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血液内科診療日 ・赤血球

8月2日(木)
昨日からの続きの輸血だった。血小板、赤血球の輸血が1日では間に合わない。一日分の輸血では基準値に到達しない。今日やっても基準値には及ばないだろう。何年も血球が基準値であったためしはない。だからといっ低量のまま放置しておくというわけとはにはいかないい。日常生活を営める能力を維持することが出来ない。

この猛暑炎天下を病院通いをするということは、残酷なことだ、それで病状が悪化しまうほどの暑さだが。今日も運のいいことに連れ合いが夏休みなので、病院に送ってもらった。本当に血液というものは体をを動かす原動力なのだなとつづく感じる。

特に赤血球は体の動きにもろ影響が出る。かなり低くなると、体がだるく動くこともままならない。寝たきり老人といった感じでほとんど1日中寝ていなければならない。階段などは両手を使ってよじ上ったら医、ずり落ちたりして移動しなければならない。平地でも5分も行かないうちに息切れがして。いつめまいがし部や路上で倒れでもしないかこと心配する。今だったら熱中症で救急車で搬送されるだろう。

血液中の酸素を体に循環させるということが体を動かすためにどれほど大きなエネルギー源なんだろう、経験して初めて分かった。血小板や白血球への直接体への影響はかなり低くならなければ感じられないし、感染症になっ時に否が応でも思い知らされる性格のものだ。赤血球場合は直接影響する。白血病で赤血球が急に足りなくなり1(g/dl)位になって、倒れて救急車で運ばれた例を幾つか聞くが、赤血球はまさに体を動かす原動力である。

輸血の後にデキサート(デキサメタゾン)33mgを点滴した。これがどこまで影響するのか定かではないが、抗がん剤としての作用よりは元気を出すための薬だと思う。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

血液内科の診療

8月1日(水)
驚くべき体力の消耗感だった。一昨日夕方頃から体がだるく、10歩ばかり歩くとすぐに息切れがする。昨日夕方図書館から借りていた期限の過ぎた本を返すために。自転車ででかけけついでに買い物もしたが、自転車のペダルをこいでいても10数メートル走ると息が切れてくる。やっと必要なものを買って家に帰った時にはふらふらだった。すぐに30分ばかりビ横になって呼吸を整えなければならなかった。赤血球・ヘモグロビンが大幅に減少しているのだろう。明日輸血をしなければとてもこのままでは日常生活は不可能だ。

10時半には採血を済ませ、診療予約は11時30分だ。10時過ぎに家を出て駅へ向かった。どうにか行けると思っが駄目だった。気温は33度を超えているだろう。炎天下の熱風の中を消耗した体を引きずって病院に行くのは至難の業だ。たまたま車で出かける連れ合いに頼んで病院まで送ってもらった。今まで入院退院以外に車で来たのは初めてだ。少し位辛くても通院治療の場合電車とバスで来たものだ。今回はよっぽど体力の消耗に苛まれていたのだろう。

検査結果
IgM   10860 (8/!)←9650(7/26)←8120(7/23) ←6496(7/19)←10596(7/18)
IgG     149(8/!)←312←162(7/23)←106(7/11)←202(7/2)
白血球  4100←2300←3200(7/23)←2400(7/19)←2700(7/19)
赤血球  177←239←205←206←242
へモグロビン  5.2←7.2←6.7←6.2←7.3
血小板   0.5←2.7←1.7←3.4←3.2
好中球   1290←710(7/26)←1940(7/23)←1380(7/19)


案の定、赤血球は177、ヘモグロビンは5.2であった。この低い値は抗がん剤治療を始めた頃に出る数値だが、通院治療では初めてだ。これでは疲労感、消耗感はやむをを得ない。血小板の減少によって至る所に青あざが出来ている。今回は白血球・好中球に影響が出ていない、不思議な現象だが、非常に助かる。

