階段を上ると西日暮里公園の入口になっている。また公園と線路の間に急な上り坂かあり「諏訪台通り」がここから始まり谷中銀座に至る。公園は15時近くという時間帯だからか、通り過ぎる人がいる位だった。

道灌山と書かれた史跡案内の看板が入口にあり、公園の中央には大きなパネルが6面あり、広重の絵や正岡子規や十辺舎一九などの短歌をも折り混ぜながら、ひぐらしの里(日暮里)・道灌山に関する歴史が詳しく書かれていた。公園の隣が第一日暮里小学校で、校門の前の高村光太郎の「正直親切」と書かれた石碑を見る。

西日暮里公園、高村光太郎直筆の碑
西日暮里公園周辺はかって景勝地だった。「西日暮里公園内案内板」には次のように書かれている。
「西日暮里四丁目の台地は道灌山とよばれ江戸時代には眺めがよく、東の崖ぎわは人々の行楽地で、筑波・日光の山々などを展望できたといわれている。薬草が豊富で、多くの採集者が訪れた。また、虫聴きの名所として知られ、涼を求めて人々が集まったところでもある。安藤広重の錦絵や正岡子規の歌などによっても当時がしのばれる。

ひぐらしの里では、寺社が競って庭園を造り、さながら台地全体が一大庭園のようだった。雪見寺(浄光寺)、月見寺(本行寺)、花見寺(妙隆寺<現在は廃寺>・修性院・青雲寺)、諏訪台の花見、道灌山の虫聴きなど、長谷川雪旦や安藤広重ら著名な絵師の画題となり、今日にその作品が伝えられている。」

西日暮里公園に隣接し第一日暮里小学校がある。その校門の右手に飯田雅光作の「フクロウの像」があり、並んで「正直親切」と書かれた卒業生・高村光太郎の直筆よる石碑がある。これは創立100周年記念事業で作られたものである。光太郎は、明治23年・1890に転入、その後卒業している。

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 西日暮里公園                        高村光太郎石碑

「諏訪台通り」を少し行くと鬱蒼とした森に囲まれた諏訪神社の境内に入る。諏訪神社の入口の鳥居の脇に浄光寺の山門がある。本堂と言っても2階建ての会館のような建物の2階入口が本堂になっている。最近の寺院の多くは鉄筋コンクリート製で、会館も兼ねた多目的に利用できるように作られている。よっぽど歴史のある寺院でない限り、昔の建物を木造で再現しようとすることはないようだ。

諏方神社
諏方神社は、元久2年(1202)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建。江戸期には日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守として崇敬を集め、また慶安2年には社領5石の朱印状を拝領していたほか、日暮の里として江戸有数の景勝地として有名だった。八月の大祭には百軒近く露店が並ぶ。

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 参道                             拝殿

浄光寺(真言宗豊山派 法輪山法幢院)
浄光寺の創建年代は不詳。当寺は諏方神社の別当寺であったことから、諏方神社の創建年代と同時期の元久2年(1202)前後の創建と推定できる。元禄四年(1691)には空無上人の勧化により江戸六地蔵の一つが安置された他、元文2年(1737)以降には将軍鷹狩りの際の御膳所となっていた。境内からの雪見が有名となって雪見寺と呼ばれた。境内左手には元禄4年(1691)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像がある。

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 本堂                             地蔵菩薩坐像、立像

浄光寺を出ると富士見坂の看板がある。谷中七福神巡りの時、下から富士見坂を見たが、それでは全く意味がなかった。急な坂上から開けた目の前の景色の中に富士山を見てこそ富士見坂なのである。薄曇の空の下では富士山を見ることは出来なかった。

富士見坂と日暮里駅、ガーデンタワー・ポートタワー方面

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 富士見坂                   ガーデンタワー、ポートタワー

浄光寺から養福寺、啓運寺と軒を並べているといった感じだ。養福寺の仁王門には驚かされた。立派な仁王像が並んでいる。運慶作の仁王像があるということは知らかったがこんな所で見られるとは思わなかった。墓所は線路際の高台に広がっていて、日暮里駅がよく見える。線路を挟んでステーション・ガーデンタワーとポートタワーが目の前に見える。40階建てのガーデンタワーは回りに高い建物がなく空を切り裂いているようだ。

養福寺(真言宗豊山派 補陀落山観音院)
湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興された。養福寺は、元和6年(1620)法印乗蓮が創建、湯島円満寺の木食義高(享保3年没)によって中興されたと伝えられる。もと田端東覚寺末、明治43年に離末の後与楽寺末となっていた。

西日暮里周辺神社・寺院032_convert_20110330211608  西日暮里周辺神社・寺院033_convert_20110330203911
仁王門: 宝永5年(1708)に建立され、運慶作とされる仁王様が安置されている。左がうん形、右があ形である。また、門の裏側には二天(広目天・多聞天)の像がある。

啓運寺(法華宗本門流 法要山)
円住院日立聖人が開山となり、元和元年(1644)下谷1丁目に創建、元禄11年下谷2丁目へ移転し、さらに明治18年当地へ移転した。
当寺の毘沙門天は、台座の裏に「寛政九年(1797)八月吉辰、仏師以東光雲」の墨書銘がある。そのほか、境内には、延宝八年(1680)銘の庚申塔がある。この塔には、「三守庚申三戸伏、妙法、七守庚申三戸滅」の銘文のほか三十六名の施主名が刻まれており、区内唯一の日蓮宗系の庚申塔である。

