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正月3ケ日

1月3日(火)
 正月といっても何も変わる訳でもない。ただこの機会に親戚の人が来たり、普段来ないような人の訪問があったりする。正月に家族旅行に行ったりしたこともあるが、この2,3年は昔から恒例となっていた実家で正月を過ごすことにしている。

1月1日の12時頃、歩いて5分位の所にある実家に正月の挨拶に行き、おせち料理をご馳走になっていた。おせち料理といっても今はきらびやかなセットで販売していて、それを買えば簡単だが、一応実家では自前で作る。毎年おかずが違っているので楽しみな所もある。

今年は、山陰に住んでいる義理の姉が正月休みを利用して東京見物に来たので、1月1日は姉の息子、孫、ひ孫を中心に、ついでに私の家族を含めて錦糸町のスカイツリーの見えるホテルで会食をした。私は退院したてだったので人混みに行くことはまずいと思ったし、体力的にもまだ十分に回復していなかったので、遠慮して実家の正月に行ったという訳だ。

やはりまだ体は本調子ではない。22時に寝て、6時に起きるという病院での生活の習慣で、今でも大体同じ様な時間に寝て起きる。昼寝も2時間ばかりする。寒いということもあるが、昨年は七福神めぐり、一昨年は川崎大師や成田山新勝寺への初詣などに行く元気があったが、今年はどうも気力が沸いて来ない。入院中ほとんど動いていなかったので体力が回復していないのだろう。もうしばらく療養生活が必要なのかもしれない。

正月中は歩いて5分位の実家に行った以外全く外出しなかった。炬燵に入って箱根駅伝を見ていた。これは結構視聴率が高いらしい。自分では全く動かず他の人の努力と苦闘の結晶を見るのは気分がいいのかも知れない。WOWOWで年末から年始にかけて毎日午後『男はつらいよ』のシリーズを3本放映していた。

 寅さんの映画は、筋立てが似ているので途中から見ても問題なく筋を終える。サスペンス仕立てのドラマだと最初から最後まで眼を離さず見ていないと筋がわからなくなってしまう。寅さんを見ていると少し位、見過ごしても、見始めればすぐに追いつける。パターンが同じなのだがそれが見る人に安心感を与える、そういった意味で根強い人気を保ち続けている水戸黄門と似ている点があるような気がする。

51GRR1_convert_20120105111621.jpg寅さんの映画は肩がこらず見ていることが出来る。時々出てくる寅さんの語る人生哲学的な名台詞も面白いし、寅さんの他人に対するやさしさや暖かさ、人情は今の時代に失われつつあるもので、懐かしく同時にその必要性を感じさせてくれる。日本各地の美しい風景を背景に描かれそれも映画の見所となっている。

このように正月は入院中の生活の延長線上のような、箱根駅伝や『男はつらいよ』をといった番組を見ながらごろごろとした動かないで生活をしたいたので体の活性化は少しも前進しなかった。明日は病院での血液内科の診療だ。ここでの外出を契機に少しは動き始めたいと思う。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院13日目・トルコ料理

12月24日(土)
 見舞いに来た友人がトルコ料理の話をし始めた。どういった話の流れでそうなったが定かではないが、しばらく前にトルコ料理を食べに行ったということから、仕入れたばかりのトルコ料理に関する薀蓄を傾けた。

病院でのカロリー、塩分、脂質、タンパク質控えめのあっさり料理を食べている身としては、料理の話は聞きたくもあり、聞きたくもなしといった複雑な心境だ。早く退院してトルコ料理を食べに行こうといった目標が出来た。トルコ料理は1度だけ食べたことがある。ランチメニューで990円と安かったから食べたようなもので、あまり印象に残っていない。本格的なコース料理をじっくりと食べてみたいものだ。

まずトルコ料理が世界3大料理だということを始めて知った。そういわれると見直さざるを得ない。今までトルコ料理店に入ろうなどと考えたこともなかったが、これからは要チェックだ。

