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福島第一原子力発電所の事故・3

4月5日(火)
原発安全神話の崩壊、解決の道筋なき暴走
進行する放射能汚染
220px-Fukushim_convert_20110406213207.jpg止まることなく高レベルの放射能汚染水が海に流れ込んでいる。原発施設からは放射能が大気に放出され豊穣な大地は汚染され続けている。そして大地の恵みである作物は放射能にまみれ廃棄せざるを得ない。魚からも放射能が検出されている。(右写真は各原子炉の配置図・前国土地理院による1975年の写真を加工)

原発事故は誰の責任なのか。電気を使い放題使い、文明の「豊かさ」に何の疑問も持たずにそれを享受してきた我々もまたその責任の一端を負うべきなのだろうか。我々は原発事故がどういったものであるかを見極め、自らの生活習慣そのもののあり方を改めて考える事が必要だろう。

地震と津波は自然の猛威を見せ付けた。しかし福島原発の事故は人災である。「想定外」という言葉が何度東電の幹部から発せられただろう。しかし、後でそれが嘘であることが次々と明らかになっていった。大地震の予測もされていたし、多くの事が事前に分っていたし、福島原発の改善点についての指摘も幾つかされていたが、それをことごとく無視し原発の稼動を続けていた東電とそれを容認してきた原子力安全・保安院の実体が明らかになってきた。

「耐震設計審査指針」改訂作業の中心となった入倉幸次郎氏は言う。「何があっても多重防護で大丈夫って言ってきたのが、うそだった。人災だと思う」「スマトラ沖地震(M9.1)の経験を日本でも生かすべきだった。史上最大はどれ位かを考えて原発は設計しなくてはならない」

「貞観地震まで考えるのは合意ができていた。想定以上の事が起こっても安全なように設計されていないといけない。科学の力が及ばないということは絶対に言ってはいけない。それが原発の『設計思想』のはずだ」「自然の怖さを知って原発を設計することです。自然のせいにしてはいけない。自然では人知を超えたものが起こりうるんです」こういった彼の指摘を東電や原子力安全・保安院はどのように受け止めたのだろうか。単に空論として無視したに違いない。

原発の安全性
国や東電は「原発は安全だ」と強調してきた。しかし実際には原子力発電所が安全であるなど誰も信じていない。それなのに何故原子力発電所が作られるのか、ここには大きな利権が絡んでいる。それが安全神話を作り上げ、情報を隠蔽し、嘘の情報を流し、危険な状況を安全と言いくるめてきたのだ。度重なる原発事故での電力会社の記者会見がいかに歯切れが悪く、事実を隠そうという意図に貫かれているか誰でも感じる所だろう。

電力会社、東芝・三菱・日立などの製造業者、ゼネコン、政界、官僚、財界、原発推進御用学者、地元で利権に群がる議員など一体となって原発推進を進めようとしてきた。それぞれがハイエナのように原発に寄り添って利益をむさぼろうと、原発の建設を押し進めてきたのだ。

原発は儲かるのか。儲かるように作るから儲かるにすぎない。利益と安全性を天秤にかけ利益を優先する。3月23日の東京新聞に「福島原発設計者ら証言」という記事が掲載されていた。元技術者は「M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定するよう上司に進言した。だが上司は『千年に1度とかそんなこと想定してどうなる』と一笑に付したという。『起こる可能性の低い事故は想定からどんどん外された。計算の前提を変えれば結果はどうとでもなる』と想定の甘さを懸念する。

元設計者は『当時はM8以上の地震は起きないと言われ、大津波は設計条件与えられていなかった』と証言した。そして最後に『稼働中の原発を止めてほしい、人間が扱いきれるものではない』と語った。」

「原子力発電所を作る時安全性を何処まで追及するのか」といった質問に対して、テレビに出演していた原発推進の学者は平然と言った。「安全の追求は無制限なものだ。しかし、原発は採算を上げなければならない。安全と利益のバランスが必要だ」つまり利益のため安全は犠牲にしなければならないということである。