IgMが10860(総淡白13)。予想通りの結果だ。シクロホスファミド200mg3日間、プレドニン40mg3日間服用したが何ら効果はなかった。血液検査結果に見られるように赤血球、血小板がこんなにも少ないと新たに治療を開始するとは出来ない。とりあえずデキサメタゾン40mgを点滴静注した。明日も全く同じような内容の輸血を行う。血小板と赤血球の輸血、デキサメタゾンの点滴を行う。帰りは赤血球の輸血をしたのでかなり体力は回復した。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

糖尿病患者・喘息患者

7月30日(月)
病室は4人部屋だったが、4,5日経ち1人が退院すると、2人部屋になった。入っていた病棟は内分秘代謝科と脳神経内科だった。デイルームでは食事時間ごとに糖尿病患者が集まり、一緒に食事をしている。厳密な糖尿病患者指定食だ。他のものを食べないように一緒に食べるようにしているのか。またデイルームでは毎日10時から10時半まで糖尿病患者啓発ビデオの上映が行われ、3時から1時間看護師やカウンセラーによる生活食事相談を行っている。

しばらく1人いた糖尿病患者は、毎回の食事中、食べている間に看護師が薬を持ってきてちゃんと飲むか確かめる。そのほか薬の飲む時間への厳密な管理は行われている。一錠でも飲み忘れることのないように厳しい管理が続けられている。退院する患者への自宅での薬の服用に関しては看護師が1時間以上に渡って説明していた。

4人部屋は一人退院したので2人部屋になった。同病の患者は本来この病棟の患者ではない。呼吸器内科に属している。昼間はそうでもないが、就寝の時間以降かなり咳き込む。私が退院の時挨拶したら、「咳でうるさくてすいませんでした」と謝った。しかし咳をする患者の傍にいると、咳の時にゴホンゴホンする音よりも終わった後ヒューと息を吸うのが苦しそうで、気の毒で聞いている方までつらい思いをする。

何年も喘息の治療を行っているが一向に改善しない。かっては肺に疾患を抱え、肺を切除しているそうだ。それ以降も咳は収まらない。入院中も医者が頻繁に訪問し、今飲んでいるクスリの効果を聞きに来ている。効果がなければすぐに別の薬に変える。何種類もの薬を差し替えしながら服用している。

飲む時間も厳密に決められていて、そのたびに看護師が薬を運び本人の前で飲ませる。その患者は1週間後退院だがその後は通院で治療を行うと言っていた。自宅で何種類もの薬を管理して厳密に服用していくのはかなり手間だろう。今は食事時間も決まっているし時間になると服用する薬は看護師が持ってきてくれるので、忘れる心配はない。

がん病棟に入院していたことが多いので、他の病棟にいる人の治療状況などは全く知ることはなかった。今回糖尿病患者と喘息患者の状況を見て、どのような病気の治療も大変だと改めて思った。

糖尿病患者
自宅に帰れば家族が糖尿病患者用に食事を作らなければならない。入院していてくれさえすれば、食事の心配はしなくても済む。患者は多くの薬の管理をしながら厳密な服用を試みなければならない。糖尿病の治療には食事療法、薬物療法のほかに運動療法がある。糖尿病患者は体がだるく、疲れやすい。そういった状況で定期的な運動はつらいかもしれないが運動には以下の効用がある。

「運動をすることで体についた中性脂肪を減らしたり、運動で筋肉を鍛えることによって、インスリンの効き方が良くなり、血糖降下に結びつけることが出来る。それに加えて、運動療法は糖尿病だけでなく、高血圧、脂質異常症(高脂血症)などの生活習慣病の予防・治療にも役立つ」(健康食品通販なら舶来堂)

喘息患者
咳は絶対に自分の体から切り離せないつき物のようなものだ。どこに行ってもまとわり着いてくる。演奏会や、講演会でも何の予測もなく咳が出る。そうなると席を立たざるを得ない。どこかに旅行にいっても同室の人に気兼ねをしなくてはならない。それよりも咳が出れば一定の時間苦しみ続ける。この苦しさを一生抱えて生きていかなければならないかという絶望感に苛まれる。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