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 本堂                              庚申塔

経王寺の長い塀を進んで行くと谷中銀座の通りにぶつかる。左側が経王寺の山門だ。古めかしい山門は歴史を感じさせる。境内に入って右側に大黒堂がある。大黒堂の背景にステーション・ガーデンタワーとポートタワーが聳えている。良き悪しきにしろ完全に大黒堂の背景になっている。もはや歴史は戻ることは出来ない。そういった風景として眺める外ない。

経王寺(日蓮宗 大黒山)
要詮院日慶が開山、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が開基となり、明暦元年(1655)当地に創建した。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られている。
慶応4年(1868)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。
山門は江戸時代末期には既にあったもので、この門は右側に門番所が併置されていて、さらに築地塀に連なっており、木造建築の門の一つの型を示す貴重なものである。

西日暮里周辺神社・寺院042_convert_20110330203943  西日暮里周辺神社・寺院041_convert_20110330204029
 山門正面から                        山門右横から 

西日暮里周辺神社・寺院043_convert_20110330204108  西日暮里周辺神社・寺院044_convert_20110330204148
 大黒堂                            本堂
 
経王寺から少し谷中銀座の中心街に戻る所に延命院がある。この寺には都指定天然記念物の大シイと秘仏「七面大明神」があり、毎年正月十九日の大祭日に開帳される。谷中銀座を少し巡って見た。谷中という地名の由来は江戸時代、上野台と本郷台の谷間に位置していることから名づけられたといわれている。谷中は江戸時代の都市計画の一端として 多くの寺院が集められ、門前町として発展した。

日暮里駅を西口で下車し御殿坂を上り、夕やけだんだんという階段を下るとそこからが谷中銀座商店街になっていて千駄木方面まで続いている。商店街の紹介では「近隣型商店街です。小さなでも活気にあふれた商店街ではどこかで見たことのあるような、懐かしい笑顔があなたをお待ちしております」と書かれている。古い店が多いが、近所の馴染み客が多いのだろう人通りが多く活気がある商店街だ。

延命院(日蓮宗 宝珠山)
日長(貞享2年寂)が開山、三澤局(法名法名浄心院妙秀日求)が開基となり、慶安元年(1648)創建したといわれている。
七面大明神には、胎内に慶安3年(1650)法寿院日命が願主となり、仏師矢兵衛の手で作られたことを記した銘文がある。秘仏とされ、七面堂に祀られている。これにちなんで、門前から宗林寺(台東区)方面に下る坂は七面坂と呼ばれる。境内には樹齢600年を超えるといわれる大椎(都指定天然記念物)がある。

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 本堂                             七面堂

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 大椎の木                   七面大明神安置

本行寺の山門には「墓地見学会」のノボリが立てられ、説明の看板が立掛けられていた。新しく境内の一画を開き墓所として区画整理して売り出すための見学会だ。寺に着いた時には見学の客は来ていなかった。一茶の句碑は2つもあるということは、一茶はよっぽど日桓上人と気があってこの寺に入り浸っていたのだろう。本堂の右側が墓所になっている。今度売り出される場所は別な所なのだろう。全体的に古く暗い雰囲気だった。

薄暗い墓地の真ん中にその雰囲気をくつがえすかのように、その場所だけが薄いピンク色の光で覆われている感じがした。枝垂桜の巨木が見事に花を付け大きく枝を張っていた。こんな所で満開の枝垂桜を見ることが出来るとは思っていなかったので感慨深いものがあった。さらに墓の端の塀際の日の当たる場所に早くも染井吉野が花を開いていた。染井吉野にしては少し開花時期が早いがどう見ても外の種類には思えなかった。

本行寺(日蓮宗 長久山)
大永6年(1526)江戸城内平河口に建立され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永6年(1709)当地に移転したという。景勝の地であったことから通称「月見寺」とも呼ばれていた。二十世の日桓上人(俳号一瓢)は多くの俳人たちと交遊があり、小林一茶はしばしば当寺を訪れ、「青い田の、露をさかなや、ひとり酒」などの句を詠んでいる。

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 大黒堂                            本堂 

西日暮里周辺神社・寺院080_convert_20110330225622 西日暮里周辺神社・寺院071_convert_20110330232015 西日暮里周辺神社・寺院079_convert_20110330232052
道灌丘碑: 太田道灌は江戸城を築城する際に、眺望の良いこの辺りに「物見塚」と呼ばれる斥侯台(見張台)を築いた。その後物見塚の跡に石碑を建てた。
一茶の句碑: 「刀禰(とね)の帆が寝ても見ゆるぞ青田原」「陽炎(かげろう)や道灌殿の物見塚」

西日暮里周辺神社・寺院074ed_convert_20110330232634  寺院081_convert_20110331010024
 境内の桜 枝垂桜と染井吉野  

(参考資料: 荒川区公式ホームページ→おすすめスポット→神社・寺院・文化財。猫のあしあと→荒川区の寺院→西日暮里の寺院、など)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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