放射性廃棄物
原発は利益を生み出すのは事実である。しかしそれは電気を供給している限りにおいてである。原発が廃炉になった場合、使用済み核燃料を抜き取ったり冷却材などを取り除いたあと、放射能が減衰するのを5~10年程度待って原子炉施設すべてを解体撤去するか、解体せず密閉した状態で管理を続けるかである。

どちらにしても廃炉になった後には、核燃料などの高レベル放射性廃棄物、大量の低レベル廃棄物が生じ、その処理には膨大な費用がかかる。原発を作る時には廃棄物処理費用は計上していない。ニュースでも言っていたが、福島原発をコンクリートで囲む石棺化するには一ケ所につき2000億円かかると言われている。さらに使用済み核燃料などの処理は高レベル放射性廃棄物として、ガラス固化、地層処分などが必要となってくるが実際にはガラス固化はほとんど進行していない。多くの使用済み核燃料は原発敷地内のプールに保管され何十年も冷却され続けている。

高レベル廃棄物の放射能の寿命には何百万年を越えるものもあり、永久に我々の生活圏から隔離されなければならない。地層処分まで30~50年の間、青森県六ケ所村で一時貯蔵して冷却するが、この30~50年間ですら高レベルのガラス固化体を詰めた容器・キャニスターが持つ保証はない。

浜岡原子力発電所
東京に住む者にとっては一番気になるのは東海地震であり、地震が起こった時の最大の問題は浜岡原発がどうなるかということだ。今回の福島原発の件で、東海地震などの被害想定域で、首都圏にも近い浜岡原発を巡り、知事や関係自治体の首長らが最近、中部電力に対し強い危機感をぶつけた。

東海地震は、発生時期がもっともよく予測されている地震である。前回の東海地震は、およそ150年前で、地震を起こすエネルギーがたまっている。浜岡原発は、想定される東海地震の震源域の直上にある。浜岡原発から3~7kmのところには、活断層が姿をあらわしている。

2年前には浜岡2号機の設計を担当した東芝の子会社の技術者から、東海地震が起きると「浜岡原発は制御不能になる」というという内部告発が行なわれた。彼によれば、浜岡2号炉の耐震計算結果は地震に耐えられない。直下型地震が起こると核燃料の制御ができなくなる可能性がある。炉心溶融が起こって首都圏のほうに風が吹いた場合は、数百万人の死者が出るとも予想されている。

止まることない危機
福島原発では、次々と新たな問題が起こってきている。福島原発周辺20kmから住民は退避せざるを得なかった。そして20km~30kmの屋内退避地域の一部についても避難指示に切り替える方向で検討に入っている。チェルノブイリでは事故の後、住民が強制避難させられた30km圏内は、20年たった今でも立ち入り制限区域になっていて人が住めるような状態になっていない。そして日本でも人が住む事の出来ない地域を福島原発の吐き出す放射能が作ってしまったのだ。

それだけではない、福島県や隣県の葉物や牛乳から放射能が検出され出荷停止となった。また大地に降り注ぐプルトニウムを含む放射性物質は、土壌を汚染し新たな作付けを阻んでいる。

また2号機建屋かタービン建屋に溜まった高レベル放射能汚染水(最大で法令濃度限度の750万倍の放射性物質を検出した)が壁の亀裂から海に流失し続け止める術がなく、海洋汚染を進行させている。汚染水の漏れを止める事が出来ても、施設内には高レベルの汚染水が6万トンもあり、燃料棒を冷却するために注ぐ水が毎日のように使用され蓄積されていく。その処理をどうするかこれといった方法が見出されているわけではない。

さらに高レベル放射能汚染水を集中廃棄物処理施設で貯蔵するために、低レベル放射能汚染水1万トンの海への放出を始めた。低レベルといっても最大で基準の500倍ある。当然のことながら福島県や茨城県など近隣地域の漁業者は「魚を買ってもらえなくなる」と不安や危機感を募らせている。