入院10日目・退院


7月28日(土)

2005年に発病し、2度の移植をやり、ベルケイド、サリドマイド、レナリドマイドといった新薬を使いながら治療を続けてきた。2011年までは通院治療でどうにかIgMを抑える治療法が通用していた。2011年になって、通院で使用してきた骨髄抑制の弱い薬では効果がなく、強い薬で入院治療を行うことになった。

それ以降DCEP療法を3回、ベンダムスチン療法1回、M2プロトコル1回、血漿交換法1回を入院治療で行った。しかし段々と入院治療でも効果を発揮する薬が見当たらなくなってきた。2011年12月に行ったベンダムスチン療法は1ケ月でIgMを8000から2000台にするという効果を見せた。しかしその効果は1度しか発揮されなかった。それ以降の療法からは思ったような成果は上がっていない。この間行った3度の治療も全く成果を見せているとは思えない。

第3回DCEP療法: 4/4入院、5/退院。4/12-IgM8471、5/1-IgM6096。
M2プロトコル: 6/18入院、7/7退院。6/19-IgM9155、7/2-IgM9719。
血漿交換法: 7/19入院、7/28退院。 7/18-IgM10596、23―IgM8120、26-IgM9650。

第3回DCEP療法では入院前3月29日のIgMは7260だった。一時期治療中に8471まで上がったが、実際には入院前と退院時の差は1200でしかない。次のM2プロトコルの場合は、退院時にIgMは入院時を超えてしまっている。血漿交換法でも結局は治療前よりIgMは増加してしまうだろう。

血漿交換法は予想通りIgMは一時減少し、再び増えるという当然の結果になった。もう少しIgMが減少しそれが持続すれば次の治療について落ち着いて考える時間があったのではないかと思うとそれが残念だったという気がする。どちらにしても抗がん剤治療を平行し行っていないのでやがては元も戻ってしまうということは周知の事実だった。いわば過粘稠症候群にいかに対処するかの一つの方法を試したといった感じだ。

主治医は新薬を自在に使うといった性格ではないので、治験を繰り返し、認可され、色々な臨床例を見ながら使っていくことはあっても当面新薬を使用するということはない。次回方針としては、昔からあるアルキル化剤の未使用の併用療法を、サリドマイド、レナリドマイド、ベルケイドと組み合わせて治療を行う可能性がある。どちらにしても来週水曜日の診療時に提案された治療法でやっていくほかない。抗がん剤が効くか効かないかの的確な判断基準はない。どの治療法を選択するかは、いわば運を天に任せるといった点もないわけではない。

 血漿交換法の入院から退院までに関しては、「治療経過ダイジェスト・8」にまとめてあります。参照して下さい。
trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1322.html

テーマ : 思ったこと・感じたこと
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駒込吉祥寺

7月27日(金)
昨日一昨日と体のだるさから、日中も横になりたくなる時間が多かった。特に抗がん剤を使用していないのだが、やはり体中の血液を入れ替えるというのはかなりの負担になったのだろう。おまけに大静脈からかなり出血してしまった。最近は20時には眠くなってしまっていたが、昨日は10時まで起きていて消灯時間に合わせて寝た。朝もすっきりと目覚めた。

朝の散歩に出かける。6時30分なのにもう暑い。昨日は8時から気温が30度あったそうだ。病院では外の暑さは空調であまり気にはならないが、やはり節電のせいだろうか部屋は例年より暑く感じる。

近所の散歩といっても行く所は限られている。吉祥寺の境内は広く散歩するのに丁度いい。今年の4月桜の季節に行ったばかりだ。同じ所を回るというのは芸がないが、季節によって風景はその姿を変えて見せてくれるものだ。深い緑に覆われた今の時期、4月のサクラで淡く煙る境内とは全く趣を異にする。それは季節の移り変わりを感じさせる以上に、自分の病気と、自分の生活や考え方の変化を思い知らされる。