 「トルコ料理は実は世界三大料理に挙げられる」これをまず言いたかったんだということで話が始まる。世界三大料理( 英 : The Three Grand Cuisines )は、伝統的には中華料理、フランス料理、トルコ料理を指す。いずれも宮廷料理の背景があり、食通の王侯や皇帝が広大な領土の各地方・各民族の料理法を糾合し、珍味の食材を蒐集し、また国富を背景に多くの名料理人を召し抱えて腕を競わせた結果、多彩で豪華な料理文化が発達した共通の歴史を持つ。

トルコ料理は、トルコ民族の故地である内陸アジアの遊牧的食文化、イラン以西の西アジアの農耕的食文化、ビザンティン帝国、オスマン帝国で発達した宮廷料理などの融合のうえに成立した独特の体系をもつ料理は多種多彩である。したがって地域によってその内容も異なってくる。

広く知られているトルコ料理といえば、薄切りにした肉を何層にも金棒に突き刺して回転焼きにする「ドネル・ケバブ」。その他にも一口大の肉を串にさして焼く「シシ・ケバブ」や、挽き肉でつくるトルコ版ハンバーグ「キョフテ」など、多岐に渡る調理法が駆使されている。

地方的特徴:地中海沿岸(シーフード)、中部アナトリア(肉料理が中心、チーズやヨーグルト、パスタ料理)、東アナトリア(はちみつ、チーズ、羊や牛の新鮮な肉)、南東アナトリア(乾燥ナスと乾燥パプリカのドルマ)、黒海地方(シーフード、トウモロコシやアンチョビをよく使う)

iooo.jpg 様々な種類のトルコ料理があり店によって地方色を出している所もあるだろう。ただ世界3大料理というわりには店が少ない。大体トルコの食べ物でお馴染みなのは屋台で売られているドネル・ケバブサンド。ドネル・ケバブとはミルクやスパイスに漬け込んだ羊、鶏などの肉を串にさし回転させながら焼き、焼けたところからナイフでそぎ落としたもの。

家の近くの商店街にも1m位の間口のドネルケバブサンドの店がある。串刺した肉の塊が店の入口で回転している。まだそこで買ったことはない。病院から戻ったら早速食べてみたいという思いが強まった。                   ドネルケバブサンド                    
(参考資料:オールアバウト「トルコ料理」)         

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

食の贅沢とは何か

11月27日(日)
 焼肉屋で
長男が何処からか割引券を手に入れてきて、たまにはおごるからと言われたので、都合の合う日にちを決め家族が集まって焼肉を食べに行った。焼肉屋には「牛角」などに家族で行ったことはあるが今回は特別な高級牛肉を食べに行くのだという。JR代々木駅西口徒歩2分の所にある、炭火焼神戸牛「いく田」という神戸ビーフ一頭買の焼肉店である。

ここは一日平均4頭に満たない出荷数の神戸ビーフを提供する。神戸ビーフは但馬牛の最上級ランクである。甘くて、旨味の凝縮された神戸ビーフは一度食せば、誰もが虜になる最高の肉だと店の紹介にあった。

店内に入るとお洒落で高級感が漂っていて料亭のイメージだ。オレンジ色の照明が落ちついた雰囲気を作っている。喧騒から離れ、スタイリッシュな場を構成し、特別なシーンに最適な空間である。

he_convert_20111126015430.jpg  P01_convert_20111126015559.jpg

神戸牛を扱っていることで値段はかなり高い。お値打ちなコースでも6500円~10500円である。何食分かを1回で消費してしまうのはかなり気が引けるが、割引券と、めったにない息子のおごりということで、皆でコース料理を中心に頼んだが、それ以外に遠慮なく好みの物、珍しい物を頼んだ。今日のお勧めとか希少部位などは一皿だけで5~6000円とかなり値が張る。

参考にメニューと値段を書いておく。
肉盛り合せ(2~3人前): ミックス盛り6800円、いく田盛り9800円、極上盛り14800円 
超特選神戸牛: サーロイン(200g)9960円、フィレ(100g)5980円、シャトーブリアン(100g)9480円リブロース(200g)9960円、特選かルビ 2980円
神戸牛希少部位: イチボ、ゲタカルビ、ヒウチ、カイノミ、ミスジ、マルシン、ラムヘレ、カッパetc。