茨城県沖でとれたコウナゴ(イカナゴの稚魚)から4080ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。コウナゴは浮き魚と呼ばれ、放射性物質の影響をより受けやすいとされる底魚や海藻とは生息地域が異なる。そういった魚にまで放射能が検出されたということは、どこまで海洋汚染が進行しているのか考えるだけでも絶望的気分になる。

農作物、牛、家畜、魚介類に被害が広がっている。土壌、海洋が汚染され続けている。既に葉物の被害は千葉にまで及んできている。どんどん拡大しているようだ。魚介類も何処まで広がるか予断を許さない。放射能は時間が経てば経つほど蓄積し、被害を拡大させていくばかりである。

脱原発の生活習慣を
原発はすでに国内発電の3分の1を占めている。しかし、今この機会にいかにして代替エネルギーの開発をも考えながら、我々が無制限に電気を使い続けていたかを自覚すべきなのだ。我々は安全のため「不便」や「非効率」を受け入れる価値観の転換が出来るかどうかが試されている。機械文明に慣れきって安易に電気に頼り切った生活を見直す機会である。

計画停電は東電によって行なわれている。自動販売機の電気とネオンサインを消せば電気は足りるはずだといっていた人がいた。その真偽は分らないが、反原発の声が巷に広がっていく中で、いかにして原発を維持するのか、そのためには電気のない生活がいかに不便かを皆に思い知らせるために計画停電をやっているのではないかとすら思う。

原発は確かに問題を起こした。しかし電気のない生活に皆耐えられるのかという事を実感させるために、停電という方法を取っているのではないかと東電のやり方について勘ぐってしまう。電気が限られている不便な生活で我慢するのか、原発の危険性を受け入れるのかどちらを選択するのか、多くの人にとっては難しい選択だ。製造業や店舗を持っている人にとっては電気は生活を支える道具でもある。

多くの人が原発事故を毎日のようにテレビ新聞で見ていて、原発事故がどれ程多大な犠牲を強いているかを知っていながら、東京都で行なったアンケートでは「運転しながら安全対策を強化」に賛成している人が結構いるというのは驚きだ。もちろん強制避難させられた人や、福島、群馬、栃木、茨城、そして千葉の農業、畜産業、漁業関係者は当然のことながら原発絶対反対だろう。しかし大手メディアは原発についての全国的世論調査を避けている。世論の多数が原発に対し「新設ストップ」「運転停止」「廃止」といった回答を出しそれを新聞に掲載したら、大スポンサーである原発関連企業や組織から縁を切られてしまう事を恐れているのだ。

原発を巡る様々な現実の見、多くの情報が手に入る現状で原発の問題は今一番深く考える事が出来る機会である。色々な視点から原発の是非について掘り下げて考えてみよう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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東京電力だけ責任か?

初めから疑問だった。私事ですが 我が家は築40年
この家は どの部屋も たこ足配線状態。
この家を建てた親の世代は 電化製品も今ほどは無く
間に合っていたのでしょう。福島原発は この築40年の家の
あとにできました。最初は30年間 福島原発を使って そのあとは
今の福島以外に 最建築予定でしたが あと10年。。。と延ばし延ばし
原発事故は 国民皆が 振り返り考えればならないことだと思っている

No title

7日の余震は大丈夫でしたか。次々と問題が起こって息つく暇もないのではないでしょうか。折角ライフラインが復旧したと思ったらまた電気、水が出ないという大変な事態の中で生活しているのでしょう。何も出来ませんが応援しています。

確かに日本人は気がつかないうちに、便利だということで電気を使い放題使って、生活を享受してきました。東京電力はそのニーズに応えただけだとも言えます。コンビニやスーパーなど照明を極端に明るくして客寄せを行なってきました。

こういったエネルギーの無駄使いに対して、今回の原発事故は我々に電気の使い方について改めて考えるように警鐘を鳴らしたものと捉えるべきでしょう。どのようにして、スリムな生活を実現していくのか個人個人が意識を持てば出来ないことはないと思います。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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