時間は無機質に進んでいく。季節はそれに彩りを与えながら、淡々と同じような変化を繰り返す。しかし自分の人生はやはりひとつの方向へと収斂していく道筋を示している。それを季節の移り変わりによって受け止めざるを得ない。桜のピンクも木々の深い緑もその心を映し出す鏡でしかない。自然の中に佇む時、嫌が応でも自分の現実と向き合わざるを得ない。それの中で再度自分の生き方を模索していくほかないだろう。

吉祥寺(諏訪山 曹洞宗):  
太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。関東における曹洞宗の宗門随一の栴檀林(せんだんりん)がおかれ多くの学僧が学んだ。(文京区観光協会)

DSCF0166ed_convert_20120726171354.jpg 本堂
  
DSCF0171_convert_20120727165147.jpg 病棟から


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 吉祥寺山門                       表参道より本郷通り方面

DSCF0147_convert_20120726163049.jpg  DSCF0145_convert_20120727164334.jpg  
  
茗荷神社:痔の完治に霊験あらたかとされ、茗荷絶ちをして祈るのが慣わしだった。吉祥寺は明暦大火の際、府内よりこの地に移った。家康公ゆかりの毘沙門堂脇の庚申塚に茗荷権現があった。寛文年間疫病蔓延の折、祈願の人絶えず、特に痔病の根治に霊験ありとされ、茗荷を断って心願する者は多かった。
 
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DSCF0153_convert_20120726163626.jpg  DSCF0152_convert_20120726163537.jpg
 花供養塔・駒込生花市場

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 比翼塚                         吉祥寺大仏

お七・吉三郎比翼塚:のちに西鶴「好色五人女」に触発された人が建立したもの。比翼塚というのは相愛の男女や心中した男女を葬った墓のこと。実際のお七の一家の避難先は白山(地下鉄白山駅近く)の円乗寺で、吉三郎も円乗寺の寺小姓であり、お七の墓も円乗寺にある。

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 六地蔵                           表参道より本堂方面

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 経蔵                             赤松家先祖代々之霊位

経蔵:江戸時代、経蔵は図書収蔵庫であった。現在の経蔵は1804年、再建されたものと考えられる。東京都内に残る江戸時代建造の唯一の経蔵として貴重である。区指定有形文化財。

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 経蔵と本堂                        鐘楼

吉祥寺には多くの人の墓がある。二宮尊徳、榎本武揚、鳥井耀蔵、川上眉山の墓所などである。かつらの墓の前には、「清水かつらここに眠る」と記された石碑があり、裏面には主な作詩として「叱られて」「靴が鳴る」「緑のそよ風」「雀の学校」「文福茶釜」の刻印が有る。墓地には河村光陽の「かもめの水兵さん」の碑がある。

また与謝野鉄幹が、本郷駒込の吉祥寺境内にあった学寮住んでいた。明治25年初めて上京した鉄幹は義兄の家で1ヶ月程を過ごしたが、その後学寮に移ってきた。義兄の家の経済が極めて困窮しているのを察しての行動だった。ここでも「焼芋を以て一日一食に代へ、或は屡々絶食」する生活をしながら、次への飛翔を期して、上野の帝国図書館に通う。

吉祥寺の南側に落合直文(1861―1903)は、和歌革新のための結社として「あさ香社」を結成した。彼は1881年(明治14)上京、88年皇典講究所の国文教師となる。この年、長詩『孝女白菊の歌』を『東洋学会雑誌』に発表、七五調のロマン的叙事詩で反響をよぶ。92年、雑誌『歌学』創刊号に新しい歌観を示した和歌革新論を述べた。国文学者、教育者としても業績を残した。新派和歌の結社として与謝野鉄幹、金子薫園(くんえん)、尾上柴舟(おのえさいしゅう)ら多くの俊秀を育成。詩・短歌・文の改良を意図し、実作に示していった。

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yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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