二度と行くことはないだろう。一生こんなに美味しい肉を食うことはないだろう。困ったことは美味しいものを一度でも食べると外のものはそれとの比較で味が評価されてしまうということだ。今まで美味しいと思って食べていた物が、それ以上美味しいものを食べると、どうしてもワンランク下がったものを食べているといった感じを抱いてしまうことは避けられない。

スーパーや肉屋で肉を買った肉を美味しく食べるには調理によってカバーする外ない。ステーキや焼肉、すき焼き肉などはそれが出来ないので少しはいい肉を買わざるを得ない。経済的制約の中で、素材と調理の関係を考えながら、日々出来るだけ美味しく食べるように頑張って行く他にない。

 ホームベーカリーでパンを焼く 
全く話は違うが、食べることにおける贅沢とは何かといったこと最近考えた。それはホームベーカリー(パン焼器)を格安で手に入れパンを自宅で作り始めたということからの思いつきである。

今のホームベーカリーは良く出来ていて、多機能で多種多様なパンの製作が可能となる。通常の食パンや、パン・ド・ミ、ソフト食パンなどは当然のことながら、フランスパンやライ麦パンなど本格ハード系パンも焼ける。さらにパネトーネ、米粉パン、あんぱん、メロンパン、ごはんパン、ケーキ、ピザ、うどん、もちなどのレパートリーが製作できる。

一番大きな利点は朝焼きたてパンを食べられるということだ。外はカリカリでサクッとして、中はふわふわに焼き上がる。朝起きたらリビング中に焼きたてパンのいい薫りが広がっていて、味は今までパンは気にいった何軒のパン屋で買っていたが、そういった店のパンに引けをとらない美味しさだった。また中に入れる材料の調製も可能だから自分好みの味に仕上げることが出来る。

朝食はパンと高校の頃から決まっていた。アメリカの小麦粉輸出拡大政策のため、学校給食にパンを導入し日本人の食生活にパン食を浸透させていった。そういった意図にまんまと迎合させられていってしまった結果なのかもしれない。仕事をしていた時には大量生産のスーパーの食パンを食べていたが、仕事を辞めてゆっくりと朝飯を食べるようなってからは、パンの味にも関心が深まり、色々食べてみて、3,4件の気に入った特定のパン屋でパンを買ってくるようになった。

そういった経過でパンの味に関心が深まっていた時に、ホームベーカリーを手に入れたので、今では1日おき位にパンを作っている。夕食の片付けが終ってしばらくしてから作り、朝食時間に合わせて焼き上がるように予約をしておく。通常のパンであれば10分もかからずセット出来る。そうして朝やっと包丁が入る位の熱い焼きたてパンを食べることが出来る。

自分で作った好みの焼きたてパンを食べることができるという事ほど贅沢な食事はないと思うようになった。比較にはならないが、高級焼肉店の高額な焼肉を食べることは確かに贅沢だ。辞書によれば「贅沢とは必要な程度をこえて、物事に金銭や物などを使うこと、金銭や物を惜しまないこと」とある。

しかし焼きたてパンを食べることは金銭的に余分にかかるわけでもないし、むしろ安く済む。贅沢とか豪華とかいったことの本当の内容は人の心の中にあるのではないか。パン一つとっても全く次元の違った日常性の贅沢さといったものの意味を感じることが出来る。それこそがむしろ本当の贅沢ではないかと思うようになった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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宥座の器

5月3日(火)
館林つつじまつりに行く途中の旧館林藩士住宅(武鷹館)の中庭に「宥座の器」という金属の器が吊り下げられていた。ボランテイアの人がこの器の由来を説明してくれる。そして実際に水を入れてみることが出来る。自分で試してみるとどんなものかよくわかる。この器を作るのが中々大変で、これを作ったのは針生清司氏という金属工房の人で13年の試行錯誤を繰り返し平成4年に完成したというものだ。

館林_convert_20110503165944「宥座の器(ゆうざのき)」とは、座右において戒めとする器という意味で、「虚なればすなわち傾き、中なればすなわち正しく、満つればすなわち覆る」器だ。つまり、空のときは傾き、ほどよく水を入れると正しく水平を保ち、水をいっぱい入れるとひっくり返る。孔子(紀元前551~479)は魯の桓公の廟に参詣したとき、宥座の器を見て、弟子たちに「満ちて覆らない者はいない」と教訓した。
 
さらに弟子が、器に水を満たしてもひっくり返らない方法を尋ねたところ、孔子は応えた。
聡明聖知なるときは、これを守るに愚を以てし、
功天下を被えば、これを守るに 譲を以てし、
勇力世を撫えば、これを守るに 怯を以てし、
富四海を有てば、これを守るに 謙を以てす。

満つれば則ち覆る、
宥座の器、
驕る者は久しからず。  (『荀子』宥座扁)

この「宥座の器」は、人生におけるすべてのことにおいて、中庸の徳、謙譲の徳の大切なことを教えている。それは何事も「足るを知る」という事ではないだろうか。広く世の中を見てもそうだが、「足るを知る」という事を自分自身の心の中にもてない人というものの欲望は際限がない。

この中庸の徳や謙譲の徳は、今の日本の現状を考える時に大いに参考になる言葉ではないかと思う。3.11東日本大震災による原発事故での電力の供給停止によって、計画停電を経験し、節電を推進している中で、今までいかに電気を無駄に野放図に使用していたかを思い知ることになる。電気エネルギーをそれがあたかも無限であるかのように湯水のごとく使い、それに何の疑問も持たずにそういった生活を享受していた国民すべてに警告を与えたのである。

豊かさと貧しさの感覚も変わってくるだろう。無駄に使われるエネルギーに対しては、それが便利であっても反発が強まるだろう。そういった生活に徐々に移行していくことによって、原発に頼らない生活が可能になってくるだろう。東京新聞に「3・11から」という特集記事が連載された。その中からこれからの社会の中でどういった心構えもったらいいのかといったメッセージが込められている3人の意見を紹介したい。

 僕は震災前から、豊かさの定義を変えなければならないと思っていました。豊かさと貧しさは線引きできるものではない。私たちは生活が豊かだと思っていたことが錯覚だったとさえ思います。一人の人間が生きるとき、何をなすべきか。その原点が「雨ニモマケズ」の中にあるような気がします。私が病気をして何もできない時に「慾ハナク/決シテ瞋ラズ」に日々を生きるという感覚は胸に染みました。人生で見聞きしてきたことがつながったように感じました。 (「3・11から」 渡辺謙・俳優)

 現代人は自然に逆らう生活のために、たくさんの電気エネルギーを使ってきました。なぜコンビニが24時間開いていなければならないのか。なぜビニールハウスに暖房をかけてまで正月にイチゴを食べなければならないのか。今回の事態は、そんな暮らしに対する逆襲のような気がします。あの日を境に私たちの原発に対する意識は変わった。その変化は今後いろいろなものを生み出すように思います。節電も一過性で終らない可能性が出てきました。そうすれば生活の細部まで、この福島から変わっていくと思います。 (「3・11から」 玄侑宗久・僧侶)

 幸福って、いじわるです。幸せな時には分からないでしょ。失ってはじめて大事だったと分かる。だから失う前から「絶対なくしてはいけないもの」「あってもなくてもいいもの」「なくてもいいもの」を日頃から仕分けしておいたほうがいい。私はそれを「価値の遠近法」と呼んでいます。夏の電力不足を考えたら、みんな「なくてもいいもの」を一生懸命に選び出すでしょう。その時「絶対になくしてはいけないもの」、つまり幸せもきっと見えてきます。(「3・11から」 鷲田清一・臨床哲学者)

こういった意見を聞くと我々は今の生活を見直していく必要を感じる。今日の状況は、無駄を無駄と思わない大量消費の習慣から決別し、必要なものを必要なだけ買うという生活へと自らの生き方を振り返るいい機会ではないかと思う。確かに個人の問題だけではない。コンビニでは売れないことが分っていても見栄えのため弁当を棚一杯に並べ、時間が来ると廃棄に回してしまう。こういった現象をなくしていく社会的な習慣が必要なのだろう。

食品の廃棄物の年間の発生量は約1940万tと試算されており、内訳は、食品製造業から発生するもの(産業廃棄物扱い)が339万t、一般家庭、食品流通業や飲食店業などから発生するもの(一般廃棄物扱い)が1600万tとなっている(2004年度)。

食品リサイクル法で、食品製造業から発生する食品廃棄物は合計265万t(78%)が再生利用されている。一方、家庭系の一般廃棄物の発生量は1070万tに及ぶが、30万t(3%)しか再生利用されていない。

また平成21年度の食料自給率は、カロリーベースでは40%で後は輸入に頼っている。輸入の場合は大量の石油を使って運ばなければならない。フード・マイレージ (food mileage) は、「食料の ( = food) 輸送距離 ( = mileage) 」という意味であり、食糧の輸送に伴い排出される二酸化炭素が、地球環境に与える負荷に着目したものである。日本は世界的にも抜きんでて多く2位の韓国の3倍 9002億800万(t×km )である。自給できる食料品も安い輸入品でまかなおうとする発想法を変えなければならない。

節電と同じ考えで家庭での無駄をいかに減らしていくのか、スリムな生活スタイルを築いていけるかが重要である。電気や食料品に対する考え方を、いかに自然との共存を視野に入れたものへと転化していけるかそれがこれからの世代の生き残りを保障する道なのではないか。

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ジャンル : 日記

自然の脅威と人間

4月7日(木)
4月1日からラジオ体操に行こうと決意したが、何故かその日から6時起床という退院後継続していた習慣が崩れてしまった。1日から起きるのがラジオ体操が始まる6時半ぎりぎりになってしまった。5日は目が覚めたのが7時を過ぎてしまった位だ。

目覚ましをかけてまで行くというものでもないので、起きた時間に間に合わなかったらあきらめるしかない。3月30日からサリドマイドを服用しているのでその関係で眠りが深いのだろう。一応1日休んだだけで6日間続いている。1日一度ラジオ体操という全身運動をするというのはウォーキングとは全く違った効果を体に与えるだろう。

やはり入院というのはかなり体力を消耗するものだ。入院中外出で湯島天神に行ったが、その時は少し歩いては休むという動き方しか出来なかったし、病院に戻ったときにはかなり疲れているといった感じを持った。最近ウォーキングを目的として幾つかの所に行ったが1時間以上歩いても体力的には何の問題もなかった。かなり体力が回復しているという実感を持つ事ができた。

オオシマサクラ_convert_20110407142751 オオシマザクラ

ヨシノヨシノ_convert_20110407142825 ソメイヨシノ

公園のオオシマザクラは開花が早く4,5日前から満開だった。ソメイヨシノがついに花を開いた。7分か8分咲きといった感じだ。自然はかくも美しくその姿を現している。しかし一方3月11日巨大な地震と津波といった自然の脅威に人々はなす術もなく打ちのめされた。1万2千人の死者を出し、未だ1万5千人の行方不明者がいる。16万人が家を失い避難生活を余儀なくされている。

自然との共存を目指していたのではないか。しかしそれは人間の一方的な思い込みに過ぎなかった。だがどんなに打ちのめされようが、我々は自然と共に生きなければならない。その粮を得る事によってしか生きることは出来ない。どのような科学も自然を支配することは出来ない。自然との共栄共存を目指すほか生きる道はない。

東日本大震災。これまで誰がこのような事態が起こると想像しただろう。阪神大震災を経験していながら、ここまでの地震と津波は考えても見なかったことだ。海岸付近の集落まったく別世界となってしまった。そこにはもはや人間の住める場所は残されていない。建物が根こそぎさらわれ広大な瓦礫の山が延々と続いている風景が存在するだけだ。

地震が起こる14時46分まではいつもと全く同じ普通の生活をしていた多くの人が一瞬のうちに、普通であったはずの一日がなくなってしまったのである。何の予感も予測も人間に与えることなく起こる自然災害の恐ろしさと脅威の前に人はなす術もなかった。しかしこれは現実に起こったことなのである。

自然に対して、人間がいかに小さく無力な存在であるかということを嫌というほど思い知らされるものであった。人間はただ大自然に身をゆだねるしか出来ないのだろうか。

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yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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